宇野ゆうかの備忘録

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優しくない人ほど自分のことを優しいと思っている説~虐待とDVとダニング・クルーガー効果

 「ダニング・クルーガー効果」という言葉がある。端的に言うと、その分野において能力が低い人ほど、自分の能力を実際よりも高く見積もっており、能力が高い人ほど、実際よりも低く見積もっているという認知バイアスだ。

私は、「優しさ」や「性格の良さ」にもダニング・クルーガー効果が適用できるのではないかと思っている。虐待やDVをする人ほど、自分のことを「優しい」と思っていて、自分の優しさレベルを実際よりも高く見積もっていることが多いからだ。

 

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上のリンク先の、わが子を虐待していた人は、「子どもは好きですか?」ときかれて「子ども、大好きです」と答えている。おそらく、この人は、「子どもと遊ぶ」ことと「子どもで遊ぶ」ことの区別がついていなかったのではないだろうか。

虐待を受けて育った人からよく聞く話として、「うちの親は、虐待のニュースを見て、『なんてひどい親なの!』『子供がかわいいと思えないのか!?』と言っていた」というのがある。上のtogetterのブコメでも、親に虐待の自覚がなかったと言う人がいる。

 

これは、「優しさ」だけではなく、教育虐待における指導力についても、同じことが言えるだろう。

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中学受験で子供を不登校になるまで追い詰めた父親の話。私は、父親の「子供の才能が期待ほどじゃなかった」という言葉が気になった。たぶん、それ以前に、この父親にコーチングの才能がなかったのではないか。

傍から見れば、こんなやり方では子供が潰れてしまうのは当たり前だと思うのだけれど、親側に「自分には子供を教える能力がない」という自覚がなければ、子供の成績が上がらないのは、自分ではなく子供が原因だと思ってしまうのだろう。この父親は、子供に勉強を教える前に、自分がコーチングを教わるべきだったかもしれない。

もし「自分には子供を教える能力がない」と自覚していれば、勉強を教えるのは学校や塾の先生に任せ、自分は子供の健康や心理面でのサポートに徹するという判断もできるのに。

 

ここから学べることは、虐待やDVは、自分がしていて気付くことができないものだということだ。虐待やDVの加害者を他人事として「ひどい人がやるもの」と思っているより、「自分もするかもしれないもの」ぐらいに思っておいたほうが良いのだろう。何せ、前者の考え方は、虐待している親も思っていることなのだから。

 

恋愛の話題においても、「女は悪い男にばかりひっかかるから、真面目で善良な自分に見向きもしない」と言う人がいるけれど、当然ながら、恋愛未経験者であることは、支配的・暴力的ではないことを保障しない。子育て経験がないことが、虐待親にならないことを保障しないように。

実際、子供が生まれる前は「虐待するなんて信じられない!」と思っていたのに、いざ子供を育ててみると虐待してしまったという人も、よくいるのだから。(というより、こう自覚できる人はまだマシで、重篤な人ほど虐待しているという自覚がないという話なのだけれど。)

 

さて、「優しさ」や「性格の良さ」にもダニング・クルーガー効果が適用できるとしたら……本当に優しい人や性格が良い人は、自分のことをそれほど「優しい」「性格が良い」とは思っていないかもしれない。