宇野ゆうかの備忘録

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なぜ(特に男性は)ファッションに失敗する人が多いのか・後編 ~学校の服装指導から考える

前回記事『なぜ(特に男性は)ファッションに失敗する人が多いのか・前編~着物との比較から考える』においては、(特に男性が)ファッションに取り組もうとして失敗し挫折する要因として、現代日本における着物と洋服、それぞれの衣服をとりまく現状から考えた。

私はもう一つの理由として、学校における服装指導の影響があると思っている。

 

前回記事の引用文に「いやぁ、男は毎日スーツを着ているうちは、どうでもいいやって思っちゃうんですよ。」とあるが、多くの男性がそう思ってしまう理由として、スーツを、中高生時代の学生服の延長だと認識してしまっているというのがあるのではないだろうか。

 

“最近、娘の学校説明会などでスーツを着る機会が多い。僕は企画業という仕事柄、Tシャツと短パンというラフな格好が多く、スーツは慣れていない。むしろスーツを着ることに対して抵抗感すらある。

そんなわけだから“スーツ着用”って書かれていても、なるべく手を抜こうとしてしまう癖がある。普段手ぶらだから鞄を持たなかったり、暑ければノーネクタイにシャツだったり。まぁそれでも我慢して着てる分だけ偉いと思ってた。

ただ、その様子に見かねた妻が、あんたなぁ…と呆れた顔して問うてきた。

「なんなん?そのスーツの着こなしは?」

いやいや、ちゃんと着てるやん。と答える俺

「あんたさ、スーツはなんのために着ると思う?」

えっ、、場の風紀を乱さないためでしょ。”

個性と惰性を履き違えるな。|高木新平|note

引用元の内容は、「型があるのが『型破り』、型がないのが『型なし』」という、巷でよく言われていることそのものだろう。

私は、この文の「風紀」という言葉から、学校的なものを連想してしまった。スーツを着る理由を「場の風紀を乱さないため」と思うのは、もしかしたら、校則で縛られていた学生服時代の延長でスーツを捉えているからではないだろうか。

 

学校における服装指導と、社会一般のドレスコードやスーツの着方は、違うものだ。思い出してみても、制服を着ていた頃の学校生活の中で、結婚式や葬式に何を着ていくかや、「スーツを着る時は、座った時でもスネ毛が見えない長さの靴下をはくように」といったスーツの着方について、教わった記憶はない。

……つまり、学校は熱心に服の着方を指導するが、社会一般で通用する服装のルールについて教えているわけではないのだ。学生時代に真面目に校則を守っていた人のスーツの着方がおかしいというのは、よくあることである。

しかしながら、服装を指導する教員は、指導する理由を「学校は社会に出るための場。そのための生活指導」などと言ったりするので、学校の校則というローカルルールと、社会一般に通用する服装のルールを、混同してしまうのだろう。そもそも、指導する教員自身も混同していることが多いのではないだろうか。

 

多くの学校では、生徒のおしゃれ――外見的自己表現に対して、あまり良い顔をしない。なので、学生服を着ている期間においては、「きちんとした学生服=おしゃれじゃない」「校則違反の学生服=おしゃれ」みたいな図式ができあがる。

その結果、個性を出したいタイプの人にとっては、学生服の延長として認識してしまっているスーツを、「おしゃれじゃない」と思い、逆に、勉強ができる優等生だったことがアイデンティティになっている人や、おしゃれに対して苦手意識がある人は、「おしゃれ=校則違反するような連中がするもの=チャラ男&キラキラ女子=バカ=自分はあんな連中とは違う!」という、鬱屈した偏見を育ててしまうケースも多いのではないだろうか。

 

しかし、実際には、スーツをおしゃれに格好良く着こなすには、スーツに対するリテラシーが必要だ。この部分は、前回記事で述べた着物の着こなしに対するリテラシーと似ている。多くの人は、着ている人が同一人物であっても、スマートに着こなしたスーツとそうでないスーツを並べられれば、どちらがスマートかの見分けはつく。しかし、どこがどう違うのか、何をどうすればスマートに着こなせるのかは、知識が必要になってくる。

これらは、学校で言われた「髪を染めるな」とか「ピアスを開けるな」などといったこととは、全く別のことだ。着物をきれいに着付けられるかどうかが、それらのこととは全く別のことであるように。

 

前回記事で、「『フォーマルな着物はわかるけど、浴衣や着流しはわからない』という人は、あまりいないだろう。」と書いたが、私は、スーツの着方がわかれば、おのずとカジュアルもわかるものだと思う。

なぜなら、スーツの着方がわかるということは、沢山種類があるジャケット、パンツ、シャツ、靴、靴下、ベルト、ネクタイなどのアイテムのうち、どれがフォーマル用でどれがカジュアル用かがわかるということだからだ。そして、洋服の中ではスーツのサイジングが最も厳密なので、自分に合ったサイズ感やシルエットがわかるということだからだ。

 

洋服は、なまじ、子供の頃から当たり前に着ていた衣服なだけに、基礎から洋服の着方について解説する本が少なかったし、自分がどこから洋服のことを知らないのかも知らないし、当たり前だと思っていることを問い直してみたり、一から調べてみるという発想ができにくいのかもしれない。

あまりにも身近で当たり前にあるものなので、意識することは少ないが、スーツだって、着物と同じように、西洋の衣服の歴史と文化の上に成り立っているものなのだ。

 

一方、スーツの着方云々とは別に、日本のクールビスに限らず、海外でも服装はカジュアル化していっているが、こういったカジュアル化の波は、時代の流れとして自然なものだと思う。

20世紀初頭の貴族の邸宅の人間模様を描いた英国のドラマ『ダウントン・アビー』では、グランサム伯爵がタキシードを着ながら「こんなカジュアルな服を着る時代になってしまった」とぼやくシーンが出てきたが(つまり、これまではこういう場面では燕尾服を着るものだったという意味である。)、100年程経った現在、再びカジュアル化の大きな転換期が着ているのだと思うと、ちょっと面白い。

あと何十年か経ったら、スーツはそれこそ冠婚葬祭の時にしか着なくなるかもしれない。その時には、今時の若い子に「私が若い頃は、スーツを着て仕事をするのが当たり前だったんだよ」なんて言ったりしているのだろう。

 

余談だが、“スーツ着用”と書かれているということは、「スーツまたはスーツと同格の民族衣装」として考えて良いだろう。グローバルなドレスコードは大抵そうなっている。ここでもし「民族衣装はダメ」と言ったら、民族差別になってしまうからだ。なので、スーツが嫌ならスーツと同格の着物姿で行くという手もあるだろう。

ま、場合によっては、「そもそも、ここって本当にスーツ着ていく必要あるの?」ってケースもあるだろうけど。*1

 

まぁ色々言ったけど、「なぜ(特に男性は)ファッションに失敗する人が多いのか」については、結局、女性より外見に気を使う文化がないからっていうのが、一番の理由だと思うけどね!(ミもフタもない)

実はこれもけっこう大きな原因で、女性の場合だど、ギャルでもキラキラ女子でもない人が普通におしゃれだったりするけど、男性の場合、女性よりおしゃれする人の絶対数が少ないから、身近にロールモデルが見当たらないというのもありそうだな、と思う。