宇野ゆうかの備忘録

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私はいかにして料理を覚えたか~親の手伝いという「下積み時代」の存在

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上の記事を読んで、「そういえば、私はどうやって料理を覚えたんだったっけ?」と思った。

思い返せば、最初のうちは、まだ小さな子供の頃、料理をしている親の傍で簡単な手伝いをするところから始めたのだと思う。ボウルに入ったサラダや和え物を混ぜたり、絹さやのすじを取ったり、ふかしたじゃがいもの皮を剥いたり、シチューを煮込む時に混ぜたり(焦げないように底から混ぜてね、と言われた)。ポテトサラダに使うじゃがいもを団扇で扇いで冷ます作業などは、子供が駆り出されるお手伝い筆頭だった。

包丁の扱いにしても、これまた記憶が定かではないのだが、おそらく、ケーキを切り分けるなどの、ごく簡単な作業から始めたはずだ。ピーラーで皮を剥く作業などを経て、最終的には、家庭料理における包丁使いの最難関「包丁で皮を剥く」に到達したと思う。これはよく果物を食べる時に練習した。

親もまた、子供が見ている時は、火が通りにくい食材から入れることや、味付けをする時に今何を入れているかなど、ちょっとした説明をしていた。

 

よって、

例えば、「カレー 初心者 レシピ」という検索ワードでぐぐるとします。

様々なレシピが表示されます。

「初めてでも安心!カレーの作り方」といった文章が表示されます。

優し気な感じに安心してクリックします。

 

而して、そこには例えば最初の手順として、「野菜の皮をむいておきます。」「肉と野菜を一口大にきります。」といったものが書かれているわけです。

 

分かる。分かります。

普通の人からすれば、「野菜の皮を剥く」というのは極めて自明な、あるいは理解しやすい手順なのでしょう。
しかしこちらは初学者です。

例えば人参があったとして、「これはどこまでが排除するべき皮で、どこからが食べるべき実なのか?」ということが判断出来ないわけです。

玉ねぎってあれどこまでが皮なの?本体ないんやけど。

 

あるいは、「じゃがいもはレンジでチンをすると剥きやすくなる」という情報に触れて、レンジでチンをした後直接じゃがいもを触って手を火傷したりするわけです。

めっちゃ熱いやんアレ。

つまり、手順の粒度が大変に荒いというか、本来であれば簡単に脳内で補完出来るところ、その前提知識がない為にこの粒度の手順についていけないわけです。

 この辺りのことは、いつ覚えたのか記憶がない。親の手伝いの過程で、自然に学習していたのだろう。

 

つまり、いきなり料理を一人で一品作る前に、親のアシスタント業という下積み時代があったわけだ。ということは、「初めてでも安心!カレーの作り方」といったレシピは、「もう下積みやってある程度基礎はできてるよね」という前提で、初めて最初から最後まで一人で料理を作るという意味での「初めてでも安心!」という意味なのだろう。

 

そもそもカレーは、料理ガチ初心者の人が作るのには向いていないのではないだろうか。ガチ初心者に教える小学校の調理実習でも、いきなりカレーからは入らなかったはずだ。

私の頃は、初めての料理実習はゆで卵入りのサラダだったと思う。今から考えれば、このメニューは、子供に初めて教える料理として、実に理にかなっていると思う。

レタスは洗って手でちぎり、プチトマトはヘタを取って洗うだけ。きゅうりの輪切りは、初めて包丁を扱うのに向いているし、不ぞろいでもドレッシングをかければ美味しい。ゆで卵で火の扱い方を教え、ドレッシング作りで大さじ小さじで計量するやり方を教える。ゆで卵はエッグカッターで切るので安全だ。

食材を洗う、包丁を使う、火を使う、計量するといった、料理の基本技術が学べて、簡単な一品ができあがるというわけなのだろう。

 

というか、世間の主婦の皆さんは、一体どうやっておかずを二品も三品も用意しているんでしょうか?

なんであんな複雑な工程を同時並行で進められるんですか?本気で謎。

 これに関しては、まずは一品一品を、それぞれちゃんと作れるようになっておく、ということに限ると思う。最初からおかずを二品も三品も作るなんて無理。

だから、カレーはある意味初心者に優しいメニューなのだ。ご飯を炊いてさえおけば、カレーはカレーだけで夕飯として成り立つ。

なので、既に「下積み」ができている初心者が夕飯を用意する場合は、「カレー」とか「シチュー」とか「焼きそば」とか「お好み焼き」とか、一品で成り立つ料理を作るとか、スーパーのお惣菜を活用したりするのが良いのではないだろうか。

 

むしろ、世間の主婦の皆さんが頭を悩ませているのは、「毎日献立を考える」という作業だろう。これは、漫画家に例えるなら「ネタを考える」という作業に当たる。料理ができるようになってしまえば、料理を作ること自体は「作業」だ。面倒だけれどまぁ終わりは見えている。

