宇野ゆうかの備忘録

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「ブランド期」から「ユニクロ期」へ~おしゃれが“非日常”から“日常”になった時代

前回記事『「ユニクロでよくない?」の理由~おしゃれの基準が“服”ではなく“技”になった時代 』では、ユニクロがダサくなくなった理由と、ファッションにおける人々の関心が、バブル期と現代とでどのように変化しているかについて、私なりに思っていることを書いたが、あれからまだ思うところがあったので、後編的に書いてみようと思う。

 

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 上の記事は、米澤泉氏の新書『おしゃれ嫌い 私たちがユニクロを選ぶ本当の理由』に沿ったものらしい。

 

私は、米澤氏の言う「ユニクロは『ていねいなくらし』を売っている」というのが、どうも腑に落ちなかった。なぜなら、特段「ていねいなくらし」を実践していない人だって、ユニクロを利用しているからだ。部屋が片付いている人も散らかっている人も、朝から味噌汁を作る人も食べずに出掛ける人も、ユニクロで服を買う。だからこそ、ユニクロはここまで広まっているんじゃないだろうか。

「ていねいなくらし」志向の人は、どちらかというと無印良品に行くんじゃないかな。実際に「ユニクロ ていねいなくらし」「無印良品 ていねいなくらし」でGoogle検索してみたところ、前者は約1,100,000件、後者は約4,250,000件という結果が出た。多くの人は、ユニクロよりも無印良品のほうに、「ていねいなくらし」のイメージを抱いているようだ。

 

ただ、確かに、ユニクロ「日常」を売っているとは思う。通勤し、休日を過ごし、家でリラックスし、子育てし、ジョギングやヨガをする、そういう日常のための服。多くの「ブランドもの」の服は、そういう「日常」のためのものではない。

例えば、スーパーマーケットで買い物したり、子供の遊びに付き合ったりといった「日常」を過ごしている時と、「よそ行き」の時に人々が着ている服装の落差が、バブル期と現代とでどう変化したかという視点で考えてみると、面白いかもしれない。

 

そう考えると、前回の記事でも言ったように、「今の時代は、『服』そのものよりも、おしゃれの『ノウハウ』が求められている」ということの他に、「おしゃれが、『非日常』から、等身大の『日常』になってきた」という変化もあるのかもしれない。日常だって、ちょっとはデザインのいいものを着たい。日常着る服だから、汚れても洗えて、値段も高くないのがいい。ユニクロには、そういう需要があるのだと思う。

そういえば、最近はファッション分野で「ワンマイルウェア」という言葉をよく聞く。いわゆる「ご近所着」のことだ。おしゃれに関心がある層は、「ちょっとそこまで」の距離でも、ちょっとはおしゃれなものを着たいのである。

 

米澤氏は、ユニクロが広く受け入れられるようになった理由を、「みんな、おしゃれよりも『くらし』が好き」と分析しているが、私の考えとしては、「みんな、『くらし』の場面でも、それなりにおしゃれがしたい」からだと思う。

そう考えると、バブル期のおしゃれとは、「特定の場面で、めちゃくちゃ気合を入れる」ものだったのに対して、現代のおしゃれとは、「あらゆる場面で、それなりにまんべんなく」という傾向があるのかもしれない。

 

ちなみに、ユニクロ無印良品の違いは、無印良品は、最初から日本の一流デザイナーやクリエイティブディレクターたちが関わって、コンセプトを明確にして立ち上げたブランドであるのに対して、ユニクロは、地方の中小企業から出発して、徐々にデザインやブランディングを意識するようになり、コンセプトも後から固まってきた、いわば一代記的なブランドということだろう。

無印良品が「人々にくらしを提案するブランド」であるのに対して、ユニクロは「人々のくらしに合わせるブランド」なのではないかと思う。

 

www.kurase.com

私が若かりし頃は、まさにDCブランド全盛期でした。同時に、高価であったり、手に入りにくい服であったり、ブランドであったりすることが、最高のステータスという時代。

まさに「服(だけ)が主役」の時代です。一方で、服と暮らしは全く離れているものでした。 

バブル時代前後は、高価な服や、手に入れにくいブランド品を着てさえいれば、家の中や「普段何を食べてどんな運動をして、家の中がどんな風な状態か」は無視することが出来ていた感があります。着ている物と持ち物が全てであった時代だからです。

 

この記事を読んで、「おしゃれ」と「くらし」について、昔読んだ光野桃氏のエッセイ『私のスタイルを探して』に書いてあったことを思い出したので、再び読み返してみた。

女性ファッション誌「25ans(ヴァンサンカン)」の創刊スタッフであり、まさにバブル時代のファッションのただ中にいた光野氏は、夫の転勤により退社してミラノに転居する。その本の中で、光野氏がミラノでインテリアのルポタージュをしていた頃の話に、こういうエピソードがあった。

 

私が興味を惹かれたのは、取材に出かけた家のインテリアそのものよりも、むしろそこに済んでいる「人」であった。

女性誌のための仕事であったから、ほとんどの住人は女性である。私は彼女たちの着ている服とインテリアの雰囲気が見事に合っていることに、まず驚かされたのである。

どの家を訪ねても、そのインテリアは「ああ、なるほど彼女らしい」と思えるものばかりだった。インテリアと着ている服との趣味やクオリティがバラバラだったり、不協和音を感じさせるような人は一人もいなかった。

次第に、私の中に一つの答えがはっきりと形を取り始めてきた。

ファッションとは、外見を飾るだけのものではないのかもしれない。もしかしてファッションは、その人そのもの――?

