宇野ゆうかの備忘録

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美人に対する「認知の歪み」と、美人の災禍

前回記事『女性は高い外見レベルを求められ、外見レベルが高い人の苦悩は無視される』では、「美人だって、虐待や貧困やいじめ、その他世の中の人が経験する困難を経験しないわけではないし、美人だということでその苦悩がチャラになるわけではない」という話をしたが、それに対して、id:tureture30さんからブコメと記事へのコメントで以下の言及があったので、今回は「美人だからこそ経験する災禍」についての話をしようと思う。

 

id:tureture30 私はこの増田さんに近い価値観かもしれません。生まれ持ってきれいな女性は容姿を武器に男を食い物にしているという先入観があります。それは本人が意識していなくてもです。カッコいい男もそうなのでしょうけれど

id:tureture30

ブコメでは語弊があるかもと思い補足です。 生まれ持って容姿の良い人は、 生まれ持ってお金持ちな人と同じように、 恵まれた環境を自覚せずに武器にしている場合があるという趣旨でした。 マリーアントワネットの 「パンがなければケーキを食べれば良い」発言に、 悪意があったかどうかは知りませんが、 悪意はないとしてそういう事です。 愛想よくしているだけで周りが助けてくれる。 多くの場面で得をする。 それが当たり前だと思って生きていて、 災禍なく生きられているとしたら、 そういう生き方しかできなくなります。 だから周りは自衛が必要、 その自衛行為が先入観を持つことなのかもしれません。 もちろん恵まれた環境を武器にしないで生きている方も、 たくさんいらっしゃいます。

 

これに関しては、私が色々言うよりも、かつてはてな匿名ダイアリーで話題になった『美人に生まれたら』 に、ほぼ全てが書いてあると言ってもいい。

anond.hatelabo.jp

 一部を抜粋しておく。

“と、ここまで話すと大概「女の嫉妬でしょう」と勝手に納得している人がいるけど、違うんだなぁ。男なんです、問題は。勝手に惚れる→振られる→いやがらせ。”

“俺の好意を踏みにじりやがって、みたいに逆恨みする男性は本当に多かった。わたしの三十余年の人生では。相手が傷つかないよう20枚くらいのオブラートに包んで丁重にお断り申し上げても、次の日から、ねちっこい嫌がらせが始まるわけです。”

“学生生活、サークル、アルバイト、30歳までの社会人生活に登場してきた男たちは、「自分の好意を踏みにじった独女」と「自分の手に入らない独女(最初から手に入りっこない独女)」が死ぬほど嫌いなんだ、ということをやっと悟ったので(馬鹿なので飲み込みが遅い)、次はそういうことが絶対に起こりえない職場にしようと思いました。”

“まあ何が言いたいかというと、美人というだけで楽勝全勝、というようなことを言う人が多い(特に男)ですが、そうではありませんよ、と。美人だからこその苦労も多い、と言いたかったんです。それと美人の苦労=女の嫉妬、というステロタイプの解釈もやめてください。わたしの人生においては、男からのいやがらせの方が圧倒的に多かったのですから。こういう話をすると、男からの好意(性的な)は無条件に喜べるわけではない、という前提を共有しているという点で、女の方から多くの賛同を得られます。男は苦虫を噛み潰したような顔になるので、リアルではあまり話せません。”

 

私が『美人に生まれたら』を読んで連想するのは、黒人奴隷制について、当時の白人が信じていた、黒人に対する幻想だ。

“ 白人たちは、奴隷を「従順」で「子どもっぽく」、自分の愚かさを自覚しており、自分より優れた主人たちに忠実であり、保護されていることで幸せを感じていると信じたがった。そのような従順な黒人奴隷を「サンボ」という。白人たちは、奴隷の大多数は「サンボ」で、反乱を起こしたり逃亡したりする反抗的な奴隷(「ナット・ターナー」)は少数だというわけである。
 1966年版の歴史教科書「ライズ・オブ・ジ・アメリカン・ネーション」は、南北戦争当時、南部で広く論じられた奴隷制賛成論を2ページにわたって詳述していた。
「奴隷たちには満足な衣食住が与えられ、病人になっても年老いても面倒をみてもらえた。何よりも文明化という点で大きな利点があった。逆に北部の工場労働者たちは解雇の不安に常に悩まされ、工場主に搾取され、年老いたり病気になると捨てられた。この見方は大農園主に特に支持され、小農園主や奴隷を持たない小作農たちにも広く浸透していた」”

