宇野ゆうかの備忘録

ちょっとした作品発表的な場所。/はてなダイアリー→d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/

私の体感による、コロナ流行初期のトイレットペーパーデマ

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私がこのデマを知ったのは、まさに、デマに対する注意を呼び掛けるTweetが流れてきた時だった。Twitter界隈では、大きな災害が起こる度に、動物園から動物が逃げ出しただのといったデマが発生していたので、今回も「ああ、またかよ」と思った。私の感覚では、この時点ではまだ買い占めが起きているという感じはしなかった。そもそもTwitterユーザーはこの手のデマに慣れている人が多いと思う。

 

その後、テレビのニュースでこのデマが取り上げられているのを見た。その瞬間、「あ、これはあかん」と思った。トイレットペーパーが不足しているというデマが広まっていることを伝える音声、文字テロップと同時に、トイレットペーパーがなくなったかのような売り場の棚の映像が映っていたのだ。「こんな映像を流したのでは、実際に品不足が起こっているように思う人が出るじゃないか」と思った。そして、その後、私の周囲でも、トイレットペーパーがなかなか買えない事態になっていった。

 

これが、私個人が体験したトイレットペーパーデマである。

 

今でも、あの映像はどういう意図で使われたものだったのかと思う。実際にあの時点で既に品薄状態になっていたのだろうか。それとも、「画になる映像」を撮ってくることが習性になっているマスメディアが、実際にはそれほど品薄になっていないにも関わらず、特に何も考えずあの映像を撮って使ってしまったのか。いずれにせよ、あの映像は使うべきではなかったと思う。文字情報や音声よりも、あの映像の印象が強く残っている。

 

” こうしたTwitter上での情報の拡散は、マスメディアなどのメディアが介在してさらに加速する。トイレットペーパーのデマでも、複数のマスメディアが「デマが流布している」という記事を掲載したことで、さらに拡散された。「トイレットペーパーを購入したのは60歳代が大多数という報告もあり、ツイッターではなくマスメディアを見て影響された可能性がある」(同)。”

「新型コロナのSNSデマはマスメディアが拡散」、東大の鳥海准教授が分析

 

 

 

「サイゼリヤの代わりに初デートで行きたい店」書いたらセクハラされた~エロとセクハラはき違え問題

yuhka-uno.hatenablog.com

 

上の記事を書いたところ、こんなセクハラ記事を書かれていた。

sinnnori.hatenadiary.jp

 

いやね、私もそこそこネット発信歴長いから、こういうことはもう珍しくなくて、「ああ、またかよ」って感じなんだわ。これまでのネット人生、ブログが炎上したり*1Twitterで絡まれたり変なコメントをつけられたりして、それらと渡り合ってきた経験が数えきれないほどあるしね。それなりにブログの読者数多かったり、Twitterフォロワー1万人以上いる人ならわかると思うけど、これくらい見られる人が多くなると、中には変なヤツも混じってくる。しかも書き手が女だとセクハラクソリプとかあるある。そんで、こういうこと言うと「ネタにマジレス」とか言うんでしょ知ってる知ってる(笑)。

 

“…少し真面目な感想も述べましょうか。

この記事を書いた方の、意見が変わるのも面白いと思いました。アンバランスになった文章も読みたいなと。ホンワカ女子からクレイジー女子への変身も見せ物になる!!ブヒブヒ笑う野次馬根性がムクムクと沸き上がるのです!

「相手がサイゼリヤに興味を持っていようがいまいが関係ない!あらゆる場合にサイゼリヤは有効なんだ!サイゼリヤしかないんだ!サイゼリヤに誘ってくれたら私のヘソの穴、好きに弄らせてあげる!!ヘソの穴に中daししてもエエよ!」

ってな感じの、人が変わったような狂った記事もみたいんですよね。読者のエゴですかね…。すみません。blogの向こうにもリアルな書き手さんがいらっしゃることを無視した最低な欲求なんでしょうね…。すみません、すみません、すみません

…謝りながら僕はシコっております。この気持ちをAVのタイトル風に言うのならなら、「懺悔!御免なさい。殿のblog娘に謀反のザー麺」ってなとこでしょうか!!”

「私がサイゼリヤの代わりに初デートで行きたい店書いてみたよ」の感想dirty joke - 進学塾のノリで教えない下衆

「真面目な感想」だってさー。へそで茶を沸かしてしまうわー。

 

ただねー、こういうセクハラしてくるヤツ見ると、いっつも思うんだわ。

「エロいと思ってやってんのか?お前全然エロくねぇぞ」って。

まぁそりゃそうだよね。酒に造詣が深いのと、酔って他人に迷惑かけたりアルハラしたりするのって、全然別だから。アルハラしてくる人に対して「この人、お酒が好きなのね」って思う人なんていないのと同じだよね。

私の知り合いには、エロ大好きだけどセクハラからは一線を置いている人、いっぱいいるのよ。そういう人たちを見てるから、「お前もしかしてエロいと思ってやってんの?全然エロくねぇよ」って思うんだよね。なぜかサイゼリヤ店内に飾られてるルネッサンス期の絵画のほうがずっとエロスあるわ。*2

大体さー、そんなにエロが好きなら、なんで「4℃のネックレスより春画の画集のほうが良い」って書いてるところには反応しなかったんだろ。記事中で紹介している鳥文斎栄之の肉筆春画には反応ナシか。人類の長いエロの歴史から見れば、男性異性愛者向けAVはごく一部だよ。そんなに刺激が足りねーなら、股間のミニキュウリのピクルスにホットソースかけとけ。

 

なんか、見てるAVの数だけは多そうだけど、エロについて深く掘り下げてなさそうな感じがするよね。セックスの下手なヤリチンと同じ印象。

 

あとさー、微妙に気になってることがもう一つあって。

「男子中高生むけに品のない文章を書いてます。」とか書いてあるけど、令和時代の男子中高生、こういうのに食いつくの?これ昭和時代の男子中高生むけだよね?野々村議員の号泣会見とか懐かしいよねー、あれ何年前だろ?「さーせんm(_ _)m」←これ久しぶりに見たわ。

