宇野ゆうかの備忘録

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「男らしさを降りる」話になると必ず出てくる「男らしさを降りるとモテない!」について。#国際男性デー

news.yahoo.co.jp

 

11月19日は国際男性デーだが、この手の話題には、必ず「『男らしさ』を降りるとモテない!」と言う人が出てくる。

これについては、もっと女性の多様性を信じたほうがいいと思う。一般に、女性のほうが男性より早くに性役割からの解放を目指す文化があったので、男性に「男らしさ」を求めない女性も沢山いる。

ただし、そういう女性は、男性から「女性らしさ」を求められることを嫌う。「男らしさ」を求められたくないのなら、自分も女性に「女らしさ」を求めるべきではないし、女性に「女性らしさ」を求めるのなら、自分も相手の女性から「男性らしさ」を求められるのは、まぁ当然だろう。

 

なんというか、男性の間では、「フィクションの女性像」が作られているなと感じる。

『日本の包茎(著:澁谷知美)』の中には、「包茎を嫌う女性」というフィクションの女性像を男性が作り出し、男性同士で「そんなことじゃモテないぞ」をマウントを取り合い、それが美容整形の収入になって、男性の憎しみが女性に向かうという構図が明らかにされている。

また、『ハゲを生きる―外見と男らしさの社会学(著:須長史生)』でも、ハゲをからかうのは圧倒的に男性だという、同様の構図が指摘されている。男性に対してハゲ薄毛を活かす魅せ方を提案する「株式会社カルヴォ」の社長調べによると、7割以上の女性が「似合っていればOK」と考えているという。

wezz-y.com

toyokeizai.net

男女で食事を奢るか奢らないか問題については、元記事にもある通り、男性のほうが「奢るべき」と考える傾向があるようだ。

toyokeizai.net

 

「『男らしさ』を降りるとモテない」というのは、女性の実態に即していないと思う。確かに男らしい男性が好きな女性はいるが、それ以外の女性もいる。「モテまくる男女は少数だが、恋人ができる男性・女性は多様」というのが、実際のところだと思う。女性だって様々だから、全ての女性に好かれる男性なんていない。

また、「金を持っている」というのは、今でもモテ要素かもしれないが、今の時代は「家事育児を当たり前にやる」ほうがモテ要素だと思う。

なんというか、モテないとか幸せな恋愛ができないとかって、もっと別のところに原因があるような気がするんだよね。

 

モテなかったり幸せな恋愛ができない人って、女を選べない人が多いなと思う(女性の場合もそうだけど)。ここで言う「選べない」っていうのは、モテ男みたいによりどりみどりの女性たちの中から選ぶとかじゃなくて、「自分はこういう人間だから、こういう人と相性が良いんじゃないか。逆に、こういう人とは相性が悪い」と分析して、相性が悪い相手には好かれなくても良いと割り切ることだ。

これができないと、例えば、本当は「男が奢って当然でしょ」と思っている女が嫌いなのに、女に嫌われるのが怖くて、いつも全額奢ってしまい、でも嫌だから内心で女に対する憎悪を募らせるという、不毛なことになる。

そうやって嫌いな相手に合わせていると、自分のコミュニケーションの取り方が嫌いな女にチューニングされてしまって、本来付き合いたいタイプの女を遠ざけてしまうことになる。また、女に嫌われるのが怖くて行動する人は、「カモ」にされやすくモテにくい。

 

 

結局のところ、「女なんてどうせこうなんでしょ」と思って、目の前の女性がどういう人間かということに興味を示さない男性は、モテにくいと思う。だって、多くの女性は、女なら誰でもいいとか、単なる穴目当てではなく、自分自身だからこそ好きだと思われたいのだから。

それには、自分自身と向き合うことと、日頃から恋愛対象以外の人ともちゃんと向き合って、リアルな人間について知ろうとすることが必要だ。「自分はどういう人間なのか」に向き合ってきた人は、おのずと「相手はどういう人間なのか」に向き合えるようになると思う。

というか、「〇〇人ってどうせこうなんでしょ」と思って、目の前の相手がどういう人間かに興味を示していなかったら、そりゃ仲良くなれないよね。

 

「男性優位社会にいないと女を手に入れられない」って言う人いるけど、私の場合は「男を手に入れたい」じゃなくて「相性の合う人と付き合えたら」ぐらいに思っていて、合わない相手と付き合うことに興味がなかったので、まぁそういう人とは価値観が違うよね。

 

これは、わりと正真正銘の「彼女ができる方法」だと思う。特に第3回の「非モテだからこそあえて遠回りをする覚悟を~不自然で非合理的で無駄な選択肢に目を向けよう~」は重要。

osharedanshi.com

 

真理。

gattolibero.hatenablog.com

 

非モテと「男らしさ」について。

www.asahi.com

 

この手の話には、「エマ・ワトソンだって結局ハイスぺの男と付き合ってるじゃないか!」って言う人いるけど、エマ・ワトソン自身が2009年「過去10年間で最も興行収入を稼いだ女優」になったくらいの超ハイスぺなので、大抵の男性はエマよりロースペなんだよね。

2010年11月、『デイリー・テレグラフ』紙のインタビューで過去の恋愛について「男性って恋人の方がたくさん資産を持っていたりするのはあまり良い気分がしないのよね。そのことで関係が複雑にならないように願うばかりだけど、慎重にならないとね。」と語っている。

エマ・ワトソン - Wikipedia

 

あと、女性の下方婚については、これはもちろん、男性側に、主婦志望の女性がしている努力と同程度の努力は必要だろう。何もせずに「高収入男に養われたーい」と言っているだけの女は、現代でも結婚できていないしね。

 

findup なんだかんだでハイスペ、イケメン、コミュ強、金持ちの最低一つはを満たさないと相手にされないし、それだけならまだしも条件満たさないとキモ男扱いされるからなあ。その時点で脱落だよね。

『非モテが苦しいのはなぜ? 男性の生きづらさ、根底に「未達の感覚」:朝日新聞デジタル』へのコメント

私、その条件を全て満たしていない人と付き合ってきたわ(笑)。

ただ、「1対1のコミュニケーションがちゃんととれる人」を選んできた。相手の話を聞ける、話し合いができる人ね。自分の両親を見て、話し合いのできない夫婦はダメだと思ったので。

その場を盛り上げてウェイウェイ言ってる、1対多数のコミュニケーション能力が高い人でも、1対1のコミュニケーション能力が低い人っているし。やっぱり、付き合うなら1対1のコミュニケーション能力が問われるよね。

高いメシ奢ってくれる男より、一緒にコンビニのおにぎり食ってても楽しい男のほうが貴重だよ。自分と相性の良い相手は、なかなか出会えるもんじゃないからね。

 

[2021/11/25 追記]

id:gagababan う~ん、育児や家事を重視することを、男らしさから降りるととらえるか、男らしさの項目が増えたと感じるかの違いだと思うなぁ。

えっ……家事は人として生活するためにすることで、育児は親になったからすることでしょ?そこに本来、男らしさとか女らしさとかはないよ。もちろん、生活の糧を得ることにも、本来、男らしさとか女らしさはない。