白人による黒人奴隷貿易とアメリカの奴隷制度

 

現代を生きる私たちからすれば、この時代の白人の意識に「はぁ!?」と思うが、この心理自体は、実は珍しいことではないのだと思う。例えば、痴漢は「女性だって痴漢されたがっている」と、本気で思っている。性犯罪者は、相手が年端のいかない子供であっても「向こうが誘惑してきた」と言う。子供に対する自分の一方的な望みを「それが子供のためだ」「子供だってそう望んでいるはず」と思いたがる親は多い。

こういった誤った認識のことを、「認知の歪み」と言うが、要するに、いつの時代も、自分の一方的な欲望を「相手も望んでいる」と思う人は多いし、その思い込みは、相手が自分より立場が下だった場合のほうが、歯止めが効きにくく、より強力になるということだ。

 

この時代の白人の黒人に対する認識は、性差別的な男性の女性に対する認識と、驚くほど共通性がある。

「サンボ」と「反抗的な奴隷」の対比は、フェミニズム的な主張をする女性たちが、顔も見えないネット上ですら「どうせブス/ババアなんだろう」と言われるのと、非常によく似ている。彼らは、「美人であれば男から重宝されるから、男社会に対して不満はないはず」「男に対して不満があるのは、ブスかババアだ」と信じたがっているのだろう。

 

よく女性差別的な男性について、「女体は好きだが女の中身は大嫌い」と言われるが、奴隷制時代の白人もまた、黒人の体を求めていたが黒人の中身は大嫌いだった。(より正確に言うと、勝手に押し付けた都合の良い『理想の黒人像』とか『理想の女性像』とかの、幻の中身が好きなのだ。)

人として尊重されるのと、ただ体だけを求められ意思を無視されるのは、大きな違いだ。しかし、認知が歪んだ男性あるいは白人は、この区別がつかず、むしろ自分は相手を保護し大事にしてやっているのだから、相手にとって利益になるはずだと思い込んでしまう。

 

マッドマックス 怒りのデス・ロード(Mad Max: Fury Road)』という映画は、男性社会が持っている「女は男に気に入られてちやほやされるから人生楽勝だろう」という思い込みを、真っ向から否定する内容だった。

この映画において、悪の親玉イモータン・ジョーは、家父長制の権化として描かれている。彼は「5人の妻」と呼ばれている美女たちを、自分の子供を産ませるために監禁して性奴隷にしている。彼女たちは「WE ARE NOT THINGS(私たちはモノじゃない)」と書き残して逃げ出す。男性支配的な社会においては、美人女性の扱いは、人として尊重されるのではなく、権力ある男のコレクションとして扱われるということが描かれている。

 

ところで、私みたいなデミセクシャル傾向のある人間は、相手と親しくなって気が合うと実感しないと、付き合いたいとかセックスしたいとか思わない。きれいな容姿をしている人を見れば、「わーきれいだなー」と思って感心してしまうが、それとこれとは別だ。

また、大してモテに興味がなく、対面コミュニケーション能力も決して高くないので、自分がちやほやされるために、あまり親しくない異性と食事に行くくらいなら、一人で図書館にでも行ったほうが楽しそうだと思う。

もし私が、この性差別が存在する社会で、ただそこに居るだけで男性を惹きつける容姿を持って生まれていたら、随分生きづらかっただろうと思う。勝手に言い寄ってくる男性を上手くかわし続けるだけの能力が、自分には乏しいと思うからだ。

 

私は、男/女を喰い物にしたい、ちやほやされたいという欲望を抱えた人と、そうでない人は、美人、不美人両方にいると思っている。また、他人を容姿で判断する人としない人も、美人、不美人両方にいる。要するに、美人も不美人も人それぞれだ。