私は、世代的に若者バッシングが酷かった時代に若者だったから、「人はなぜ老害になるのか」を自分のテーマの1つにしてるんだけど、大体が「自分が若い時のまま感覚が止まってしまっているから」なんだよね。これ、自分が男子中高生だった時のまま感覚が止まったおっさんが書いてるだろ。

下品で露悪的なのが「本音」で、それをあえて言うのが良いみたいなの、ネットがアングラで2chが全盛期だった中年男性あるあるだよね。もう「生娘シャブ漬け」がウケる時代じゃねーんだわ。

 

私はずーっと「酒と煙草とエロスは大人の嗜み」って言い続けてるんだよね。マナーを守って他者に配慮して楽しめる、精神的に大人になった人じゃないと、エロは嗜めないの。逆に言えば、そこにこそエロの醍醐味があるわけで。*3

他人に一方的に欲望ぶつけてブヒブヒ言ってるおっさんなんて、自分の部下や後輩にパワハラしてブヒブヒ言ってるのと同じなんだわ。いつまでも少年の心を忘れない大人は素敵だけど、いつまで経っても精神年齢が子供な大人は迷惑なだけなのよ。毒親とかモラハラ夫とかパワハラ上司とか、大体これ。

私は若い頃にこういう記事(酒や煙草が格好良いのはフィクションの中だけだった)書いてたけど、酒と煙草に関しては現役世代のマナーは良くなったけど、こと性に関しては、まだまだマナーがなってない大人が多いよね。

 

まぁ読者数5しかいないとわかんねぇかもしれないけど、ブロガーっていうのは常に「見られる側」なんよ。ブログの向こうにいるのはリアルな書き手だけじゃねー。大勢のリアルな読者がいるわけ。お前は私を見て一方的にブヒブヒ言ってるつもりかもしれんけど、お前だって見られる側なんだよ。視点を180度変えて自分自身を客観的に見てみなよ。空気を読まずにブヒブヒ言ってる痛いおっさんがいるだけだから。

ついでに言うと、私はもう「娘」とかいう年じゃねーし、医療行為以外でネコチャンのアナルをほじくりたいとも思わないね。

 

”つまり、試運転期間を過ぎて互いに本性を出し始めて、さぁ「話」をしてお互いの人間性を知ろうじゃないの、と私が思っても、返ってくるのがこの返事ということは、彼らがしたいのは「話」以下の、誰でも頭をそんなに使わず楽しくできる範囲の「おしゃべり」なんです。

だから、たぶん、私の付き合ってきた彼らの望んでいた彼女像というのは、自分の話に大きく相槌をうったり、少し難しいことには「んふふ、わかんない」と笑ってくれたり、ようするにpepperくん程度の受け答えだけして、しょっちゅうパンツを脱ぐ女だったんじゃないかと思います。”

 

“今の日本には「女の子はバカでいい」「女の子は頭カラッポでいい」という需要は、確かに一部の男性から根強くあると思いますが、私は「自分よりバカで非力な女」にしかそそられない男性は可哀相だなと思います。

なぜなら、その人達は自分の支配欲は満たせても真に愛情を感じる日が来ないからです。

「女の子という愛玩動物」でいくら遊んでも「人間同士の愛情のかかわり」の面白さにはとうてい及ばないからです。”

 

「女の子はバカでいい」と思ってた私をグリーっとしてやりたい - 限りなく透明に近いふつう

そう。私も「話」ができる相手じゃないとそそられない。セックスする上で一番大事な器官は脳だから。体以前に思考でセッションできる相手じゃないとつまらないね。

 

[追記]

sinnnori.hatenadiary.jp

下ネタを考えるより前に、発信者情報開示請求されるリスクを考えた方が良い。このリスクは、相手が有名人だろうが無名人だろうがある。これは基本的なネットリテラシーだ。あれと同じことを職場の女性に対してやったらどうなるか、考えてみればいい。普通に訴えられるだろう。

私は何も誤解していない。ハラスメントする人は、大抵「そんなつもりなかった」と言う。ハラスメントする人は、ある特定条件下において、相手に対する気遣いが一切なくなり、自分の欲求を垂れ流すモードになる傾向がある。そういう時、彼らは、自分が相手に何をやっているのかわかっていない状態になるということを、私はわかっている。

 

 

 

 

*1:ちなみに、炎上初体験の記事はこれだった。「毒親」という言葉が広まった現代なら、たぶん炎上しないだろう。→自分が嫌われないために気を遣う人は、身内を潰す。 - yuhka-unoの日記

*2:サイゼリヤで観られるイタリアン絵画にはこんな意味があったんだ!話のネタになる西洋絵画入門 | 大人の美術館

*3:まぁ、イタリアには「 Bacco, tabacco e Venere riducono l’uomo in cenere.(酒と煙草と女は男を破滅させる)」という諺があるらしいけど。

私がサイゼリヤの代わりに初デートで行きたい店書いたよ!(関西版)

ta-nishi.hatenablog.com

語ってみようと思いました。

ao8l22.hatenablog.com

ネット上におけるサイゼリヤ初デート論争の歴史。

 

何かと炎上しがちな「デートにサイゼリヤはアリかナシか」論。私の考えは、「学生ならアリ。社会人の初デートはやめたほうがいい」派だ。

これは、「他県から来た人をサイゼリヤに連れて行くのはアリかナシか」でも共通したものがあると思う。本人が「地元にサイゼリヤがないので、ぜひ行ってみたい!」と希望するのでない限りは、やめておいたほうがいいだろう。例えば、大阪に来た人の場合なら、「わなか」や「甲賀流」あたりのたこ焼きを食べさせるほうが正解だと思う。

サイゼリヤ、良い店なんだけど、日常感がありすぎるんだよね。大人のデートなら、大人同士がゆっくりと話ができるところに行きたい。もちろん、一緒にいるのが既に日常になったカップルなら、サイゼリヤに行くのは何の問題もないでしょう。

 

