宇野ゆうかの備忘録

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漫画『ルックバック』の犯人描写に見る、専門家による監修の重要性


togetter.com

 

傑作と評されながらも、統合失調症に対する偏見に基づいているとも言われて話題を呼んだ漫画「ルックバック」。単行本化されるに当たって、修正の後、再修正されたらしい。

 

私は、統合失調症については全く詳しくない。この件に言及していた多くの人と同じく、ただのド素人である。

ただ、この件については、以前見た産婦人科を舞台にしたドラマ「コウノドリ」の、聴覚障害者を扱った回を思い出した。

 

物語は、若い聴覚障害者の夫婦が出産を迎えるという話なのだが、まず、手話を半年習っただけの私が見て、すぐに「あ、聞こえる人が演じているな」とわかってしまった。

手話は、手の動きの他に、口の形や頷きや表情にも文脈がある。なので、ネイティブの手話者は独特の表情の豊かさがある。しかし、このドラマの夫婦は、そういった表情をほとんど作れていないように感じた。

 

また、出産を迎える女性のほうは、親から「聴覚障害者同士でどうやって子育てしていくのか」と言われており、夫婦はそれに葛藤を感じているという描写があった。

私が手話を習っていた時、ろう者の講師の中には、聴覚障害者同士で結婚して子供を育て上げた人が何人もいた。「普通」に暮らしていれば、そのような夫婦には滅多に会わないかもしれないが、手話者のコミュニティにいれば、そのような夫婦は珍しくないはずだから、おそらく、この夫婦は二人だけで悩んだりせず、聴覚障害者の先輩たちをロールモデルにするのではないだろうか。

 

最後のシーンでは、夫婦と子供で道を歩いていて、後ろに来ている車がクラクションを鳴らしても気付かず、聞こえる子供が泣いたことで車が来ていることに気付く演出になっていた。後ろから来ているものに気付かないということはあるかもしれないが、「歩き方」に違和感を感じた。周囲を見渡すことなく歩いているのが、なんだかろう者っぽくない。

他の部分についても、なんというか、全体的に「健常者中心的なものの見方」のようなものを感じてしまった。

 

演じていたのは、志田未来泉澤祐希らしい。*1

ドラマ「愛していると言ってくれ」では、豊川悦司聴覚障害者を演じる必要性はあったのだろうが(笑)、こういう役で、ろう者ではなく聴者の役者が演じる必要性はあったのだろうか。事務所都合というやつなのだろうか。

最近のハリウッド等では、障害者の役を健常者が演じることが問題視されていると聞く。

ちなみに、原作は内容が違うらしい。

 

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私は、「ルックバック」のような件に関しては、「大多数の素人意見より、専門家による監修」だと思う(新型コロナウイルスに関してもそうであるように)。特にルックバックにおける犯人のシーンは、あの作品において非常に重要なシーンだからこそ、専門家にしっかり監修してもらったほうが良かったと思う。そのほうが、より犯人像がリアルになり、質の良い作品になったのではないだろうか。逆に言えば、監修をつけずに描いてしまえば、大多数の人にはわからなくとも、少数のわかる人にはリアリティが感じられず、「他は素晴らしいが、このシーンだけはあまりにも凡庸」と評価される描写になってしまう可能性がある。

こういうことの中には、今の時代にはわかる人が少なくても、何十年か経って、世の中のリテラシーがアップデートされると、「他はすごく良いけど、この描写に関しては安易で陳腐だ」「まぁ、当時はそういう時代だったんだよね」という評価になってしまう可能性がある。

 

この手のものでいつも思い出すのは、1961年のオードリー・ヘップバーン主演映画『ティファニーで朝食を』である。

この映画にはミスター・ユニオシという日本人あるいは日系人が登場するが、あまりにもステレオタイプな日本人像に演出されていて、当時は問題として認識されていなかったが、後に批判されるようになり、今の時代に見れば、ユニオシ氏が出ていないところは名作映画だが、ユニオシ氏が出ているところだけ非常に残念という作品になってしまっている。

 

(※『ティファニーで朝食を』におけるミスター・ユニオシのシーン)


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2014年の映画『ベイマックス』における日本要素の描写が、隅々まで日本人から見て違和感がなかったことへの驚きから。マイノリティの描写についてコストをかけるのは、時代考証と同じという話。

togetter.com

 

映画『マッドマックス 怒りのデス・ロード(Mad Max: Fury Road)』を制作したジョージ・ミラー監督は、ウォーボーイズたちを描写するにあたってはミリタリーの専門家を、悪の親玉イモータン・ジョーの子供を産むために監禁されている5人の妻たちには、アフリカにおける女性の人身売買の問題に詳しい人を、監修につけてワークショップを行ったという。

 

また、今回の件で「感動の厄介さ」も感じた。犯人の描写について、多くの当事者や専門家が違和感を表明していたが、その声を「クレーマー」と受け取り、「うるさい連中」のように言う人が後を絶たなかった。

「感動に水を差された」という思いがそうさせるのかもしれない。障害の世界では「感動ポルノ」という言葉があるが、感動は時に厄介なものだと思う。時に感動は、何かを無視させ、重要な助言に対して耳を塞ぎ、事実を言う者を退けてしまう。

 

