宇野ゆうかの備忘録

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不登校やひきこもりが回復できなくなるメカニズムについて

タイトルにはこう書いたけれど、ひきこもりや不登校の要因や環境は様々で、一概にこうとは言えないことを、最初に言っておかなければならない。だから、これから書くことは、全ての類型に当てはまるわけではない。ただ、私自身が体験し、そして、他のひきこもり状態にある(あった)人の話を見聞きした経験から、よくある類型について話してみようと思う。

 

結論から簡潔に言うと、本人は「生きるか死ぬか」というレベルの状態にあるのに、家族や周りの大人たちが、本人のことを「学校に行くか行かないか」「働くか働かないか」というレベルでしか考えていないという状態に陥るのが、不登校やひきこもりが回復できなくなるメカニズムだ。

 

例えば、もしあなたが事故に遭ったり病気になったりして、身体が生きるか死ぬかというレベルの状態になったとしよう。そういう時、家族があなたの状態を理解せず、「なんで働かないの?」「学校に行きなさい」と言ってきたら、どうだろう。そして、必要な治療を受けるための費用を自分で払うことができず、病院にも行けなかったとしたら。

あるいは、もしあなたのお子さんが、身体が生きるか死ぬかというレベルの状態になったとしたら、学校へ行ったり働きに出たりすることを求めるだろうか。むしろ、子供本人が「学校へ行かなきゃ……」「このままだと将来が心配で……」と言ったとしても、「今はそんなこと考えなくていいから、とにかく休みなさい」と言うのではないだろうか。

 

ひきこもりや不登校の経験者には、「あの頃は死にたいと思っていた」と語る人は多い。(人によっては「消えたい」と表現することもある。)そこまでは思っていなかったとしても、少なくとも、精神的に重いダメージを受けている。

心と身体は似ていて、身体が「生きるか死ぬか」というレベルの状態にある時には、とても働くなどということはできないように、心が「生きるか死ぬか」というレベルの状態にある時も、とても働けるような状態ではない。「生きるか死ぬか」というレベルの怪我や病気をした場合に必要なのは、適切な治療と安静であるように、心が「生きるか死ぬか」というレベルのダメージを負った場合も、それは同じなのだ。

 

心が「生きるか死ぬか」というレベルの状態では、むしろ、無理に働いたり学校に行ったりしたら、命の危険すらある。しかし、その状態を家族から責められ、心を傷つけられるので、家庭は休息と回復の場にならず、逆に、自分を学校や就業の場に戻そうとする親から身を守るため、常に「死なないための戦い」を強いられる場所になる。かといって、収入がないから自主的に治療を受けられないので、家庭の外に回復の場を持つことも難しい。

こうして、ひきこもりは回復不可能な状況に陥ってしまう。私は、これがひきこもりが回復できず長期化するメカニズムだと思っている。傍目には何もせず休んでいるように見えても、本人の精神は全然休めていないのだ。

 

こう考えると、家族を避けて自室に閉じこもる、ゲームやネットばかりする、昼夜逆転するといった、ひきこもりにありがちな行動も、全て「死なないようにするため」で説明がつく。

「なんで働かないの?」「なんで学校に行かないの?」と言ってきて、自分を否定的な目で見る家族と接していると、死にたくなってくるので、死なないために家族を避けて過ごす。

「死にたい」という気持ちを紛らわせるために、外出しなくてもできる気晴らしをする。結果的にそれがネットやゲームになる人は多い。ゲームをしている間は、少しだけ「死にたい」という気持ちを忘れられる。ネット上なら匿名性が確保できるから、ある程度安心して他人とコミュニケーションが取れるという理由もある。

自分が普通に働けなかったり学校に行けなかったりすることで自己肯定感が失われているひきこもりにとって、世の中の人が働いたり学校に通ったりしている昼間の時間帯は苦痛だ。それに、昼間は玄関のチャイムを押されたり、家に電話がかかってきたりして、家の外の人がアクセスしてくることもあるから、安心できない。だから夜のほうが落ち着く。

将来のことは考えないようにする。考えると、絶望的なイメージしか浮かんでこなくて、死にたくなるからだ。

 

「死にたい」というのは、なかなか打ち明けられるものではない。「こんなこと、親が聞いたら悲しむ」と思うし、あまりにも理解のない答えが返ってきたら、かえってさらに心にダメージを受けるからだ。なので、言うのは慎重になるし、言う相手は選ぶ。(ただ、我慢し切れなくなって言ってしまう場合もあるけれど。)

