宇野ゆうかの備忘録

ちょっとした作品発表的な場所。/はてなダイアリー→d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/

ダサい服はなぜダサいのか。また、人はなぜ「ダサい」に過剰反応してしまうのか。

togetter.com

 

Twitter界隈で話題になった、買う人を不幸にするという「ダサい服」。私はこれを見て、下の記事を思い出した。

 

sirabee.com

 

この記事によると、おしゃれな人のほとんどは、いきなりおしゃれになるのではなく、徐々にこのような段階を踏んでおしゃれになるのだと言う。

 

  1. ちょっと変わったものが気になる期
  2. キテレツ期
  3. ブランド期(トレンド期)
  4. ユニクロ
  5. ミニマル期

 

このうち、元Tweetでダサい例として挙げられているボトムは「ちょっと変わったものが気になる期」、全面に英字プリントがあるTシャツなどは「キテレツ期」の人が選びがちなアイテムと見なすことができそうだ。

要するに、「おしゃれ初心者が選びがちな服」ということなのだろう。

 

では、なぜこれらの服は、「ダサい」と見なされるのか。あるいは、なぜ初心者は、こういう服を選んでしまいがちなのか。

それには、まず、「洋服におけるおしゃれのキモは何か」について考える必要がある。

 

端的に言うと、洋服におけるおしゃれのキモは、シルエットである。つまり、着た時に、頭から足の先まで、全体がきれいな形になると、「かっこい」「素敵」ということなのだ。

着物と比べてみるとわかりやすいかもしれない。着物は平面裁断で、服の形自体はどれも似たようなものだが、色や柄に豊富なバリエーションがあり、その組み合わせで違いを出す。また、素材の違いも重要な要素だ。

一方、洋服は立体裁断で、服の形に豊富なバリエーションがある。襟の形、袖の形だけでも、何種類もある。もちろん、洋服のおしゃれにおいても、色・柄・素材の要素はあるが、洋服において「おしゃれが上達する」とは、ほぼほぼ「シルエットを見る目が養われる」ことだと言っていいだろう。*1

かつて、西洋の婦人は、コルセットでウエストを締め上げ、クリノリンやバッスルでスカートを膨らませていたが、あれは洋服がシルエットで魅せる文化だからだ。

 

ファッションは学校では習わない。なので、多くの人は独学になってしまう。「ここを練習すればいい」ということすらわからない状態だ。だから、初心者のうちは、「まだシルエットを見る目が養われていない」どころか、「まだシルエットが大事なのだと気付いていない」状態からスタートすることになる。

シルエットが大事だと気付いていない段階では、裾の折り返しがチェック柄になっているとか、全面に英字プリントがついているとか、わかりやすい要素に惹かれてしまいがちだ。今までただ無頓着に着ていた服との違いを出そうとした時に、シルエットの違いではなく、わかりやすくて目立つ柄などで、違いを出そうとしてしまうのだろう。

 

下記リンク先の記事の、2種類のシャツを提示して「どちらがおしゃれに見えますか?」という問いは、まさにそういうことを言っていると思う。

cakes.mu

 

つまり、冒頭のTweetに挙げられているような服がなぜダサいのかというと、単純に柄が微妙というだけでなく、それ以前にシルエットが微妙という理由もあるのではないだろうか。

 

よく言われる「おしゃれな人ほどシンプルな服を着る」というのは、シルエットで表現することができるようになるからだろう。もちろん、派手な柄物をおしゃれに着こなす人も沢山いるが、その場合も、シルエットを綺麗に見せている人が多い。最近人気の「骨格診断」も、シルエットを綺麗に見せるための方法論と言える。

以前、音楽家の人と話した時に、「リズムキープができないとプロのドラマーにはなれない」という話になったが、それに似ているのかもしれない。初心者は、派手で目立つ演奏に惹かれがちだが、耳が肥えた人は、控えめだが確実に上手い演奏が聞き分けられるのだろう。

 

また、おしゃれが苦手な人たちを悩ませる「流行」だが、これもシルエットの要素が大きい。洋服における流行の変化とは、大部分はシルエットの変化だ。80年代の肩パッドなどはわかりやすい例だと思う。昨今では、2010年代半ばまでは細身のシルエットが流行っていたが、2020年現在はビッグシルエットの時代である。

サコッシュ」などの、ある特定のアイテムが流行することはよくあるが、こういう流行は、別にそのアイテムを身に付けていなくても、ダサいとは見なされない。だが、既に流行が過ぎたシルエットの服を着ていると、それは野暮ったい感じがしてしまう。

ただし、何十年も昔のシルエットの服に関しては、「レトロ」「ヴィンテージ」「クラシック」の領域として、好ましいと見なされたりする。

 

現代、着物においては、あまり流行の変化は見られなくなっていると思う。(正確にはあるのだが、洋服よりはずっと変化が緩やかだ。)それは、着物が既にみんなが当たり前に着る衣服ではなくなったからだ。着物が日常着として着られていた時代、着物にも流行があった。

私は以前、チャイナドレス(旗袍)の歴史を少し調べてみたことがあったが、やはり、チャイナドレスが日常着として着られていた1950~60年代以前の時代には、チャイナドレスにも流行があったらしい。

ということは、洋服に流行があるのは、今現在、洋服が、人々の生活に密着した、当たり前に着られている衣服だからだろう。生きている文化だからこそ、変化があるというわけだ。

 

ちなみに、 冒頭のような「ダサい服」は、たぶん売れるんだろうな……と思っていたら、ファッション企画会社で働いていた方がそう書いていた。こういう服は、おしゃれ初心者に人気があるのだろう。どの分野でも、上級者より初心者のほうが多いしね。

www.yamadakoji.com

 

 