ところで、初デートには、大きく分けて2種類あると思う。

  1. マッチングアプリや婚活など、初デートが初対面になる場合。
  2. 職場や趣味の集まりなどで出会う、初デートが初対面ではない場合。

私は後者しか体験したことがないので、初デートに行くまでにある程度親しくなっている場合しか語ることができない。また、お世辞にも経験豊富とは言えない私がこれまで体験したデートでは、ほぼ全て私が行く場所も店も決めて、自分の食べた分の代金は自分で出す前提のデートをしてきた。マッチングアプリや婚活の場合?知らん。

そういう点を踏まえると、私が行く・行きたい初デートの店は、「お茶とお菓子で1000~1999円くらいの、雰囲気の良い喫茶店」が主になる。ちなみに、デートに行く前には、相手に「ここに行こうと思うんだけど、どう?」「どこか行きたいとこある?」という話をします。話し合い大事。

なお、当方関西出身者なので、関西の店について書きます。そして、もちろん書き手の趣味が反映されています。

 

京都・フランソア喫茶室

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建物自体が国の登録有形文化財になっている、昭和9年創業の、とてもクラシックな老舗喫茶店。豪華客船の船内を模して造られたものだとか。

すぐ近くに「築地」という、これまたクラシックな喫茶店があるのだけれど、こちらは喫煙可なので、煙草を吸わない私はこちらのほうが好み。

 

京都・イノダコーヒ本店

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外観は町屋、内観は洋風なレトロ喫茶店。私は奥のサンルームの席が好きです。

近くに、京都国際漫画ミュージアムや、京都文化博物館があるので、そこに行った後に寄るのも良いと思う。

 

大阪・クレープリー アルション

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大阪・難波にある、1952年に建てられた洋館を改装したクレープ屋さん。建物がかわいいし、どちらかというと若い人向けのお店だと思うけど、私は30過ぎても行きたい。もちろんクレープと紅茶も美味しくてリーズナブル。テイクアウトもやってるよ。

 

大阪・丸福珈琲店 千日前本店

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丸福珈琲店は東京・大阪を中心に何店かあるらしいけど、こちらの本店は落ち着いた雰囲気で良い。プリン美味しいです。

 

奈良・吉野葛 佐久良

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「ならまち」という、古い町並みが残るエリアにある、吉野葛専門の甘味処。古い町屋をそのまま使ったような佇まいで、座敷で食べるスタイル。

奈良は葛の名産地らしく、葛餅を提供するお店が多いが、こちらもそういうお店なのだろう。

 

他に、明治時代に建てられ、迎賓館として使用されていた、京都の「デザートカフェ 長楽館」や、やはり明治時代に、東京駅舎の設計も手掛けた辰野金吾設計の「奈良ホテル ティーラウンジ」も候補として考えたが、こちらは、デートに行きたい店というよりは、どちらかというと私個人の趣味で行きたいところだし、よくよく考えてみたら、私はデートで行きたい店には、サイゼリヤほどラフではないが、ある程度のカジュアルさを求めているなと思ったので、重厚すぎる場所はなんか違うなと思った。そういう場所だと、相手も緊張しそうだし。

 

これを書いた目的は、あまりにも「男性が店を選び、奢る」前提の話ばかりだと思ったから。なので、そうじゃない例を出しておきました。別に女性のほうが店に詳しかったり行きたいところがあるのなら、女性に決めてもらえばいいし、どこに行くか話し合えばいい。

ただ、これをするのは、まず「相手とお茶に行けるまでに仲良くなれる」というステップを踏む必要があって、たぶんそれが難しい人も沢山いるんだろうな、とは思う。逆に言えば、そこまで行けたら、あとはもう「そっちの好きな店でいいよ」と言って、女性に選んでもらえば良いのでは。

その辺の話はこちらにお任せしよう。

osharedanshi.com

 

なお、炎上した「4℃のハートネックレス」事件は、「30歳女性が、ただの飲み友達程度の関係の男性から、Canal4℃という、4℃よりさらに低年齢層向けブランドのハートネックレスを、オルゴールの箱つきで渡された」というシチュエーションだったので、私も「あー、これはやっちまいましたね……」案件だと思った。

別に「4℃なんて安物だ。もっと高い物をよこせ」的な話ではなくて、付き合ってもいない関係でこのプレゼントは重いし、年齢層的にも合っていないという話ですね……

まぁ私も、正直なところ、Canal4℃のハートネックレスは使いどころに困るし、それなら3000円弱の春画の画集でもプレゼントしてもらったほうが、まだ使いどころはあるというもの。*1

ちなみに、私はプレゼントする時も、相手にこれで良いか事前に確認しますね。サプライズは信用しない派。

yuhka-uno.hatenablog.com

yuhka-uno-no-nikki.hatenadiary.jp

 

こちらのブログを読めば、4℃というブランドがどういうイメージなのか、お分かり頂けると思う。

toianna.hatenablog.com

jewelrykaumaeni.com

 

また、サイゼリヤ初デート論争に火をつけた婚活コンサルタントも、「婚活コンサル始めた頃に女性との初ランチデートは気軽なイタリアンが良いですよってアドバイスしたらサイゼリヤデート男子が大量発生した」*2「もともと最初のデートで高級フレンチ連れてく人が続出してたので、そのために『気軽』って言葉いれてた経緯があります。」*3「1000円〜1500円くらいのランチでいいんですよ。」*4と言っているので、サイゼリヤ初デート論争にしろ、4℃問題にしろ、「女性たちが高級なものを寄越せと言っている」というイメージは、完全に風評被害である。

togetter.com

 

ちなみに、私がサイゼリヤで好きなメニューは、エスカルゴのオーブン焼きです。

 

婚活デートって、男性が奢る前提なのね。

yuhka-uno.hatenablog.com

 

[追記]

この記事書いたらセクハラされたので、書きました。

yuhka-uno.hatenablog.com

 

 

 

「男らしさを降りる」話になると必ず出てくる「男らしさを降りるとモテない!」について。#国際男性デー

news.yahoo.co.jp

 

11月19日は国際男性デーだが、この手の話題には、必ず「『男らしさ』を降りるとモテない!」と言う人が出てくる。

これについては、もっと女性の多様性を信じたほうがいいと思う。一般に、女性のほうが男性より早くに性役割からの解放を目指す文化があったので、男性に「男らしさ」を求めない女性も沢山いる。