この漫画は、統合失調症に対する偏見が指摘されていた。私は、偏見とは、誤った知識のことだと思う。人は、わからないという自覚があるからこそ調べようと思うのであって、その自覚がなければ調べようとはしない。偏見は「誤った知識」だから、人は、偏見を持ったことについては、調べようという発想自体なかなかできないものだ。

この件については、大多数の知らない者にとっては、当事者や専門家による批判や指摘がどれほど妥当なものなのか、どの程度問題なのか、判断できないものなのだろう。なぜなら、偏見は自分では自覚できないし、自分がどれほど知らないかを知らないからだ。この手のことは、自分がどれほど知らなかったかということを思い知らされたことがある者しか、判断できないものなのだろう。

”また、この効果を定義したデイヴィッド・ダニング(英語版)とジャスティン・クルーガー(英語版)によって2012年に行われた「なぜ能力の低い人間は自身を素晴らしいと思い込むのか」という調査によれば、能力の低い人間には以下のような特徴があることが分かった。

・自身の能力が不足していることを認識できない
・自身の能力の不十分さの程度を認識できない
・他者の能力の高さを正確に推定できない
・その能力について実際に訓練を積んだ後であれば、自身の能力の欠如を認識できる。”

ダニング=クルーガー効果 - Wikipedia

 

 

言われてみれば、確かに、「絵から罵倒が聞こえた」というのは、統合失調症のことを知らない人が思い浮かべがちな統合失調症者像ではありそうだ。

この作品のモデルとなったであろう京都アニメーションの事件の犯人も、自分の案がパクられたという意味のことは言ってたが、「アニメから罵倒が聞こえた」という趣旨のことを言ったかどうかは、私の記憶にはない。

結局、最終的に単行本で修正された犯人の描写では、「絵から罵倒が聞こえた」は取り消されているらしいので、やはりそこがネックだったのかもしれない。

 

これはあくまでも想像に過ぎないが……最初の作品発表時と1度目の修正の時には、監修は入らず、単行本化にあたっての修正では監修が入ったのではないだろうか。そして、おそらく、当事者や専門家たちが望むものもまた、やみくもな修正ではなく、きちんと監修が入った形での修正なのではないだろうか。

今の時点で、多くの人が心動かされた作品が、何十年経った後も「いい作品」として見られるために、こういうところは、専門家による監修のもと、修正しておいたほうが良いのだと思う。

 

2021.10.3追記

id:homarara 健常者の犯人は描いて良くて、統合失調症の犯人は描いちゃダメなのか?

描くこと自体は構わないと思う。統合失調症者だって殺人者になり得るだろう。健常者がそうであるように。

ただ、統合失調症者が健常者と大して変わらない動機で犯行に及ぶならともかく、統合失調症者が統合失調症の特性ゆえに犯行に及ぶ様を描くのなら、相当調べて描く必要があるし、もし上手く描くことができれば、むしろ当事者や専門家からは関心されるのではないだろうか。

 

と言うのも、これを書いている私自身、自閉症スペクトラム障害、いわゆるアスペルガー症候群と呼ばれていた発達障害者だからだ。

アスペルガー症候群は、附属池田小事件の犯人が「精神障害者なら減刑される」と言っていたことで、「精神障害者なら、あんなに重大な殺人を犯しても、罪に問われないのか」という世論が高まり、一時期、精神障害の代わりにアスペルガー症候群が、犯人を弁護する材料として安易に持ち出されていた時期があった。そのため、「アスペルガー症候群は犯罪者になりやすい」という偏見に繋がった歴史がある。

 

だが、当事者の私から見ると、本当にアスペルガー症候群の特性ゆえに犯行に及んだかもしれないと思われる事例は、ごく僅かしかなく、大半は、たとえアスペルガー症候群であったとしても、他の原因が大きいだろうというものが多かった。

例えば、秋葉原通り魔事件の犯人も、当初はアスペルガー症候群説が持ち上がっていたが、後に、母親から苛烈な虐待を受けていたことが判明し、どう考えてもそっちの影響のほうが大きいだろうと思われた。

東海道新幹線車内殺傷事件の犯人は、自閉症と診断されていたが、家庭環境の不遇さが判明している。

私が過去に、「もしかしたら、自閉症の特性が原因かも」と思った、ごく僅かな例としては、自衛官の夫が、家庭内別居状態の妻の具合が悪くなっていたのに、適切な対処をせず死なせたという事件だった。

 

もしフィクションで、自閉症スペクトラム障害という設定の人物が、その特性ゆえに犯行に及ぶシーンがあったとして、その描写に説得力があれば、私は「上手く描けているなー」と関心するだろう。

 

id:shiju_kago クリエイターには『俺の脳内を盗んだな!』と言ってくるやつに被害にあってきた歴史があって、それがあの事件で大量虐殺に発展したのだけど、それを統合失調症という症状に帰結していいかはセンシティブな問題だよ

これは本当にそうで、そもそも、京アニ事件の犯人は、当初からネット上で「統合失調症なんじゃないか」と言われていたけれど、実際に統合失調症と診断されたのかどうか、私は知らない。

また、京アニ事件の犯人は、自分の脳内だけに存在していた案をパクられたと言っていたのではなく、京アニに応募したものがパクられたと言っていたわけで、クリエイター側から見ればどちらも言いがかりだが、精神疾患の側から見れば、この違いは考慮すべきかもしれない。

また、そもそも、多くの人は、実際に自分の案がパクられることがあっても、大量殺害はしないというのもある。

 

 

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yuhka-uno.hatenablog.com