共働き世帯が主流になった今の時代では、「自分は家事も育児も仕事もやるのに、夫は家事育児しないんじゃやってられない」と思う女性は多いからね。

 

[2021/11/27]

男女平等な社会のほうが、女性の権利が守られるから、女性は守られる。不平等な社会だと、男性から女性への加害がなかったことにされるからね。

現代日本では、男が女を守って死ぬケースより、女性のケア労働によって男性の健康と寿命、精神衛生が守られているケースが多い。配偶者がいる女性といない女性では、寿命と幸福度にさほど差はないけど、男性の場合は差が顕著だから。

「僕稼がないで主夫やるよ!!!守ってね。」って男は、確かにモテないだろう。主夫業をナメてるから。主婦業は家族の健康を守る仕事。

だいたい、「いざという時守ってやらないぞ!」と言う男、いざという時守らない。あと、勝手に死ぬ前に、相手の女性が何を求めているのか聞いたほうがいい。

 

”「強い男性を求める」とか「優秀な遺伝子を求める」といったことは、私の勘では、恋愛経験の少ない人が空想で述べたことであって、まったく事実を反映していないと思う。「女性の本能」でいえば、「愛する人を守りたい」というのが本能であり、そこに強さとか遺伝子とかはまったく関係ないように思うのだ。”

ひきこもりでも結婚できる(69) | 高齢ひきこもり

この人、天然モテの人だ……!

 

 

私自身の恋愛観について。

yuhka-uno.hatenablog.com

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日本の若者は投票しないように教育される説~投票率とブラック校則

gendai.ismedia.jp

 

若者の投票率の低さは、たびたび話題になる問題ですね。まぁ日本の場合、若者以外も投票率は全体的に大して高くはないのですが……中でも若者は低いということで、問題視されています。

 

私は、若者の投票率の低さは、学校の校則問題との関連が深いと思っています。

dot.asahi.com

b.hatena.ne.jp

下の「黒タイツがダメなワケ~」の記事は、元のリンクが切れてしまっていますが、当時とても話題になったので、ブックマークコメントやtwitterあたりを見れば、なんとなくわかるかと。

ざっくり言うと、校則でタイツがベージュのみだったところ、生徒たちが黒タイツも認めてほしいと学校に掛け合い、生徒会議で黒タイツでも良いと出たのに、認められず、結局、保護者やOBを巻き込まなければ、校則を変えることができなかったという話です。

 

私は、これらの記事を読んだ時に、「若者の投票率が低いのは、たぶんこれのせいだろうな」と思いました。

「自分たちのルールを、自分たちで決める」ということが、大人たちから煙たがられて認められない環境で育ってきたのですから、「ルールは『上』の人たちが決めるもので、自分たちには変えられない」という感覚が身についてしまうのは当然でしょう。そういう環境下では、黙ってそれに従うか、あえて『校則破り』をするかしか選択肢がなく、声を上げ、正当な手続きを踏んでルールを変えるという選択肢は、事実上ないものになっています。

 

つまり、投票率を上げるためには、若者に投票を呼びかけようとか、政治に興味を持ってもらおうとか、投票所を増やしたりネットで投票できるようにしようとかよりも、それ以前の、投票権を持つ前の段階から変えていく必要があるんじゃないかと、私は思うのです。

(もちろん、前者のこともやっていく必要はありますが、既にそれをやっている人は沢山いるけど、あまり効果は出てないということですよね……)

 

私は、選挙権とは自己決定権だと思うんですよ。自分たちのことを、自分たちで決めるということです。歴史的に見ても、貧困者、女性、黒人、先住民族、植民地の住民など、選挙権が認められてこなかった人たちって、つまり、自己決定権を奪われていたってことなんですよね。

支配する側って、大抵、「あれしてやった、これしてやった、なのに何が不満なんだ、この恩知らずめ」って思ってる。でも、決まって、支配する側が支配される側に与えないのが、自己決定権なんです。これは、親子間の支配から、差別、植民地支配に至るまで、共通しています。

 

支配的な親のもとで育ってきた人の中には、自分で自分のことを決める能力が十分に育っていない人がいます。これはけっこう「毒親あるある」なんですよね。自分で決めているつもりでも、実は無意識に親が「NO」と言わない範囲内でしか決めていないとか。

本の学校教育って、生徒の「政治的な自己決定能力」を育てない場所になってしまっているんだと思います。若者の投票率が低いのは、なるべくしてそうなっているんです。

 

だから、若者の投票率を上げるのは、とどのつまり、若者をエンパワメントするってことだと思います。

選挙に行かない若者を「これだから若者は」みたいに言うのって、若者や選挙に行かない人を叩いてスッキリしたい欲が満たされるだけで、投票率を上げることには何ら効果がない、どころか逆効果だと思うんですね。全然、エンパワメントにならないですから。

「選挙に行かない人に文句を言う権利はない」とかもそうです。そもそも、そんなルールはありません。日本には言論の自由があるので。むしろ、まず、文句を言うことに慣れてもらったほうがいい。「自分だって、政治に文句を言っていいんだ」って感覚を掴めたら、選挙に行くことに繋がっていくと思うんです。

 

あと、「とりあえず何でもいいから投票に行け」っていうのも、違うと思うんです。自己決定能力が育っていないまま選挙に行っても、ただただ自分の意志で決めることに不安になるだけだと思うんですね。そういう状態の人が行き着く先は、大抵「みんなと一緒なら安心かも……」です。なので、自分の意志とかじゃなくて、みんなが投票しそうな人や党に投票してしまう。

確かに投票自体はしているけれど、それって、「自分の一票を投じた」ことになるんでしょうか?選挙ってそういうもんじゃないですよね。

 

というわけで、若者の投票率を上げるには、ブラック校則をなくして、「自分たちのルールを自分たちで決める」という感覚を持ってもらうのが良いんじゃないか、という話でした。

あと、政治に興味を持つのって「暇」が必要ですね。忙しいと政治のことチェックしてられない。というわけで、長時間労働をなくしましょう。

 

“ 厳しい校則というものは、教育界では「過去のこと」と思われてきた。子供たちは数十年前に比べれば、自由な学校生活を享受しているだろう、という印象だ。

 校内暴力が吹き荒れた1980年代に、生徒を取り締まるための手段として、厳格な校則が適用された。そして1990年7月に神戸市内の高校で起きた女子生徒の校門圧死事件は、管理教育の象徴としての校則の是非を、世に問うた。

 それ以降、校則問題の議論は下火になっていった。ところが現実には、むしろ校則はその厳格さが強化されているようにさえ見える。校則は、古くて新しい問題である。”

理不尽な校則 なぜ変わらないのか ――コロナ禍の校則緩和から「学校依存社会」を読み解く(内田良) - 個人 - Yahoo!ニュース

 