ただし、そういう女性は、男性から「女性らしさ」を求められることを嫌う。「男らしさ」を求められたくないのなら、自分も女性に「女らしさ」を求めるべきではないし、女性に「女性らしさ」を求めるのなら、自分も相手の女性から「男性らしさ」を求められるのは、まぁ当然だろう。

 

なんというか、男性の間では、「フィクションの女性像」が作られているなと感じる。

『日本の包茎(著:澁谷知美)』の中には、「包茎を嫌う女性」というフィクションの女性像を男性が作り出し、男性同士で「そんなことじゃモテないぞ」をマウントを取り合い、それが美容整形の収入になって、男性の憎しみが女性に向かうという構図が明らかにされている。

また、『ハゲを生きる―外見と男らしさの社会学(著:須長史生)』でも、ハゲをからかうのは圧倒的に男性だという、同様の構図が指摘されている。男性に対してハゲ薄毛を活かす魅せ方を提案する「株式会社カルヴォ」の社長調べによると、7割以上の女性が「似合っていればOK」と考えているという。

wezz-y.com

toyokeizai.net

男女で食事を奢るか奢らないか問題については、元記事にもある通り、男性のほうが「奢るべき」と考える傾向があるようだ。

toyokeizai.net

 

「『男らしさ』を降りるとモテない」というのは、女性の実態に即していないと思う。確かに男らしい男性が好きな女性はいるが、それ以外の女性もいる。「モテまくる男女は少数だが、恋人ができる男性・女性は多様」というのが、実際のところだと思う。女性だって様々だから、全ての女性に好かれる男性なんていない。

また、「金を持っている」というのは、今でもモテ要素かもしれないが、今の時代は「家事育児を当たり前にやる」ほうがモテ要素だと思う。

なんというか、モテないとか幸せな恋愛ができないとかって、もっと別のところに原因があるような気がするんだよね。

 

モテなかったり幸せな恋愛ができない人って、女を選べない人が多いなと思う(女性の場合もそうだけど)。ここで言う「選べない」っていうのは、モテ男みたいによりどりみどりの女性たちの中から選ぶとかじゃなくて、「自分はこういう人間だから、こういう人と相性が良いんじゃないか。逆に、こういう人とは相性が悪い」と分析して、相性が悪い相手には好かれなくても良いと割り切ることだ。

これができないと、例えば、本当は「男が奢って当然でしょ」と思っている女が嫌いなのに、女に嫌われるのが怖くて、いつも全額奢ってしまい、でも嫌だから内心で女に対する憎悪を募らせるという、不毛なことになる。

そうやって嫌いな相手に合わせていると、自分のコミュニケーションの取り方が嫌いな女にチューニングされてしまって、本来付き合いたいタイプの女を遠ざけてしまうことになる。また、女に嫌われるのが怖くて行動する人は、「カモ」にされやすくモテにくい。

 

 

結局のところ、「女なんてどうせこうなんでしょ」と思って、目の前の女性がどういう人間かということに興味を示さない男性は、モテにくいと思う。だって、多くの女性は、女なら誰でもいいとか、単なる穴目当てではなく、自分自身だからこそ好きだと思われたいのだから。

それには、自分自身と向き合うことと、日頃から恋愛対象以外の人ともちゃんと向き合って、リアルな人間について知ろうとすることが必要だ。「自分はどういう人間なのか」に向き合ってきた人は、おのずと「相手はどういう人間なのか」に向き合えるようになると思う。

というか、「〇〇人ってどうせこうなんでしょ」と思って、目の前の相手がどういう人間かに興味を示していなかったら、そりゃ仲良くなれないよね。

 

「男性優位社会にいないと女を手に入れられない」って言う人いるけど、私の場合は「男を手に入れたい」じゃなくて「相性の合う人と付き合えたら」ぐらいに思っていて、合わない相手と付き合うことに興味がなかったので、まぁそういう人とは価値観が違うよね。

 

これは、わりと正真正銘の「彼女ができる方法」だと思う。特に第3回の「非モテだからこそあえて遠回りをする覚悟を~不自然で非合理的で無駄な選択肢に目を向けよう~」は重要。

osharedanshi.com

 

真理。

gattolibero.hatenablog.com

 

非モテと「男らしさ」について。

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この手の話には、「エマ・ワトソンだって結局ハイスぺの男と付き合ってるじゃないか!」って言う人いるけど、エマ・ワトソン自身が2009年「過去10年間で最も興行収入を稼いだ女優」になったくらいの超ハイスぺなので、大抵の男性はエマよりロースペなんだよね。

2010年11月、『デイリー・テレグラフ』紙のインタビューで過去の恋愛について「男性って恋人の方がたくさん資産を持っていたりするのはあまり良い気分がしないのよね。そのことで関係が複雑にならないように願うばかりだけど、慎重にならないとね。」と語っている。

エマ・ワトソン - Wikipedia

 

あと、女性の下方婚については、これはもちろん、男性側に、主婦志望の女性がしている努力と同程度の努力は必要だろう。何もせずに「高収入男に養われたーい」と言っているだけの女は、現代でも結婚できていないしね。

 

findup なんだかんだでハイスペ、イケメン、コミュ強、金持ちの最低一つはを満たさないと相手にされないし、それだけならまだしも条件満たさないとキモ男扱いされるからなあ。その時点で脱落だよね。

『非モテが苦しいのはなぜ? 男性の生きづらさ、根底に「未達の感覚」:朝日新聞デジタル』へのコメント

私、その条件を全て満たしていない人と付き合ってきたわ(笑)。

ただ、「1対1のコミュニケーションがちゃんととれる人」を選んできた。相手の話を聞ける、話し合いができる人ね。自分の両親を見て、話し合いのできない夫婦はダメだと思ったので。

その場を盛り上げてウェイウェイ言ってる、1対多数のコミュニケーション能力が高い人でも、1対1のコミュニケーション能力が低い人っているし。やっぱり、付き合うなら1対1のコミュニケーション能力が問われるよね。

高いメシ奢ってくれる男より、一緒にコンビニのおにぎり食ってても楽しい男のほうが貴重だよ。自分と相性の良い相手は、なかなか出会えるもんじゃないからね。

 