 

『私のスタイルを探して』の中で、光野桃氏は、ニュートラ、DCブランド、長い髪を巻いて肩パッドスーツを着たコンサバスタイルなど、その時その時の流行を経験したが、いつも「何かがおかしい」「なにか違う」と思っていたという。

その後、夫の転勤でミラノに転居してから、ミラノの人々の堂々とした振る舞いに圧倒され、ミラネーゼと同じような服を着てみるも、全く似合わず、「おしゃれのどん底」に陥ったことがきっかけで、服で自分がどういう人間かを表現することを思い立ち、自己分析して自分のスタイルを確立する。それは、本質的な「自己表現」だと、私には思えた。

 

面白いのは、ファッションスタイルを確立した後の光野氏は、クローゼットの中身が一定量に保たれるようになったことだ。

また、光野氏が若かりし頃、職場に出入りしていた人の中に、群を抜いて美しく魅力的なスタイリストの女性がいたそうだが、その人も「数はそう多くないみたいだけれど、持っている服はすべて完璧にセンスがいい」だったそうだ。

おしゃれな人というのは、昔からそういう傾向があるのかもしれない。

 

ネット以前は、何かが流行れば、みんながそれを身に着けていた時代だったと思う。特に若者は、流行のものさえ身に着ければ、それでおしゃれと見なされていたようなところがあったのではないだろうか。

ネットの普及によって好みが多様化し、「個」の時代になってきたと言われる。パーソナルカラーや骨格診断の人気は、「個」に注目が向かうようになった時代の影響もあるのかもしれない。自分の体型、自分の血色や目や髪の色を基準にして、服や髪型、化粧を決める。そうすると、流行りものでも、自分に似合うかどうかを考えてから買うようになる。

 

とすると、この先の日本のファッションは、もっと「個」に焦点を当てる方向に向かうのかもしれない。平たく言うと、より「自分らしいかどうか」という方向に向かうのだと思う。

空気を読み、主張したり個性を表現するのが苦手な日本人が、光野氏が体験したような自己表現をするようになるのは、かなり先のことになるだろう。でも、もしそうなったら、バブル期に服そのものだけで自己表現していたのとは、全く別の形のものになっていて、おしゃれは、「競い合う」ものではなく「認め合う」ものになっているのかもしれない。

 

ファッションとは、自分を表現したいという情熱の発露なのだった。自分がほかのだれでもない、自分であることから出発して、それを慈しみながら磨き上げること。だからこそ、共感を呼び、人を魅了するのである、と。

 ――『私のスタイルを探して(著:光野桃)』

 

余談だけれど、女性に人気なのが、パーソナルカラーや骨格診断で、男性に人気なのが、メンズファッション初心者向け指南本であるというのが、面白いなと思う。男性が超初心者向けなのに対して、女性は、ある程度見た目に気を使っている人が、もう一段レベルを上げるためのものというか。

 

あと、ファッションはベーシックなものが人気になり、人々の関心が「くらし」に向いてきた理由は、単純に少子化で若者の数が少なくなってるからというのもあるかもしれない。若いうちは「大学デビュー」でファッションが気になるし、流行も追うけれど、年を重ねるにつれ、1年で流行が過ぎ去る若者向けのトレンドアイテムよりも、ベーシックな服のほうが良いと思うようになってくるし(もちろん、ベーシックな服にもシルエットの流行があるけれど)、親元から離れて一人暮らししたり、結婚して家庭運営する立場になったりすると、「くらし」に意識が向いてくるしね。

 

これは私事なのだけれど、プロにファッションアドバイスを受けるなどして、ある程度自分で納得のいく格好ができるようになったら、今度は「そういえば私、自分の部屋を好きなようにしたことがない」と気付いて、インテリアに対する欲求が出てきた。別におしゃれに興味がなくなったわけではなく、相変わらず好きだけれど、服装で満足したら、今度は「くらし」に意識が向くようになった。

相変わらず貧乏人だった私は、リサイクルショップで買ってきたアンティーク調のフォトフレームを、100均の塗装剤で色付けするなどして、自分好みのものを増やしていった。今の時代の「くらし」に関することなら、セリアとダイソーDIYする層がアツいと思う。

 

sirabee.com

以前見かけて、ちょっと面白いなと思った記事。ここでは、ファッションの上達過程を「ちょっと変わったものが気になる期」→「キテレツ期」→「ブランド期(トレンド期)」→「ユニクロ期」→「ミニマル期」という具合に説明している。

これは、個人のおしゃれ進化過程について書かれたものだけれど、日本におけるファッションの流れもまた、バブル時代の「ブランド期(トレンド期)」を経て、現代の「ユニクロ期」になっているところが面白い。

 

 

私のスタイルを探して

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