 

過去に書いた記事。おしゃれも選挙も自己決定。

yuhka-uno.hatenablog.com

 

 

漫画『ルックバック』の犯人描写に見る、専門家による監修の重要性


togetter.com

 

傑作と評されながらも、統合失調症に対する偏見に基づいているとも言われて話題を呼んだ漫画「ルックバック」。単行本化されるに当たって、修正の後、再修正されたらしい。

 

私は、統合失調症については全く詳しくない。この件に言及していた多くの人と同じく、ただのド素人である。

ただ、この件については、以前見た産婦人科を舞台にしたドラマ「コウノドリ」の、聴覚障害者を扱った回を思い出した。

 

物語は、若い聴覚障害者の夫婦が出産を迎えるという話なのだが、まず、手話を半年習っただけの私が見て、すぐに「あ、聞こえる人が演じているな」とわかってしまった。

手話は、手の動きの他に、口の形や頷きや表情にも文脈がある。なので、ネイティブの手話者は独特の表情の豊かさがある。しかし、このドラマの夫婦は、そういった表情をほとんど作れていないように感じた。

 

また、出産を迎える女性のほうは、親から「聴覚障害者同士でどうやって子育てしていくのか」と言われており、夫婦はそれに葛藤を感じているという描写があった。

私が手話を習っていた時、ろう者の講師の中には、聴覚障害者同士で結婚して子供を育て上げた人が何人もいた。「普通」に暮らしていれば、そのような夫婦には滅多に会わないかもしれないが、手話者のコミュニティにいれば、そのような夫婦は珍しくないはずだから、おそらく、この夫婦は二人だけで悩んだりせず、聴覚障害者の先輩たちをロールモデルにするのではないだろうか。

 

最後のシーンでは、夫婦と子供で道を歩いていて、後ろに来ている車がクラクションを鳴らしても気付かず、聞こえる子供が泣いたことで車が来ていることに気付く演出になっていた。後ろから来ているものに気付かないということはあるかもしれないが、「歩き方」に違和感を感じた。周囲を見渡すことなく歩いているのが、なんだかろう者っぽくない。

他の部分についても、なんというか、全体的に「健常者中心的なものの見方」のようなものを感じてしまった。

 

演じていたのは、志田未来泉澤祐希らしい。*1

ドラマ「愛していると言ってくれ」では、豊川悦司聴覚障害者を演じる必要性はあったのだろうが(笑)、こういう役で、ろう者ではなく聴者の役者が演じる必要性はあったのだろうか。事務所都合というやつなのだろうか。

最近のハリウッド等では、障害者の役を健常者が演じることが問題視されていると聞く。

ちなみに、原作は内容が違うらしい。

 

blog.goo.ne.jp

 

www.huffingtonpost.jp

 

私は、「ルックバック」のような件に関しては、「大多数の素人意見より、専門家による監修」だと思う(新型コロナウイルスに関してもそうであるように)。特にルックバックにおける犯人のシーンは、あの作品において非常に重要なシーンだからこそ、専門家にしっかり監修してもらったほうが良かったと思う。そのほうが、より犯人像がリアルになり、質の良い作品になったのではないだろうか。逆に言えば、監修をつけずに描いてしまえば、大多数の人にはわからなくとも、少数のわかる人にはリアリティが感じられず、「他は素晴らしいが、このシーンだけはあまりにも凡庸」と評価される描写になってしまう可能性がある。

こういうことの中には、今の時代にはわかる人が少なくても、何十年か経って、世の中のリテラシーがアップデートされると、「他はすごく良いけど、この描写に関しては安易で陳腐だ」「まぁ、当時はそういう時代だったんだよね」という評価になってしまう可能性がある。

 

この手のものでいつも思い出すのは、1961年のオードリー・ヘップバーン主演映画『ティファニーで朝食を』である。

この映画にはミスター・ユニオシという日本人あるいは日系人が登場するが、あまりにもステレオタイプな日本人像に演出されていて、当時は問題として認識されていなかったが、後に批判されるようになり、今の時代に見れば、ユニオシ氏が出ていないところは名作映画だが、ユニオシ氏が出ているところだけ非常に残念という作品になってしまっている。

 

(※『ティファニーで朝食を』におけるミスター・ユニオシのシーン)


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2014年の映画『ベイマックス』における日本要素の描写が、隅々まで日本人から見て違和感がなかったことへの驚きから。マイノリティの描写についてコストをかけるのは、時代考証と同じという話。

togetter.com

 

映画『マッドマックス 怒りのデス・ロード(Mad Max: Fury Road)』を制作したジョージ・ミラー監督は、ウォーボーイズたちを描写するにあたってはミリタリーの専門家を、悪の親玉イモータン・ジョーの子供を産むために監禁されている5人の妻たちには、アフリカにおける女性の人身売買の問題に詳しい人を、監修につけてワークショップを行ったという。

 

また、今回の件で「感動の厄介さ」も感じた。犯人の描写について、多くの当事者や専門家が違和感を表明していたが、その声を「クレーマー」と受け取り、「うるさい連中」のように言う人が後を絶たなかった。

「感動に水を差された」という思いがそうさせるのかもしれない。障害の世界では「感動ポルノ」という言葉があるが、感動は時に厄介なものだと思う。時に感動は、何かを無視させ、重要な助言に対して耳を塞ぎ、事実を言う者を退けてしまう。

 

この漫画は、統合失調症に対する偏見が指摘されていた。私は、偏見とは、誤った知識のことだと思う。人は、わからないという自覚があるからこそ調べようと思うのであって、その自覚がなければ調べようとはしない。偏見は「誤った知識」だから、人は、偏見を持ったことについては、調べようという発想自体なかなかできないものだ。

この件については、大多数の知らない者にとっては、当事者や専門家による批判や指摘がどれほど妥当なものなのか、どの程度問題なのか、判断できないものなのだろう。なぜなら、偏見は自分では自覚できないし、自分がどれほど知らないかを知らないからだ。この手のことは、自分がどれほど知らなかったかということを思い知らされたことがある者しか、判断できないものなのだろう。

”また、この効果を定義したデイヴィッド・ダニング(英語版)とジャスティン・クルーガー(英語版)によって2012年に行われた「なぜ能力の低い人間は自身を素晴らしいと思い込むのか」という調査によれば、能力の低い人間には以下のような特徴があることが分かった。

・自身の能力が不足していることを認識できない
・自身の能力の不十分さの程度を認識できない
・他者の能力の高さを正確に推定できない
・その能力について実際に訓練を積んだ後であれば、自身の能力の欠如を認識できる。”

ダニング=クルーガー効果 - Wikipedia

 

 

言われてみれば、確かに、「絵から罵倒が聞こえた」というのは、統合失調症のことを知らない人が思い浮かべがちな統合失調症者像ではありそうだ。

この作品のモデルとなったであろう京都アニメーションの事件の犯人も、自分の案がパクられたという意味のことは言ってたが、「アニメから罵倒が聞こえた」という趣旨のことを言ったかどうかは、私の記憶にはない。

結局、最終的に単行本で修正された犯人の描写では、「絵から罵倒が聞こえた」は取り消されているらしいので、やはりそこがネックだったのかもしれない。

 

これはあくまでも想像に過ぎないが……最初の作品発表時と1度目の修正の時には、監修は入らず、単行本化にあたっての修正では監修が入ったのではないだろうか。そして、おそらく、当事者や専門家たちが望むものもまた、やみくもな修正ではなく、きちんと監修が入った形での修正なのではないだろうか。

今の時点で、多くの人が心動かされた作品が、何十年経った後も「いい作品」として見られるために、こういうところは、専門家による監修のもと、修正しておいたほうが良いのだと思う。

 

2021.10.3追記

id:homarara 健常者の犯人は描いて良くて、統合失調症の犯人は描いちゃダメなのか?