[2021/11/25 追記]

id:gagababan う~ん、育児や家事を重視することを、男らしさから降りるととらえるか、男らしさの項目が増えたと感じるかの違いだと思うなぁ。

えっ……家事は人として生活するためにすることで、育児は親になったからすることでしょ?そこに本来、男らしさとか女らしさとかはないよ。もちろん、生活の糧を得ることにも、本来、男らしさとか女らしさはない。

共働き世帯が主流になった今の時代では、「自分は家事も育児も仕事もやるのに、夫は家事育児しないんじゃやってられない」と思う女性は多いからね。

 

[2021/11/27]

男女平等な社会のほうが、女性の権利が守られるから、女性は守られる。不平等な社会だと、男性から女性への加害がなかったことにされるからね。

現代日本では、男が女を守って死ぬケースより、女性のケア労働によって男性の健康と寿命、精神衛生が守られているケースが多い。配偶者がいる女性といない女性では、寿命と幸福度にさほど差はないけど、男性の場合は差が顕著だから。

「僕稼がないで主夫やるよ!!!守ってね。」って男は、確かにモテないだろう。主夫業をナメてるから。主婦業は家族の健康を守る仕事。

だいたい、「いざという時守ってやらないぞ!」と言う男、いざという時守らない。あと、勝手に死ぬ前に、相手の女性が何を求めているのか聞いたほうがいい。

 

”「強い男性を求める」とか「優秀な遺伝子を求める」といったことは、私の勘では、恋愛経験の少ない人が空想で述べたことであって、まったく事実を反映していないと思う。「女性の本能」でいえば、「愛する人を守りたい」というのが本能であり、そこに強さとか遺伝子とかはまったく関係ないように思うのだ。”

ひきこもりでも結婚できる(69) | 高齢ひきこもり

この人、天然モテの人だ……!

 

id:frothmouth “女性の実態に即していないと思う” 思うだけではな...特にデータはないので、宇野さんより婚活渦中の人の言説を優先しようと思う/男らしさを降りても降りなくても良いし、モテを目的にしてもしなくてもいい

ただ恋愛したいのか、恋愛して幸せになりたいのか、ただ結婚さえできればいいのか、幸せな結婚がしたいのか。

私は、(単純な)データや未婚の婚活渦中の人より、既婚者や離婚経験者の、実生活に即した意見のほうが、参考になると思うけどね。

「夫婦とは下痢嘔吐している時に看病しあう関係です(『オクテ女子のための恋愛基礎講座~著:アルテイシア』より)」

 

私自身の恋愛観について。

yuhka-uno.hatenablog.com

yuhka-uno.hatenablog.com

 

 

日本の若者は投票しないように教育される説~投票率とブラック校則

gendai.ismedia.jp

 

若者の投票率の低さは、たびたび話題になる問題ですね。まぁ日本の場合、若者以外も投票率は全体的に大して高くはないのですが……中でも若者は低いということで、問題視されています。

 

私は、若者の投票率の低さは、学校の校則問題との関連が深いと思っています。

dot.asahi.com

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下の「黒タイツがダメなワケ~」の記事は、元のリンクが切れてしまっていますが、当時とても話題になったので、ブックマークコメントやtwitterあたりを見れば、なんとなくわかるかと。

ざっくり言うと、校則でタイツがベージュのみだったところ、生徒たちが黒タイツも認めてほしいと学校に掛け合い、生徒会議で黒タイツでも良いと出たのに、認められず、結局、保護者やOBを巻き込まなければ、校則を変えることができなかったという話です。

 

私は、これらの記事を読んだ時に、「若者の投票率が低いのは、たぶんこれのせいだろうな」と思いました。

「自分たちのルールを、自分たちで決める」ということが、大人たちから煙たがられて認められない環境で育ってきたのですから、「ルールは『上』の人たちが決めるもので、自分たちには変えられない」という感覚が身についてしまうのは当然でしょう。そういう環境下では、黙ってそれに従うか、あえて『校則破り』をするかしか選択肢がなく、声を上げ、正当な手続きを踏んでルールを変えるという選択肢は、事実上ないものになっています。

 

つまり、投票率を上げるためには、若者に投票を呼びかけようとか、政治に興味を持ってもらおうとか、投票所を増やしたりネットで投票できるようにしようとかよりも、それ以前の、投票権を持つ前の段階から変えていく必要があるんじゃないかと、私は思うのです。

(もちろん、前者のこともやっていく必要はありますが、既にそれをやっている人は沢山いるけど、あまり効果は出てないということですよね……)

 

私は、選挙権とは自己決定権だと思うんですよ。自分たちのことを、自分たちで決めるということです。歴史的に見ても、貧困者、女性、黒人、先住民族、植民地の住民など、選挙権が認められてこなかった人たちって、つまり、自己決定権を奪われていたってことなんですよね。

支配する側って、大抵、「あれしてやった、これしてやった、なのに何が不満なんだ、この恩知らずめ」って思ってる。でも、決まって、支配する側が支配される側に与えないのが、自己決定権なんです。これは、親子間の支配から、差別、植民地支配に至るまで、共通しています。

 

支配的な親のもとで育ってきた人の中には、自分で自分のことを決める能力が十分に育っていない人がいます。これはけっこう「毒親あるある」なんですよね。自分で決めているつもりでも、実は無意識に親が「NO」と言わない範囲内でしか決めていないとか。

本の学校教育って、生徒の「政治的な自己決定能力」を育てない場所になってしまっているんだと思います。若者の投票率が低いのは、なるべくしてそうなっているんです。

 

だから、若者の投票率を上げるのは、とどのつまり、若者をエンパワメントするってことだと思います。

選挙に行かない若者を「これだから若者は」みたいに言うのって、若者や選挙に行かない人を叩いてスッキリしたい欲が満たされるだけで、投票率を上げることには何ら効果がない、どころか逆効果だと思うんですね。全然、エンパワメントにならないですから。

「選挙に行かない人に文句を言う権利はない」とかもそうです。そもそも、そんなルールはありません。日本には言論の自由があるので。むしろ、まず、文句を言うことに慣れてもらったほうがいい。「自分だって、政治に文句を言っていいんだ」って感覚を掴めたら、選挙に行くことに繋がっていくと思うんです。