ところで、この話題については、ブコメも含めて気になった。人はなぜ、「ダサい」という話にここまで反応してしまうのか。他のジャンルだと、下手なことはそれほど問題にならないのに。

ネット上では、デザインやイラストレーションの技術的な話なんかはよくあるし、デザインリテラシーのない上司やクライアントの口出しに悩まされるデザイナーの話もよくある。しかし、ことファッションの話になると、途端に「イケメン無罪」みたいなことを言い出す人が出てくる。つまり、多くの人が、ファッションを正当に評価できないし、ファッションのことを、他のクリエイティブ分野のように「普通に」語れないのだ。

 

id:hakusai_chan はてブはウェブやプロダクトのデザインの話は受け入れられるのになぜか服のデザイン(ファッション)の話は忌避されるのである

id:jagaimojanaizo ことファッションの話となると「ダサい」にキレちゃう人多いのはなんでなんだろ。どんなプロダクトだろうとそれぞれにとっての美醜があるのは当然だろうに。

 

絵や音楽や料理や造型など、それぞれの好みがあり、これが正解というものがはっきりしない分野でも、上手い下手はある。そこについてはファッションも同じだ。

ただ、下手というのは事実であっても、下手は悪いことではない。人には得意不得意があって当たり前だ。もちろん、音楽を仕事にしようというのに音楽が下手だったら問題だが、私が音楽が下手だったとして、特に何も問題はない。ならば、なぜ「ダサい=おしゃれが下手」というのは、これほどまでに人の心をかき乱すのか。

 

理由の一つとして、おしゃれは、「下手」ということを隠しておけないというのがあるだろう。絵や音楽などは、自分でやらずに日常を過ごすことが可能だ。しかし、多くの人にとって、服を着て出歩くという行為は避けられない。ファッションが他の分野と違うのは、常に「下手さ」が他人の目に晒されることだろう。

現代に生きる私たちは、和歌をやらなくても日常生活に支障はないが、もし平安貴族に生まれていたら、和歌が下手というのは大きなコンプレックスになったかもしれない。

 

また、ファッションについては、多くの人が、ただ単に「知らない」「わからない」だけではない。幼少期から学生時代までに、親から、あるいは学校の先生から、「ファッション=見た目ばかり気にして、軽薄なもの」「おしゃれなんて下らない。そんなことより勉強しなさい」という刷り込みを受けて育った人は、沢山いる。私は、ファッションとゲームは、子供が夢中になると大人が不安がるもの2大趣味だと思う。

ファッションは、かなり偏見を持たれているジャンルだ。偏見とは、間違った知識である。つまり、多くの人は、ファッションについて考える時、まっさらな知識がない状態ではなく、間違った知識を持った状態からスタートしてしまうのだ。それが、ファッションを正当に評価できない原因の一つになっていると思う。

 

おしゃれに興味がない人にとっては、「何のためにするのかわからない」というのもあるだろう。自分がする意味だけでなく、そもそも、ファッション自体、何を目的にした行為なのかわからない。

何のためにするのかわからない。正解がわからない。学校でやり方を教わらないし、親も教えてくれない。(むしろ、親と学校から偏見を植え付けられている場合もある。)なのに、服を着て外に出て誰かに合うことは、普通の日常生活を送っていては避けられないし、多かれ少なかれ、それで評価される。勘のいい人は上手くなるが、そうでない人は、ずっとわけがわからないまま。ファッションを取り巻く環境は、こうなっているのではないだろうか。

 

実のところ、装いには「非言語コミュニケーション」の要素がある。結婚式や葬式に着て行く服に、社会的な取り決めがあるのもそうだ。結婚式にはドレスアップすることで、お祝いの気持ちを表し、葬式には喪服を着ていくことで、弔いの気持ちを表す。葬式にジーンズをはいて行くと失礼な気がするのは、装いがコミュニケーションだからだ。

また、装いには、誰かに自分をアピールするという側面がある。それは「モテ」だけに限らず、面接を受ける時にスーツを着ていくのだってそうだ。

 

つまり、ファッションが下手ということは、ある種のコミュニケーション下手ということなのだと思う。だからこそ、「ファッションがわからない」「ダサい」ということは、これほどまでにコンプレックスになるのではないだろうか。

再び平安貴族の例えを持ち出すと、現代では、和歌は愛好家の趣味という位置付けだが、平安貴族の間では、まさに和歌はコミュニケーションの一環であり、和歌が下手ということはコミュ下手ということだった。現代日本では、ファッションが下手ということは、ある面でのコミュ下手と見なされるのだろう。(もっとも、平安貴族の世界でも、ファッションは必須科目だったが。)

 

ちなみに、ファッションが何を目的にした行為なのかについては、私なりに思うところがあって、それはここで書いた。

yuhka-uno.hatenablog.com

 

 

ところで、元Tweetで挙げられている「ダサい服」は、全て男性向けのものだけれど、もしこれを女性向けでやったら、どのようなアイテムが挙げられるだろうか。また、ブコメ等での反応はどうなるのだろうか。男性向けの場合と同じだろうか。違うのだろうか。ちょっと気になる。

 

 

そういえば、こんなのあったな(笑)

togetter.com

 

 

ファッションに関する過去記事。 

ファッションと企業ブランディングの共通点。「ファッションの目的とは何か」という話。

yuhka-uno.hatenablog.com

なぜ、かつて「ユニバレ」と言われるほどダサいイメージだったユニクロが支持されるようになったのかという話。

yuhka-uno.hatenablog.com

ネタ記事。

yuhka-uno.hatenablog.com

 

 

*1:ファッション・アパレル用語索引|モダリーナのアパレル・ファッション図鑑 服の名称について調べられるサイト。洋服の形状がいかにバリエーションに富んでいるかということがわかる。