描くこと自体は構わないと思う。統合失調症者だって殺人者になり得るだろう。健常者がそうであるように。

ただ、統合失調症者が健常者と大して変わらない動機で犯行に及ぶならともかく、統合失調症者が統合失調症の特性ゆえに犯行に及ぶ様を描くのなら、相当調べて描く必要があるし、もし上手く描くことができれば、むしろ当事者や専門家からは関心されるのではないだろうか。

 

と言うのも、これを書いている私自身、自閉症スペクトラム障害、いわゆるアスペルガー症候群と呼ばれていた発達障害者だからだ。

アスペルガー症候群は、附属池田小事件の犯人が「精神障害者なら減刑される」と言っていたことで、「精神障害者なら、あんなに重大な殺人を犯しても、罪に問われないのか」という世論が高まり、一時期、精神障害の代わりにアスペルガー症候群が、犯人を弁護する材料として安易に持ち出されていた時期があった。そのため、「アスペルガー症候群は犯罪者になりやすい」という偏見に繋がった歴史がある。

 

だが、当事者の私から見ると、本当にアスペルガー症候群の特性ゆえに犯行に及んだかもしれないと思われる事例は、ごく僅かしかなく、大半は、たとえアスペルガー症候群であったとしても、他の原因が大きいだろうというものが多かった。

例えば、秋葉原通り魔事件の犯人も、当初はアスペルガー症候群説が持ち上がっていたが、後に、母親から苛烈な虐待を受けていたことが判明し、どう考えてもそっちの影響のほうが大きいだろうと思われた。

東海道新幹線車内殺傷事件の犯人は、自閉症と診断されていたが、家庭環境の不遇さが判明している。

私が過去に、「もしかしたら、自閉症の特性が原因かも」と思った、ごく僅かな例としては、自衛官の夫が、家庭内別居状態の妻の具合が悪くなっていたのに、適切な対処をせず死なせたという事件だった。

 

もしフィクションで、自閉症スペクトラム障害という設定の人物が、その特性ゆえに犯行に及ぶシーンがあったとして、その描写に説得力があれば、私は「上手く描けているなー」と関心するだろう。

 

id:shiju_kago クリエイターには『俺の脳内を盗んだな!』と言ってくるやつに被害にあってきた歴史があって、それがあの事件で大量虐殺に発展したのだけど、それを統合失調症という症状に帰結していいかはセンシティブな問題だよ

これは本当にそうで、そもそも、京アニ事件の犯人は、当初からネット上で「統合失調症なんじゃないか」と言われていたけれど、実際に統合失調症と診断されたのかどうか、私は知らない。

また、京アニ事件の犯人は、自分の脳内だけに存在していた案をパクられたと言っていたのではなく、京アニに応募したものがパクられたと言っていたわけで、クリエイター側から見ればどちらも言いがかりだが、精神疾患の側から見れば、この違いは考慮すべきかもしれない。

また、そもそも、多くの人は、実際に自分の案がパクられることがあっても、大量殺害はしないというのもある。

 

 

※この記事で手話や聴覚障害者について興味を持った方は、こちらもどうぞ!

yuhka-uno.hatenablog.com

 

 

 

 

大人はなぜ若者文化をバカにするのか

私はバリバリの若者だった頃、大人はなぜ若者文化をバカにしてくるのか、ずっと疑問に思っていました。私自身は若者の流行に乗るほうではなかったのですが、それでも、別に大人たちを攻撃しているわけでもない、ただ単に若者が勝手に楽しんでいるだけのことにも、いちいちバカにしてくる大人たちの存在というのは、謎でした。若者は、大人たちが大人たちの時代のものを楽しんでいても、別に何とも思わないのに……

 

また、私が若者だった頃は、上の就職氷河期世代の人たちもまだ若者扱いで、社会の中で大した発言力もありませんでした。就職氷河期世代を救済しないことには、いずれ社会全体にそのツケが回ってくるであろうことは、おそらく、就職氷河期世代より下の世代は、感覚的に理解していたでしょうが、どうにも、年長者世代にはあまり理解されていないようなフシがありました。

それどころか、「今の若者はモノに囲まれて豊かに育って、何の苦労もなかった世代」だとか、「近頃の若者は頼りない。軍隊に入れて鍛えたほうがいい」だとか言われていました。

 

そういうわけで、当時の私は、上の世代の大人たちを見て、「人はなぜ老害になるのか」を考えるようになりました。色々考えた結果としては、大抵は、「若い頃のまま感覚が更新されず、止まってしまっているから」というのが原因でした。

 

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上の話は、流行には乗りたくないと思っていた著者が、クリエイティブな人になるための講座に行って、講師から「センスを良くしたいなら、流行っているものを浴びまくって下さい」「例えば、パンケーキを食べに行って下さい」と言われるエピソードが書かれています。

また、「クリエイターが嘘の感情を出すと、その嘘に呪われることになる」と言われて、「今まで発信してた『若者文化ギライ』みたいな言葉も、私に呪いをかける嘘の感情だったかも…」という言葉とともに、「インスタ楽しいしパンケーキおいしいね」と言っている若者女子に対して「ケッ!!イカのこのわたのが旨いで!!」と言いつつ、本当の私が「うわああん パンケーキ食べたいぃぃ」と叫んでいる絵が描かれています。

 

 

たぶんですけど、若者文化をバカにする大人って、若者だった頃、流行りに乗れてイケてるグループになりたいけどなれないという、鬱屈した思いを抱いて過ごしてきた人が多いんじゃないかと思います。

そういう人が若者をバカにする時は、高校生くらいの自分が、自分より上の「強者」を攻撃する感覚で言ってるんだと思います。でも実際には自分はもうとっくに大人で、若者より発言権があって権力的に上になってるから、若者に対する抑圧としてしか働かないんですよね。

若者時代に流行に乗るタイプだった人は、今では、インスタに自撮り載せてパンケーキ食べてタピオカドリンク飲んでる大人になってると思うんですよ。

 