 

あと、「とりあえず何でもいいから投票に行け」っていうのも、違うと思うんです。自己決定能力が育っていないまま選挙に行っても、ただただ自分の意志で決めることに不安になるだけだと思うんですね。そういう状態の人が行き着く先は、大抵「みんなと一緒なら安心かも……」です。なので、自分の意志とかじゃなくて、みんなが投票しそうな人や党に投票してしまう。

確かに投票自体はしているけれど、それって、「自分の一票を投じた」ことになるんでしょうか?選挙ってそういうもんじゃないですよね。

 

というわけで、若者の投票率を上げるには、ブラック校則をなくして、「自分たちのルールを自分たちで決める」という感覚を持ってもらうのが良いんじゃないか、という話でした。

あと、政治に興味を持つのって「暇」が必要ですね。忙しいと政治のことチェックしてられない。というわけで、長時間労働をなくしましょう。

 

“ 厳しい校則というものは、教育界では「過去のこと」と思われてきた。子供たちは数十年前に比べれば、自由な学校生活を享受しているだろう、という印象だ。

 校内暴力が吹き荒れた1980年代に、生徒を取り締まるための手段として、厳格な校則が適用された。そして1990年7月に神戸市内の高校で起きた女子生徒の校門圧死事件は、管理教育の象徴としての校則の是非を、世に問うた。

 それ以降、校則問題の議論は下火になっていった。ところが現実には、むしろ校則はその厳格さが強化されているようにさえ見える。校則は、古くて新しい問題である。”

理不尽な校則 なぜ変わらないのか ――コロナ禍の校則緩和から「学校依存社会」を読み解く(内田良) - 個人 - Yahoo!ニュース

 

 

過去に書いた記事。おしゃれも選挙も自己決定。

yuhka-uno.hatenablog.com

 

 

漫画『ルックバック』の犯人描写に見る、専門家による監修の重要性


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傑作と評されながらも、統合失調症に対する偏見に基づいているとも言われて話題を呼んだ漫画「ルックバック」。単行本化されるに当たって、修正の後、再修正されたらしい。

 

私は、統合失調症については全く詳しくない。この件に言及していた多くの人と同じく、ただのド素人である。

ただ、この件については、以前見た産婦人科を舞台にしたドラマ「コウノドリ」の、聴覚障害者を扱った回を思い出した。

 

物語は、若い聴覚障害者の夫婦が出産を迎えるという話なのだが、まず、手話を半年習っただけの私が見て、すぐに「あ、聞こえる人が演じているな」とわかってしまった。

手話は、手の動きの他に、口の形や頷きや表情にも文脈がある。なので、ネイティブの手話者は独特の表情の豊かさがある。しかし、このドラマの夫婦は、そういった表情をほとんど作れていないように感じた。

 

また、出産を迎える女性のほうは、親から「聴覚障害者同士でどうやって子育てしていくのか」と言われており、夫婦はそれに葛藤を感じているという描写があった。

私が手話を習っていた時、ろう者の講師の中には、聴覚障害者同士で結婚して子供を育て上げた人が何人もいた。「普通」に暮らしていれば、そのような夫婦には滅多に会わないかもしれないが、手話者のコミュニティにいれば、そのような夫婦は珍しくないはずだから、おそらく、この夫婦は二人だけで悩んだりせず、聴覚障害者の先輩たちをロールモデルにするのではないだろうか。

 

最後のシーンでは、夫婦と子供で道を歩いていて、後ろに来ている車がクラクションを鳴らしても気付かず、聞こえる子供が泣いたことで車が来ていることに気付く演出になっていた。後ろから来ているものに気付かないということはあるかもしれないが、「歩き方」に違和感を感じた。周囲を見渡すことなく歩いているのが、なんだかろう者っぽくない。

他の部分についても、なんというか、全体的に「健常者中心的なものの見方」のようなものを感じてしまった。

 

演じていたのは、志田未来泉澤祐希らしい。*1

ドラマ「愛していると言ってくれ」では、豊川悦司聴覚障害者を演じる必要性はあったのだろうが(笑)、こういう役で、ろう者ではなく聴者の役者が演じる必要性はあったのだろうか。事務所都合というやつなのだろうか。

最近のハリウッド等では、障害者の役を健常者が演じることが問題視されていると聞く。

ちなみに、原作は内容が違うらしい。

 

blog.goo.ne.jp

 

www.huffingtonpost.jp

 

私は、「ルックバック」のような件に関しては、「大多数の素人意見より、専門家による監修」だと思う(新型コロナウイルスに関してもそうであるように)。特にルックバックにおける犯人のシーンは、あの作品において非常に重要なシーンだからこそ、専門家にしっかり監修してもらったほうが良かったと思う。そのほうが、より犯人像がリアルになり、質の良い作品になったのではないだろうか。逆に言えば、監修をつけずに描いてしまえば、大多数の人にはわからなくとも、少数のわかる人にはリアリティが感じられず、「他は素晴らしいが、このシーンだけはあまりにも凡庸」と評価される描写になってしまう可能性がある。

こういうことの中には、今の時代にはわかる人が少なくても、何十年か経って、世の中のリテラシーがアップデートされると、「他はすごく良いけど、この描写に関しては安易で陳腐だ」「まぁ、当時はそういう時代だったんだよね」という評価になってしまう可能性がある。

 

この手のものでいつも思い出すのは、1961年のオードリー・ヘップバーン主演映画『ティファニーで朝食を』である。

この映画にはミスター・ユニオシという日本人あるいは日系人が登場するが、あまりにもステレオタイプな日本人像に演出されていて、当時は問題として認識されていなかったが、後に批判されるようになり、今の時代に見れば、ユニオシ氏が出ていないところは名作映画だが、ユニオシ氏が出ているところだけ非常に残念という作品になってしまっている。

 

(※『ティファニーで朝食を』におけるミスター・ユニオシのシーン)


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2014年の映画『ベイマックス』における日本要素の描写が、隅々まで日本人から見て違和感がなかったことへの驚きから。マイノリティの描写についてコストをかけるのは、時代考証と同じという話。

togetter.com

 