「生まれ持ってきれいな女性は容姿を武器に男を食い物にしている」という先入観が形成されるのは、実は、そう思っている人自身が、ちやほやされたい願望を抱えているか、あるいは、きれいな容姿の異性を前にすると、思考や感情のコントロールが効かなくなってしまうからではないだろうか。

ちやほやされて男を食い物にしたいタイプの美人もいるが、それを「美人も不美人も人それぞれ」と思わず、「ほぼ全ての美人はそうだ」と思っているとしたら、それは、自分が美人を目の前にすると勝手に気持ちがコントロールできなくなるのを、「美人が自分の気持ちをコントロールしている」と思い込んだり、自分の一方的な好意に過ぎないものを、「美人だって嬉しいはずだ」と思い込んだりするからじゃないのかな。

 

私は、男を食い物にできるかどうかは、ある種のコミュニケーション能力と、ターゲットになる人物を的確に見つけられる能力によるところが大きいと思う。良く言えば営業の能力、悪く言えば詐欺師の能力と一緒だ。木嶋佳苗などは、その天才だったのだろう。

一方、美人でもそういう能力が乏しい人は、男を食い物にするよりは、むしろ男から食い物にされる危険性がつきまとうだろう。

 

じゃー「モテる」と「カモられる」の違いってなんなのよってことですが、端的にいえば「モテる」とは「相手をきちんと考えられる思いやりのある人に好かれる」ってことです。「カモられる」というのは「相手の欲望が中心で、こちらの痛みや思いなどは軽視する人に好かれる」ということ。

モテる:あなたは相手が大事にしたい人。思いやりの対象。
カモられる:あなたは相手の欲望を満たすツール。利用の対象。

なぜ『姉の結婚』『今日は会社休みます』は駄目ファンタジーなのか - 妖怪男ウォッチ

 これの「モテ」を基準にすると、美人は必ずしもモテているとは限らないのではないだろうか。

 

かと言って、じゃあ女は見た目を整えるのをやめればいいかというと、それもまた簡単ではない。『美人に生まれたら』レベルの美人は、男を避けるためにそういう方向に行く人もいるが、一般的には、見た目を整えていないとナメられるのである。

女性がおしゃれするのを「モテるため」と思っている男性が多いが、私の感覚で言えば、制服を着る学生だった時代を過ぎれば、女がおしゃれして小奇麗にしておくのは、「ナメられないため」という感覚が大きい。主に男性から。

特に、正論・反論を言う時はそうだ。ただでさえ、同じことを言っても、女性が言ったか男性が言ったかで、態度を変えられることが多いのだが、その上、男性の中には、「ブス」(ここで言う「ブス」とは、男性異性愛者から見て性的魅力が乏しい人という意味)と認識した女性の話をまともに聞かなくなる人がけっこういる。そのことは、ネット上で顔出ししていないのに、気に入らないことを言う女性に「ブス」と言う男が多いことからも明らかである。

 

これはエビちゃんブームの頃に書かれたエントリで、まだネット上でフェミニズムが話題になる以前の話だけれど、これは女性を取り巻く現実だなと思う。

女性がおしゃれで小奇麗にしておくのは、まず男性の「ブス」と言う口を塞いで、少しでも自分の意見を通せるようにするためでもあるのだ。プラスの扱いを受けるための対策ではなく、マイナスの扱いを受けないための対策として。

chanm.hatenablog.com

 

まぁ、相手を中身で判断する人間だって、結局「中身でえり好みする」ということだから、別にそんなにきれいなもんじゃない。ただ、自分は容姿で判断されるのが嫌なのに、自分は他人のことを容姿で判断している人については、なんかおかしいなと思う。

男性の中には、「美人はどうせ俺を相手にしない」という屈折した気持ちを抱えている人がいるが、美人の中身を見ようとせず、「どうせ美人なら人生楽勝だろう」と思っている人が、美人から信用されず、相手にされないのは、当然のことだろう。

 

おまけ。 

Queer Eye in Japanのエピソード1、ヨーコさんの回。水原希子が「女を捨ててる」という言葉について話す。


Tan France & Kiko Mizuhara - How to be a Trailblazer | Queer Eye: We're in Japan! | Netflix

ファブ5のサポートで変身したヨーコさん。(オードリー・ヘップバーンが好きらしい。)