つまり、これも「若い頃のまま感覚が更新されず、止まってしまっているから」なんですね。

他の部分では大人でも、若者の頃の傷が癒えていなくて、イケてる若者が楽しんでそうな文化を見ると、傷が開いて高校生の頃に戻ってしまう。そして、自分よりいくつも年下の若者につっかかってしまう。

これは、虐待連鎖に似ていると思います。自分が子供の頃についた傷を、大人になってから、自分の子供にぶつけてしまうという。

一方、若者はそういう大人の事情なんてわかるわけないので、なんで攻撃されるのか意味不明なんですよね。

 

何年か前、あるホテルが、自撮りが好きな若い女性向けに、女性誌とコラボしてナイトプールを提供したことがありました。その際、ナイトプール利用者の女性たちが「泳がない」「撮影するから、水に顔はつけない」などと言っているのに対して、「いやプールは泳ぐとこだろwww」とバカにする人が沢山いました。

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そもそも、本気で泳いで良いプールは、競泳用プールかジムのプールくらいで、ホテルにあるようなリゾート用のプールや、ウォータースライダーがあるようなファミリー向けプールでは、本気で泳ぐほうが迷惑なのですが……それはともかく、この時も、流行りに載るキラキラした若い女性をバカにしたい人たちの圧がすごかった記憶があります。

 

特に男性が、流行に乗る若くてキラキラした女性をバカにする場合、若い女性に対する欲望と嫉妬が混ざってる傾向があるなと思いました。

イケてない高校生の男子が、スクールカースト上位のキラキラした女の子に欲望しつつも、「どうせ俺なんか相手にされない」と思って、鬱屈した気分を抱えているような……そして、「あいつらはバカだから、あんなバカみたいな流行に流されるんだ」と思って、「あいつら」に相手にされない自分を納得させようとするような……

これが本当に高校生男子だったらまだ可愛いものですが、実際には感覚が高校生に戻っているおっさんなので、若い女性からすると、わけがわからない上に、なかなか恐怖でしょう。

 

ただ、若者時代にイケてなかった人の全員が全員、若者文化をバカにするようになるわけではありません。特にイケてるグループになりたいわけでもなく、「自分は自分」という感じで過ごしてきた人は、大人になっても、若者文化にコンプレックスを感じずに過ごしていると思います。

 

あと、年齢を重ねたことによって、社会の中での自分の発言力が強くなっていて、若者に抑圧的に働くようになっている自覚がないっていうのもありそうですね。これは、会社の中での上司とかでもありますけど。

これもまた、「若い頃のまま感覚が更新されず、止まってしまっているから」の一種ですね。

 

「大人はなぜ若者文化をバカにするのか」については、他にも理由があるでしょうが、一例として、「若い頃から流行りの若者文化をバカにしていたから」というのは、あるかもですね。

パンケーキもイカのこのわたも美味しいですよ。好きなほう食べればいいんですよ。

 

 

 

「ありのままの自分」に近い形で恋愛できた私~そこそこ長い喪女時代を経て~

ta-nishi.hatenablog.com

togetter.com

 

上のブログ記事を読んで、「はてな非モテ論壇懐かしい」という気持ちになった。そして、あれから10年以上経って、私はわりと「ありのままの自分」に近い形で恋愛できたなと思った。

Ta-nishi氏と私が大きく違う点は、私はさほどモテや恋愛に執着していなかったことだろう。自分に合う相手と出会えて恋愛できればいいけれど、そうでなければ一生処女でもいいやと思っていた。当然、特にモテる努力をしないので、いわゆる「喪女」だった。そんなわけなので、初めて付き合ったり性行為をしたりという体験は、けっこう遅かった。

私にとっては、自分が誰かと付き合えないことよりも、いい年した大人が恋愛未経験なのをおかしく思う社会のほうが問題で、息苦しさを感じていた。私が非モテ関係の話に興味を持っていたのもそういう理由だ。当時は今より恋愛未経験者に対する風当たりがきつかった。(※ただし、「つづ井さん」の作者さんがストレスで円形脱毛症になったことを思うと、こういう風潮はまだまだ根強いのだろう。→/「裸一貫!つづ井さん」についてちょっと真面目に話させてくんちぇ〜|つづ井|note

あれから何年か経ち、思いがけず付き合うことになった男性は、面白いことに、モテや恋愛に執着しない人だった。似た者同士気が合ったのだろう。

 

私が「ありのままの自分」で付き合えた理由の一つは、自分に合う相手が見つかるまで待てる人だったからなんだろうな、と思った。

もし私が待てない人で、とにかく付き合う相手が欲しいのなら、モテ服を着て、出会い目的の場所に出て行って、合コンさしすせそを駆使するなどして、自分を「モテ界隈」の空気に合うように演出したほうが、そりゃあ手っ取り早いだろう。

しかし、私は、無理やり演じた自分に寄って来る人と付き合うのは、疲れるだけでメリットが感じられなかったので、「ありのままの自分」でいて、運が良ければ、誰か気の合う相手が見つかるかもしれないし、見つからなければ、まぁそれはそれでいいやと思っていた。

私は「モテ」に興味はないが、「マッチング」には多少興味があった。

 

非モテからの脱却に成功した私だったが、私の中には違和感が残った。「脱オタ」を達成するために私は興味も無いファッションや流行の遊びを勉強して大金をつぎ込み、夜の盛り場に繰り出しては女性に声をかけ、明るく陽気に振舞い女性たちを楽しませた。いかにも自分が「リア充」であり魅力的な男性であるかのように本来の「非モテ」な自分を偽り、女性たちを「騙した」のだ。

このことは私に罪悪感を抱かせた。女性に対する自らの欲望を満たすために「悪」に染まってしまったと思った。しかしこの「悪」は事実、女性たちに有効に機能した。疑問が生じた。このような「悪」が正しいとされる現代社会の「恋愛規範」は、間違っているのではないだろうか?そしてその「悪」に簡単に騙されてしまう、むしろそれを自ら求めている女性たちとは、一体なんなのだろうか?”

 

弱者男性論者を見ていると、「社会適応という名の悪」に対してあまりにも潔癖すぎると強く感じてしまう - 自意識高い系男子

 

ここの、女性たちが「騙されてしまう」というところが、私にはよくわからない。「そりゃ、そういう場所に行ってそういうキャラを演じれは、そのキャラを求める人が寄ってくるのは、当たり前だよね」と思うのだ。逆に、そういうキャラを求めていない人からは、「そういうキャラ」だと判断されて、興味を持たれなくなるだろう。

そういうのに「騙されてしまう」のは、男も女も一緒だ。なぜ「騙されてしまう」のかというと、特に男あるいは女が愚かだったり悪だったりするわけではなく、単に、人間にはテレパシー能力がないからだ。

自分は「ありのままの自分」とは違うキャラを演じているのに、それを見抜いて、「ありのままの自分」を見つけてくれる人が現れることは、まぁ、まずないと思っていたほうが良いのだろう。それは、人間に対する期待値が高すぎる。

 