映画『マッドマックス 怒りのデス・ロード(Mad Max: Fury Road)』を制作したジョージ・ミラー監督は、ウォーボーイズたちを描写するにあたってはミリタリーの専門家を、悪の親玉イモータン・ジョーの子供を産むために監禁されている5人の妻たちには、アフリカにおける女性の人身売買の問題に詳しい人を、監修につけてワークショップを行ったという。

 

また、今回の件で「感動の厄介さ」も感じた。犯人の描写について、多くの当事者や専門家が違和感を表明していたが、その声を「クレーマー」と受け取り、「うるさい連中」のように言う人が後を絶たなかった。

「感動に水を差された」という思いがそうさせるのかもしれない。障害の世界では「感動ポルノ」という言葉があるが、感動は時に厄介なものだと思う。時に感動は、何かを無視させ、重要な助言に対して耳を塞ぎ、事実を言う者を退けてしまう。

 

この漫画は、統合失調症に対する偏見が指摘されていた。私は、偏見とは、誤った知識のことだと思う。人は、わからないという自覚があるからこそ調べようと思うのであって、その自覚がなければ調べようとはしない。偏見は「誤った知識」だから、人は、偏見を持ったことについては、調べようという発想自体なかなかできないものだ。

この件については、大多数の知らない者にとっては、当事者や専門家による批判や指摘がどれほど妥当なものなのか、どの程度問題なのか、判断できないものなのだろう。なぜなら、偏見は自分では自覚できないし、自分がどれほど知らないかを知らないからだ。この手のことは、自分がどれほど知らなかったかということを思い知らされたことがある者しか、判断できないものなのだろう。

”また、この効果を定義したデイヴィッド・ダニング(英語版)とジャスティン・クルーガー(英語版)によって2012年に行われた「なぜ能力の低い人間は自身を素晴らしいと思い込むのか」という調査によれば、能力の低い人間には以下のような特徴があることが分かった。

・自身の能力が不足していることを認識できない
・自身の能力の不十分さの程度を認識できない
・他者の能力の高さを正確に推定できない
・その能力について実際に訓練を積んだ後であれば、自身の能力の欠如を認識できる。”

ダニング=クルーガー効果 - Wikipedia

 

 

言われてみれば、確かに、「絵から罵倒が聞こえた」というのは、統合失調症のことを知らない人が思い浮かべがちな統合失調症者像ではありそうだ。

この作品のモデルとなったであろう京都アニメーションの事件の犯人も、自分の案がパクられたという意味のことは言ってたが、「アニメから罵倒が聞こえた」という趣旨のことを言ったかどうかは、私の記憶にはない。

結局、最終的に単行本で修正された犯人の描写では、「絵から罵倒が聞こえた」は取り消されているらしいので、やはりそこがネックだったのかもしれない。

 

これはあくまでも想像に過ぎないが……最初の作品発表時と1度目の修正の時には、監修は入らず、単行本化にあたっての修正では監修が入ったのではないだろうか。そして、おそらく、当事者や専門家たちが望むものもまた、やみくもな修正ではなく、きちんと監修が入った形での修正なのではないだろうか。

今の時点で、多くの人が心動かされた作品が、何十年経った後も「いい作品」として見られるために、こういうところは、専門家による監修のもと、修正しておいたほうが良いのだと思う。

 

2021.10.3追記

id:homarara 健常者の犯人は描いて良くて、統合失調症の犯人は描いちゃダメなのか?

描くこと自体は構わないと思う。統合失調症者だって殺人者になり得るだろう。健常者がそうであるように。

ただ、統合失調症者が健常者と大して変わらない動機で犯行に及ぶならともかく、統合失調症者が統合失調症の特性ゆえに犯行に及ぶ様を描くのなら、相当調べて描く必要があるし、もし上手く描くことができれば、むしろ当事者や専門家からは関心されるのではないだろうか。

 

と言うのも、これを書いている私自身、自閉症スペクトラム障害、いわゆるアスペルガー症候群と呼ばれていた発達障害者だからだ。

アスペルガー症候群は、附属池田小事件の犯人が「精神障害者なら減刑される」と言っていたことで、「精神障害者なら、あんなに重大な殺人を犯しても、罪に問われないのか」という世論が高まり、一時期、精神障害の代わりにアスペルガー症候群が、犯人を弁護する材料として安易に持ち出されていた時期があった。そのため、「アスペルガー症候群は犯罪者になりやすい」という偏見に繋がった歴史がある。

 

だが、当事者の私から見ると、本当にアスペルガー症候群の特性ゆえに犯行に及んだかもしれないと思われる事例は、ごく僅かしかなく、大半は、たとえアスペルガー症候群であったとしても、他の原因が大きいだろうというものが多かった。

例えば、秋葉原通り魔事件の犯人も、当初はアスペルガー症候群説が持ち上がっていたが、後に、母親から苛烈な虐待を受けていたことが判明し、どう考えてもそっちの影響のほうが大きいだろうと思われた。

東海道新幹線車内殺傷事件の犯人は、自閉症と診断されていたが、家庭環境の不遇さが判明している。

私が過去に、「もしかしたら、自閉症の特性が原因かも」と思った、ごく僅かな例としては、自衛官の夫が、家庭内別居状態の妻の具合が悪くなっていたのに、適切な対処をせず死なせたという事件だった。

 

もしフィクションで、自閉症スペクトラム障害という設定の人物が、その特性ゆえに犯行に及ぶシーンがあったとして、その描写に説得力があれば、私は「上手く描けているなー」と関心するだろう。

 

id:shiju_kago クリエイターには『俺の脳内を盗んだな!』と言ってくるやつに被害にあってきた歴史があって、それがあの事件で大量虐殺に発展したのだけど、それを統合失調症という症状に帰結していいかはセンシティブな問題だよ

これは本当にそうで、そもそも、京アニ事件の犯人は、当初からネット上で「統合失調症なんじゃないか」と言われていたけれど、実際に統合失調症と診断されたのかどうか、私は知らない。