しかし、「献立を考える」という頭脳労働には終わりがない。しかも、見えない労働なので、社会からこの労働の存在自体がないもの扱いされ、評価されないという目にあってしまう。

主婦業における「料理」という労働は、ざっくり言っても、金額の設定、在庫管理、献立を考える、食材の買出し、調理、配膳、後片付け、ゴミ処理などから成り立っている。つまり、「調理」以外の作業、そして頭脳労働が締める割合がかなり多いのだ。

 

そこのところを理解していないと、松井一郎大阪市長のように、「(女性は)商品を見ながらあれがいいとか時間がかかる。男は言われた物をぱぱっと買って帰れるから(男性が)接触を避けて買い物に行くのがいいと思う」などと発言して、炎上してしまいかねない。人に言われたものを買ってくるだけなら、頭脳労働をしていないのだから、早いに決まっているというわけだ。

this.kiji.is

 

私は、料理を作る上で最も大事なのは「安全」、つまり食中毒予防だと思う。

大人になってから料理をやりだした人にとっては、ここが案外盲点なんじゃないだろうか。ガチ初心者は、料理の手順とか作り方に意識を持っていかれがちだと思う。でも、ネット上のレシピには、生肉を切った後の包丁とまな板でサラダを作るなとか、残りものは冷めたらすぐ冷蔵庫に入れろとか、そういうことは書いていない。

だから家庭科の授業は大切なのだ。ガチ初心者が最初に読むべき本は、レシピ本より家庭科の教科書だと思う。食中毒予防はもちろん、輪切りや千切りや銀杏切りといった食材の切り方、大さじ小さじやカップを使った計量のやり方から書いてある。

 

全く料理ができないところから料理にチャレンジしていった人が書いた本『チューブ生姜適量ではなくて1cmがいい人の 理系の料理(著: 五藤隆介)』の中に、既に味付けがしてあってあとは焼くだけの「鶏の香草焼き」の調理に失敗するシーンがある。

“あまりにも「メシマズ(飯が不味い)」な写真で申し訳ありません。
「下味が付いているし、火が通っていれば食べられないことはないだろう?」
仰るとおりです。私も、そう思って口にしました。ところがこの料理、本当に、心の底から、不味かったんです。

焦げ臭いくせに、生焼けの部分がある。

だからと言って、これ以上火を通しても、ますます焦げるだけ。

しかし、不味くて食べきれずに残すという行為は、食材に申し訳ない。

そうは言っても、生焼けの鶏肉を食して良いものかどうかさえわからない。
最終的には「電子レンジ」の存在に気がつき、チンして食べたような記憶があるんですが、それでもやはり不味いものは不味いわけです。

「味付け肉なら焼くだけ」と高をくくっていた結果が完敗でした。”

 私はこの部分を読んだ時、以前から「今時、子供に家事を教えないのは、虐待と言っていいのでは?」と思っていたのが、確信に変わった。私は親から、「生焼けの鶏肉は食べてはいけない。中心まで火を通せ」と教わっていたからだ。

子供に家事を教えないのは、生きていく方法を教えないということ。生活の中の危険とその回避方法を教えないということなのだ。「生焼けの鶏肉は食べてはいけない」と教えるのは、「道路で急に飛び出してはいけない」「コンセントに手を突っ込んではいけない」と教えるのと、同じことなのではないだろうか。

(ちなみに、こうなった原因については、著者は「強火最強」という勘違いをしていたと、本の中で書いている。)

 

また、著者は、食材を無駄にしてしまったことを後悔しているが、確かに、無駄にしないほうが良いとはいえ、人が成長する過程では失敗はつきもの。料理を失敗してしまったり、賞味期限までに使い切れなかったり、腐らせてしまったりといったことは、そこそこあることだ。

以前、料理をしようと思って、食材を無駄にしてしまって、それがトラウマになってまた料理をしなくなった人の話を読んだことがあったけれど、料理ができる人というのは、余程の天才でない限りは、食材を無駄にしたことがないのではなく、無駄にしたことはあるけれど、メゲていないのだ。

ものすごく当然のことだけど、心身の健康と食材とでは、健康のほうが大事。危ない食材や料理は、食べずに捨てたほうが良い。無駄にしてしまった経験もまた教訓なのだから。

 

“ある人が「男性に家事能力を教えてこなかったのは、女性に学問を教えてこなかったのと同じくらい酷いことだ」と言っていたのを思い出した。”

この状況でも飲み屋に通う高齢の父...「家事ができない/妻もいない」彼らの「お台所機能」や「孤独」の問題 - Togetter

 

というわけで、上手とは言えないまでも、子供から大人への成長とともにある程度料理ができるようになっていった人間の話を書いておいた。おそらく、私のようにして料理ができるようになった人間にとっては、冒頭リンク先のような、全く料理ができない人のことはわからないし、全く料理ができない人は、料理ができるようになった人のことはわからないと思ったからだ。

 

 

自炊力 料理以前の食生活改善スキル (光文社新書)

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  • 作者:白央篤司
  • 発売日: 2018/11/14
  • メディア: 新書