この「人間にはテレパシー能力がない」についてだが、私はどちらかというと内面重視派で、容姿の許容範囲が広めで、ついでに言うと、夜の盛り場でウェイウェイやってる陽キャリア充タイプには、あまり興味がなのだけれど、内面重視の人間だって、テレパシー能力はない。

そのことは、ここで詳しく書いた。

yuhka-uno.hatenablog.com

仮にもし誰かが、私の好みの男性像を調べ上げて、その通りの人物を演じてきたとして、私は騙されないのかというと、そこまでの自信はない。私は、そこまで自分の賢さや人を見る目に自信を持っているわけではない。

よく「自分は騙されないと思っている人ほど騙される」というが、これもある種のダニング・クルーガー効果なのかもしれない。能力の低い人ほど自信満々というやつだ。

 

”こうして人はまたひとつ「社会性」を身に付け「堕落」していく。かつて尾崎豊はその楽曲の中で「大人は汚い」と叫んだがこれは圧倒的な真実だ。人間は生きれば生きるほどに、大人になればなるほどに、社会性という名の汚泥にまみれていく。”

 

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子供の頃は「ありのままの自分」でいられるが、大人になって社会性を身につけるにつれ、「ありのままの自分」ではなくなっていく……というのはよく聞く話だが、親がいわゆる「毒親」だと、その限りではない。

毒親の元で子供時代を送ると、親のご機嫌を取らなければならなかったり、親の理想の子供像を押し付けられたりと、「ありのままの自分」ではない、偽の自分で生きなければならなくなる。

私などはそうで、そういう親の元で育って、破綻してひきこもりになり、何年もかけてカウンセリングに通って、「ありのままの自分」を取り戻す作業をした。それは、私にとっては成長そのものだった。

私は、興味や進路などを親に介入されてきたので、「恋愛や結婚だけは、親や世間の基準じゃなく、自分の思うようにするぞ!」と思っていた。その結果として、長らく恋愛未経験者時代を過ごしたことは、満足している。

 

これも毒親関連なのだけど、私が「重い女」ではなかったことも、「ありのままの自分」で恋愛できた要素かもしれない。

最近では「理解ある彼氏くん/彼女ちゃん」の話題が人気だけれど、私は、親にとっての「理解ある娘ちゃん」をやらされていた。

親は、子供の私に愚痴を垂れ流すのではなく、カウンセリングに行くべきだった。そう思ったので、私は親を反面教師にしてカウンセリングに行った。親から精神的に依存されることで、私の心は親から離れてしまったので、もし私が誰かに同じことをすれば、その誰かは私から離れていくだろうと思ったのだ。

「自立とは、依存先を増やすこと」と言うが、メンタルがしんどい人は、パートナーだけに依存しないよう、カウンセリングにかかるなどして、依存先を確保しておいたほうが良いと思う。

 たぶんだけど、「ありのままの自分」を自分で愛することができないので、誰か一人の人にそれを全面的にしてくれろと求めたりすると、あんまり上手くいかないと思う。

 

なお、女性に「理解ある彼氏くん」ができるのは「穴モテ」と言われるが、単なる穴で「”理解ある”彼氏くん」はできないと思う。

単なる穴では、せいぜい、良くて対等なセフレ、大抵は穴を利用されるだけのカモだろう。

“あのね、いないから。

「自信のない女はカモられるけどモテない」から。”

 

 “じゃー「モテる」と「カモられる」の違いってなんなのよってことですが、端的にいえば「モテる」とは「相手をきちんと考えられる思いやりのある人に好かれる」ってことです。「カモられる」というのは「相手の欲望が中心で、こちらの痛みや思いなどは軽視する人に好かれる」ということ。”

 

“ぶっちゃけ、顔やスタイル、服装やらモテテクニックやら趣味なんて、どーでもいいんですよ。モテるかどうかってもう「自分のことを認めている、自分の望みをはっきり理解している=セルフコンフィデンスがあるかどうか」の一点勝負。”

 

なぜ『姉の結婚』『今日は会社休みます』は駄目ファンタジーなのか - 妖怪男ウォッチ

 

他の理由として、これは実際影響したのかわからないのだけど、私がファッションに興味のある人間だったというのも、もしかしたらあるかもしれない。もっとも、私が求めていたファッションは、モテファッションではなく、自分に似合う恰好なのだけれど。

その辺りのことは、ここで詳しく書いた。

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リンク先にも書いてあるが、おしゃれに取り組んだことによって、単に見た目が良くなったというよりは、「モブキャラでいるのをやめて、主役になる覚悟ができた」ことが大きかったのではないかと思う。

 

ちなみに、私は、ファッションの歴史や、人はなぜ衣服に装飾性を求めるのかについて考えるのも好きだ。さっきも、5000年前のエジプトで作られた世界最古の織物のドレス「タルカン・ドレス」について調べていた。

 

男性で、おしゃれに対して拒否感がある場合、身なりに気を遣うことそのものがめんどくさいタイプと、「おしゃれ=チャラチャラする」「外見ばかり気にするなんて軽薄だ」と思い込んでしまっているタイプとがいる気がする。後者の場合は、単に知識がなくてファッション観が狭いだけなので、例えば、「着物を渋く着こなす」という方向性のおしゃれなどは、嫌いじゃなかったりすると思う。

 

「おしゃれ=チャラチャラ」「外見ばかり気にする~」というのは、18歳までに大人から植え付けられた偏見のコレクションだろう。この偏見を吹き込まれると、「おしゃれしようとすると、チャラチャラしてしまう」という呪いにかかってしまう。*1

私が思う「おしゃれになる」とは、広く言えば「装うのが上手くなること」だ。例えば、初めて着物を自分で着つけてみた人は、大抵上手く着れないのだけれど、そこから着物の着付けやTPOを学んで、徐々に着姿が様になっていくような、そういうのがおしゃれの基本だと思う。ここに「自分らしさ」が加われば、それはもう十分におしゃれだ。

 

ちなみに、おしゃれはかなり「自分らしさ」と密接な関係があるものだと思う。その辺りのことはここで書いた。

yuhka-uno.hatenablog.com

 

ただ、これは必ずしも男性が彼女を作る上で必須なのかというと、どうもよくわからない。実際、私が付き合った男性は、お世辞にもファッションリテラシーが高いとは言えなかったから。

 

私が「ありのままの自分」で付き合えた理由として、私の場合、自分にはある種の魅力があると思っていたのがあると思う。

これは決して「モテる」ということではなく、割れ鍋に綴じ蓋的な話で、世の中には私みたいなタイプが好きな男性がいるかもしれないと思っていた。私は、男性異性愛者の多様性を信じたのだな。

ローランドというホストが女性に人気だからといって、全ての女性がああいう男性と付き合いたいと思っているわけではないし、夜の盛り場でウェイウェイすることに興味がない女もいる。男性だってそうだろう。

 