また、京アニ事件の犯人は、自分の脳内だけに存在していた案をパクられたと言っていたのではなく、京アニに応募したものがパクられたと言っていたわけで、クリエイター側から見ればどちらも言いがかりだが、精神疾患の側から見れば、この違いは考慮すべきかもしれない。

また、そもそも、多くの人は、実際に自分の案がパクられることがあっても、大量殺害はしないというのもある。

 

 

※この記事で手話や聴覚障害者について興味を持った方は、こちらもどうぞ!

yuhka-uno.hatenablog.com

 

 

 

 

大人はなぜ若者文化をバカにするのか

私はバリバリの若者だった頃、大人はなぜ若者文化をバカにしてくるのか、ずっと疑問に思っていました。私自身は若者の流行に乗るほうではなかったのですが、それでも、別に大人たちを攻撃しているわけでもない、ただ単に若者が勝手に楽しんでいるだけのことにも、いちいちバカにしてくる大人たちの存在というのは、謎でした。若者は、大人たちが大人たちの時代のものを楽しんでいても、別に何とも思わないのに……

 

また、私が若者だった頃は、上の就職氷河期世代の人たちもまだ若者扱いで、社会の中で大した発言力もありませんでした。就職氷河期世代を救済しないことには、いずれ社会全体にそのツケが回ってくるであろうことは、おそらく、就職氷河期世代より下の世代は、感覚的に理解していたでしょうが、どうにも、年長者世代にはあまり理解されていないようなフシがありました。

それどころか、「今の若者はモノに囲まれて豊かに育って、何の苦労もなかった世代」だとか、「近頃の若者は頼りない。軍隊に入れて鍛えたほうがいい」だとか言われていました。

 

そういうわけで、当時の私は、上の世代の大人たちを見て、「人はなぜ老害になるのか」を考えるようになりました。色々考えた結果としては、大抵は、「若い頃のまま感覚が更新されず、止まってしまっているから」というのが原因でした。

 

togetter.com

 

上の話は、流行には乗りたくないと思っていた著者が、クリエイティブな人になるための講座に行って、講師から「センスを良くしたいなら、流行っているものを浴びまくって下さい」「例えば、パンケーキを食べに行って下さい」と言われるエピソードが書かれています。

また、「クリエイターが嘘の感情を出すと、その嘘に呪われることになる」と言われて、「今まで発信してた『若者文化ギライ』みたいな言葉も、私に呪いをかける嘘の感情だったかも…」という言葉とともに、「インスタ楽しいしパンケーキおいしいね」と言っている若者女子に対して「ケッ!!イカのこのわたのが旨いで!!」と言いつつ、本当の私が「うわああん パンケーキ食べたいぃぃ」と叫んでいる絵が描かれています。

 

 

たぶんですけど、若者文化をバカにする大人って、若者だった頃、流行りに乗れてイケてるグループになりたいけどなれないという、鬱屈した思いを抱いて過ごしてきた人が多いんじゃないかと思います。

そういう人が若者をバカにする時は、高校生くらいの自分が、自分より上の「強者」を攻撃する感覚で言ってるんだと思います。でも実際には自分はもうとっくに大人で、若者より発言権があって権力的に上になってるから、若者に対する抑圧としてしか働かないんですよね。

若者時代に流行に乗るタイプだった人は、今では、インスタに自撮り載せてパンケーキ食べてタピオカドリンク飲んでる大人になってると思うんですよ。

 

つまり、これも「若い頃のまま感覚が更新されず、止まってしまっているから」なんですね。

他の部分では大人でも、若者の頃の傷が癒えていなくて、イケてる若者が楽しんでそうな文化を見ると、傷が開いて高校生の頃に戻ってしまう。そして、自分よりいくつも年下の若者につっかかってしまう。

これは、虐待連鎖に似ていると思います。自分が子供の頃についた傷を、大人になってから、自分の子供にぶつけてしまうという。

一方、若者はそういう大人の事情なんてわかるわけないので、なんで攻撃されるのか意味不明なんですよね。

 

何年か前、あるホテルが、自撮りが好きな若い女性向けに、女性誌とコラボしてナイトプールを提供したことがありました。その際、ナイトプール利用者の女性たちが「泳がない」「撮影するから、水に顔はつけない」などと言っているのに対して、「いやプールは泳ぐとこだろwww」とバカにする人が沢山いました。

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そもそも、本気で泳いで良いプールは、競泳用プールかジムのプールくらいで、ホテルにあるようなリゾート用のプールや、ウォータースライダーがあるようなファミリー向けプールでは、本気で泳ぐほうが迷惑なのですが……それはともかく、この時も、流行りに載るキラキラした若い女性をバカにしたい人たちの圧がすごかった記憶があります。

 

特に男性が、流行に乗る若くてキラキラした女性をバカにする場合、若い女性に対する欲望と嫉妬が混ざってる傾向があるなと思いました。

イケてない高校生の男子が、スクールカースト上位のキラキラした女の子に欲望しつつも、「どうせ俺なんか相手にされない」と思って、鬱屈した気分を抱えているような……そして、「あいつらはバカだから、あんなバカみたいな流行に流されるんだ」と思って、「あいつら」に相手にされない自分を納得させようとするような……

これが本当に高校生男子だったらまだ可愛いものですが、実際には感覚が高校生に戻っているおっさんなので、若い女性からすると、わけがわからない上に、なかなか恐怖でしょう。

 

ただ、若者時代にイケてなかった人の全員が全員、若者文化をバカにするようになるわけではありません。特にイケてるグループになりたいわけでもなく、「自分は自分」という感じで過ごしてきた人は、大人になっても、若者文化にコンプレックスを感じずに過ごしていると思います。

 

あと、年齢を重ねたことによって、社会の中での自分の発言力が強くなっていて、若者に抑圧的に働くようになっている自覚がないっていうのもありそうですね。これは、会社の中での上司とかでもありますけど。

これもまた、「若い頃のまま感覚が更新されず、止まってしまっているから」の一種ですね。

 

「大人はなぜ若者文化をバカにするのか」については、他にも理由があるでしょうが、一例として、「若い頃から流行りの若者文化をバカにしていたから」というのは、あるかもですね。

パンケーキもイカのこのわたも美味しいですよ。好きなほう食べればいいんですよ。