訓練を受けていない人は、誰かから「死にたい」と打ち明けられると、「何を言ってるの」「そんなこと言っちゃダメだよ」と答えてしまいがち。しかし、死にたい気持ちになった人が回復していくには、安心して「死にたい」と言える環境が必要だ。

 

また、子供がひきこもりになると、親が子供に自分の不安感をぶつける関係になりがちだ。

「機能不全家庭」でよく言われる不健全な親子関係というのは、親と子の役割が逆転してしまっている関係だ。本来であれば、親が子の不安感を受け止めてあげるところが、子が親の不安感を受け止め、なだめてあげる関係になってしまっていたりする。

子供が不登校やひきこもりになってしまうと、親は不安になり、子供に対して、自分が不安に思わない行動を期待し要求するようになってしまう。つまり、「学校へ行け」とか「働け」とか「将来のこと、どう思っているの?」などと言ってしまう。

こうなると、本人は既に心をすり減らしている状態なのに、さらに親の不安感を受け止めることを求められる状態になる。本当は、本人が不安感を抱えていて、誰かにその不安感を受け止めてもらう必要があるにも関わらず。

なので、親の不安感は子供にぶつけず、カウンセラーや家族会などの人に受け止めてもらい、ひきこもりはひきこもりで、自分の不安感を受け止めてくれる存在が必要になる。

 

となると、ひきこもりが回復するために必要なことは、自分が今、とても働けるような精神状態ではないことが理解されて、十分な休息が取れる環境だ。そして、必要であれば精神科に行ってカウンセリングを受けられたり、ひきこもり支援のサポートを受けられることだ。

ひきこもりや不登校において「居場所」のニーズがあるのは、実は家では全く休めておらず、今の自分の状態を責められることがない「居場所」に来て、やっと休める状態になるからだろう。

 

また、ひきこもりが社会に出て行く時に一番の壁になるのが、「世間の、ひきこもりに対する攻撃的な目線」である。おそらく、これが一番の、不登校やひきこもりが回復できなくなるメカニズムだ。そもそも、ひきこもりに対する親の接し方は、世間のひきこもりに対する認識の反映である。つまり、世間がひきこもりに偏見を持っているから、親も偏見を持つのだ。

ひきこもりに一生ひきこもってもらう一番良い方法は、「ひきこもりは甘え」と言うことである。

 

私は、不登校やひきこもりになった子供に対して、周囲の大人がまず心配するべきことは、「勉強が遅れる」とか「このままだと将来が~」とかではなく、「この子、精神的にかなり辛いんじゃないかな」だと思う。たしかに、勉強は後から取り戻すのは簡単ではないが、心身の健康は、それ以上に取り戻すのが難しいのだから。そして、勉強は、心身が健康でないとできないから。

そして、専門家に相談してほしい。いくら子供に対する愛があっても、病気や怪我は親の愛だけでは治らない。それと同じだ。

 

“ーー不登校になるんじゃないかとか、そのまま引きこもって社会に出られなくなるのではないかと親は心配するのでしょうね。

気持ちはわかりますが、自殺既遂者の調査で興味深いなと思ったのは、若くして自殺している人はみんな、中学などで不登校の経験を持っているということなんです。7割か8割、不登校の経験があります。

でも驚くことに、不登校の子は通常そのままズルズル学校に行かずに引きこもることが多いのですが、自殺した子供はほぼ全員学校に復帰していたんです。

不登校になるほどしんどかったのでしょうけれども、周りの意向に応えて頑張って行ったのでしょうね。その代わりに命を縮めた可能性があります。不登校を続けていたほうが生き延びていたのではないかという気さえするのです。

自殺予防の観点から言えば、不登校を恐れるべきではないのだろうと思います。”

不登校を恐れるな 誰かとつながっていればいい

 

“この言葉を聞いて私はやっと気がつきます。”

“娘の苦しみは思ってる以上に深いこと。
誰もが認めるような理由が見えなくても甘えなんかではないこと。

そして休んだからと言って気持ちは全然休めていないということに。”

woman.excite.co.jp

これを見ると、最初のうち「しっくりこない」と思っていた、病院の医師の「学校に戻そうと思っているうちは子どもは動かないよ」と言うのは、その通りなんですね。子どもからすると、学校に戻されたら命の危機だもの。

この親御さんは、娘さんの「消えたい」という言葉で気づけたけれども、気づかない親も沢山いるからね……

 

 

 

もしも「死にたい」と言われたら  自殺リスクの評価と対応

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