まぁでも、学生時代くらいの若い頃なら、こういう感じで過ごしていると、彼氏はできなかったかもしれないな、と思った。

学生時代は、どうしても同じような年代の人ばかりで集まってしまうし、まだ人生経験がそんなにないから、自分というものが定まっておらず、従って「自分はどういう人となら合うのか、どういう人と合わないのか」が、みんなまだよくわかっていない。となると、「みんなの意見」に左右されやすく、好きになる相手も「みんなが良いと言ってる人」に集中する傾向はありそうだ。

大人社会なら「色んなカップルいるしね」で済ませられることでも、学生時代だと、自分はとても好きなのに、みんなに「えー⁉そんな人好きなの?」と言われそうだから、言い出せないとかね。

となると、私が十分大人と呼べる年齢になってから付き合う相手ができたのは、ある意味当然だったのだろうか。

 

”私もかつては「女子アナみたいなキャラになるべきか?」と血迷った時期がありました。が、そんなの8回ぐらい転生しないと無理だと悟った。人は自分以外の人間にはなれないし、自分以外の人間になろうとするとメンタルがやばくなる。”

 

”「恋愛は選挙じゃない、モテとマッチングは別物なのだ」”

 

”そのために必要なのは「みずから選ぶ」という姿勢。”

 

“「どういう男を選ぶべきか?」を突きつめると「自分にとっての幸せは何か?」というテーマに行きつきます。”

 

――『オクテ女子のための恋愛基礎講座 (著:アルテイシア)』――

 

まぁ、なんというか、夜の盛り場でウェイウェイやってる人だけが恋愛してるわけじゃないし、世の中、地味に出会って地味に恋愛してる人も沢山いるってことで。

あと、書いてて思ったけど、私は一貫して(おしゃれに取り組むことも含めて)メンタルを鍛える方向で来たんだな、と思った。我慢して負荷に耐える方向にじゃなくて、「ありのままの自分」を取り戻し、維持するという方向で。

 

 

 

萌えVTuber戸定梨香が炎上した件を見て、「へそと腰骨の位置って難しいよね」と思った。

また萌え系VTuberが公共性の高い場でのPR問題で炎上している。

この是非については、もう既に散々議論がされているので、ここでは特にその話はしない。ここでは、人体構造的なへそと腰骨と股の位置と、へそ出し衣服の話をする。

 

togetter.com

 


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id:T_Tachibana

”行政関係なら「プリキュアの作画基準」遵守がいいと思うので、胸元の揺れは止めたほうがいいかな? それよりウエストから下のバランスおかしくね?|表現規制と怒ってる人多いけど、どっちかというとTPO問題だよな”

[B! VTuber] 萌えVTuberの交通安全PR動画がフェミ議連の抗議で削除。フェミ系議員が公権力を使って表現規制。 - Togetter (hatena.ne.jp)

たしかに、ウエストから下のバランスに違和感を感じた。特に、Youtube動画の3Dモデルのほう。腰部周辺が実際の人体よりもかなり縦に伸ばしたように見えるし、へそからスカートまでの距離が気になる。腰骨はどこにあるんだろう?股の位置はどうなってるの?

 

一般的な「へそ出しファッション」は、スカートやパンツを腰骨の位置で引っ掛けるようにしてはくものが多い。その場合、わりと服のすぐ上にへそが見えることになる。

一方、今回炎上した戸定梨香の交通安全PR動画を見ると、へそよりかなり下の位置でスカートをはいている。ここまで下になると、スカートを腰骨より下げてはくことになるから、タヒチアンダンスやベリーダンスの衣装くらいの位置ではいていることになるのではないだろうか。

ちなみに、はてなブックマークでも言及されているフワちゃんは、ジャストウエストに近いボトムをはいていて、案外へそが出てないのね。

 

へそが見えないボトム。フワちゃんはこれくらい。


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よく見かけるへそ出しファッション。ボトムが腰骨くらいの位置。プリキュアのへそ出し衣装もだいたいこれくらい。


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腰骨の下ではく衣装を着たタヒチアンダンスのダンサーたち。


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もしかしたら、他の人が指摘している「乳揺れ」の他に、こういう部分も、交通安全をPRする目的としては露出度が高いと思われてしまった原因かもしれない。ウエストの下の腰部周辺を縦に長い造形にして、へそよりかなり下の位置でスカートをはかせると、腰骨より下の位置でスカートをはいているように見えてしまう。

「おへそが見えている」という苦情が来たそうだが、多くの人は人体構造についてよく知らないが、なんとなく違和感を感じた人はいたのではないだろうか。その違和感が言葉として出てきた時に「おへそが見えている」という表現になったのであって、実際には、へそ出しそのものよりも、腰のかなり下の位置でスカートをはいているように見えるのが問題だったのかもしれない。

単にへそが見えているだけなら、プリキュアにだって沢山いるしね。

 

まぁ、私はVTuberの技術的なことはわからないので、立体にして動かす上で、どうしても腰部周辺が縦に長い造形になってしまったとか、あえてこういうモデリングにしてあるのかは、わからないけれど。

ただ、今回の件を見て、アマチュアはともかく、お金をもらって仕事を請け負うプロは、人体構造の勉強は必要なのだろうと思った。

 

ちなみに、へその位置は男女で違うようです。

 

〔2021.9.14 追記〕

おきなわご当地VTuber(?)の、獅子丸ほむら&獅子丸しずく。

ほむらのほうは、戸定梨香と同じくへそ出しセーラー服だが、へそのすぐ下あたりでスカートをはいているので、それほど露出度が高いようには見えない。

これなら、一般的なチアリーディングの衣装と同じような感じかと。


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中京テレビVTuberアナウンサー・大蔦エル。プリキュアくらいのへそ出しかな。


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30歳女性がCanal 4℃のハートネックレスをプレゼントされた件で考えた、色々なこと

………………本当に…………頂いた身で……こんなこと…アレですが……………………………(30歳) pic.twitter.com/YkPBS1oI6q

— ご飯(30代独身会社員女性) (@into_mashumaro) 2020年12月22日

 

クリスマス頃に思いっきり炎上してしまった、Canal 4℃をプレゼントされた30歳女性のTweet。その後の本人の補足によると、送り主との関係性は「飲み誘われたら行くくらいの友人」で、プレゼントの内容はハートのネックレスだったとのこと。*1

私はCanal 4℃というブランドを知らなかったので(一応4℃のほうは知っていたが)、最初は「うーん、4℃と言っても、シンプルなデザインのものもあるし、それなら30歳女性でもいけるんじゃ……」と思ったりしたのだが、「Canal 4℃のハートネックレス」だと知って、あと、ただの友人関係だと知って、正直「あー……やっちまいましたね……」と思った。これは確かに、本人が欲しいと言っていない限り、30歳女性へのプレゼントとしては、失敗可能性が高いやつだ。

 

 

この件に関する言及を色々と眺めていたら、興味深いTweetが目に入った。

 連続Tweetなので、上のリンク先から前文読んでいただきたいのだけれど、この男性は、ジュエリーやブランドに関する知識が皆無だったので、他のジュエリーブランドの値段は10万とかで、とても出せないので、Canal 4℃のアクセサリーを、コスパの良いブランドだと思って買ってしまったことがあるとのこと。

これに至る思考回路については、「あ~なるほど、わかる~」と思いながら読んでいたのだけれど、これに関しては「えっ、わからない……」と思ってしまった。

私は、「この分野は相手のほうが詳しい」と思ったら、相手に任せてしまう傾向があるので、この感覚はわからなかった。

まぁ、自分のよく知ってる分野で選んだものを、相手に気に入ってもらえたら、ちょっと承認欲求が満たされるというのは、正直、私の中にもある。しかし、自分はその分野に詳しくないという自覚があって、なおかつ、目の前に自分より詳しい人(女性店員)がいるのなら、詳しい人に任せるのが一番なんじゃないか……?自分が使うものでもないんだし……

 

そして、以前読んだこのまとめ(2019年)を思い出した。

togetter.com

これは、「女性にはシンプルなネックレスのほうが人気なのだが、男性はハート型のネックレスとかを選びがち」という、まさに今回話題になった出来事のような記事なのだけれど、アクセサリーを売る側の人から、このようなTweetが寄せられていた。

 

そして、今回の炎上でも、このようなTweetが寄せられていた。

 

 

ところで、最近、こういうTweetも話題になっていた。

togetter.com

炎上したCanal 4℃案件に比べると、こっちは明らかにプレゼントする側がわけわからないやつなんだけど、もしかして、これは「自分が選んだプレゼントじゃないと、承認欲求が得られない」の、もっと強力なバージョンなのかな……?

あと、togetterまとめのコメント欄に、子どもの頃、親からこれと同じことをやられた話が続出している。それで思い出したけど、親がいわゆる「毒親」だった人たちの集いで、「母からもらって困った物」を、写真など挙げて、仲間内で見せたり話したりしてラクになろうというイベントがあったな。これもある意味「プレゼント晒し」かな。

 

 

なぜ男性は、シンプルデザインのネックレスではなく、ハート型などを選んでしまいがちなのかということに関しては、よくある、ファッションに慣れている人は、全身のトータルコーディネイトで考えるが、ファッションに疎い人は、アイテム単体で見てしまうという現象が関係していると思う。トータルコーディネイトで考えれば、シンプルなほうが他のアイテムとのバランスが取りやすく、使い勝手が良いのだが、アイテム単体で考えると、シンプルデザインはつまらなく思えてしまうのだろう。

使い勝手以外にも、天然石や貴金属を使ったものだからこそ、シンプルデザインがいいというのもある。例えるなら、料理でも、良い素材にはシンプルな味付けが合うのと同じで。

 

あと、「高いブランド品じゃないと満足できないっていうのか!」って解釈してる男の人がちらほら見られたけど、そういうことじゃなくて、30歳女性へのプレゼントには、2万円くらいするCanal 4℃のハートネックレスよりも、数千円台のちょっといいボールペンとかのほうが、正解だったりするんですよね。

アクセサリーも、Canal 4℃やティファニーのハートネックレスは好みじゃないけど、数千円のプチプラアクセサリーを普段使いしている30歳女性は沢山いる。

それに、付き合ってない関係なら、数千円程度のものにしておくほうが正解で、云万円のジュエリーは重いっていうのもあるだろうし。

 

これの男女逆バージョンを考えてみたのだけれど、 たぶん、女性が男性にネクタイをプレゼントとかが当てはまるのかな。ネクタイは、普段着ているスーツやシャツとのバランスはもちろん、その男性の社内や業界内での立ち位置によって、どれくらいの価格帯でどういう色柄が適しているのかというのがあるし、以外と選ぶのが難しいアイテム。そして、特徴的なデザインのものより、シンプル定番品のほうが使い勝手が良いという点も、共通していると思う。

あるいは、付き合ってない関係で、気合の入った手作り弁当を渡されるとか、そういうのに近いんだろうか。

 

今回の件で「ブランドが迷惑してる」とか「絶対売り上げにダメージ受けてるだろ」とかいうのも、それもなんか違うんじゃないかと思う。もともと4℃のハートネックレスをプレゼントされても、多くの大人女性にとっては微妙だというのは、既に前々から言われていて、今さらな話題だから。

Canal 4℃というブランド自体が、そもそも10代〜20代前半をターゲットにして作っているのだから、大多数の30歳女性にとって好みではないというのは、まぁ当然の話で、フェミニンなファッションを好む女性に、ヴィヴィアン・ウエストウッドのアーマーリングをプレゼントしても、あまり喜ばれないのと同じことだと思う。

なんでこんなに「毎年恒例*2」みたいに、4℃がある種の揶揄の対象になるのかというと、女性の普段のファッションテイストを考慮せずにアーマーリングをプレゼントする男性は滅多にいないけど、4℃をプレゼントする男性は多く観測されるので、そう言われるのかもしれない。

 

もっと言うと、贈られたプレゼントを晒すか晒さないかはともかくとして、ブランドや個々の商品が世間の評価に晒されるのは、ある意味で当然のことだと思う。「このブランドは天然石使ってるって言ってるけど嘘!」とか、事実と違うことを言ったのなら、ブランドイメージの毀損だが、個々人が、ドラマやアニメに対して「おもしろい」とか「つまらない」とか言う自由があるように、商品に対して「素敵」とか「微妙」とか言う自由くらいはあるだろう。*3

 

 

なお、30歳女性にプレゼントするアクセサリーで適当な店として、Twitterでは、ete、agate、AHKAH、MARIHA、御徒町の問屋街などが挙がっておりました。

まぁ私の考えとしては、バブル時代でもないのだし、プレゼントにガチのジュエリーなんて、結婚申し込む時とか、そういう特別な時くらいで良いと思うし、自分にとってよくわからないものを、無理して高いお金出して買う必要はないと思う。

何を贈ればいいのかわからないのなら、相手に聞けばいい。わからないことは人に聞こう。恋人とは話し合おう。

そして、件の贈り主の男性は、これにめげずに、いずれ過去の失敗談として笑い話にしてほしい。

 

 

そろそろ、ジュエリーが欲しいと思ったら

そろそろ、ジュエリーが欲しいと思ったら

  • 作者:伊藤 美佐季
  • 発売日: 2019/04/18
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 

*1:https://twitter.com/into_mashumaro/status/1341610439034109952

*2:毎年恒例「4℃のアクセサリーはプレゼントにアリかナシか問題」...それに限らず相手の方が詳しいものをプレゼントするのは悪手だという話 - Togetter

*3:影響力で言うなら、大河ドラマ『いだてん』が放送され出した頃に、「複雑でわかりにくい」「視聴率が低い」「面白くない」とか書いたメディアのほうがずっと上だと思う。結局視聴率が振るわなかったのも、初期にそう書かれたせいだと思う。『いだてん』は「ながら見」に向いてないだけで、ちゃんと見れば挑戦的で面白いドラマだったからね。