宇野ゆうかの備忘録

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白髪とロックTシャツと常識――自分を愛するため

www.huffingtonpost.jp

前回記事『白髪を染めないのはマナー違反なのか?――髪色とドレスコード』では、「白髪を染めないのは失礼」という「常識」について考えてみた。今回はその続きで、「女の子はかわいくてきれいがいい」という「常識」について考えてみようと思う。

 

白髪育ての間は、自分の心も育てているような感じでした。なぜこの年齢になって、青少年みたいに心を強くすることをしなきゃいけないの、と思ったこともあります。

幼い頃から内面化されてきた「女の子はかわいくてきれいがいい」という、自分の「常識」がここで試されるんです。白髪を染めずにいるのは「常識」に反するわけですから。おとなしく染め続けているのが、精神的には一番楽です。

 

 これは、私が20代前半の時点で捨てた「常識」だ。

私は落ち着いた大人顔だったので、実年齢より上に見られることが多く、同年代の若い女の子向けの格好が、ことごとく似合わなかった。というわけで、早々に「私は年上に見られたっていいし、かわいくなくていい」という考えにシフトした。そして、大人っぽい自分に似合うものを探すために、自分が魅力的だと思う年上の女性たちを観察することにした。

そんな私なので、上の文章を読んだ時、こう思ってしまった。「逆に、なぜ『この年齢』とやらになってまで、『女の子はかわいくてきれいがいい』という常識に従わなくてはならないの?」

 

以前、「40代が似合わないTシャツはコレ!」と題して、レースつきや深いVネックやビッグTはダメだの、ロックTシャツは精神的に大人になり切れてなくて常識がないだのと書いて炎上した記事があったけれど、*1どこかのグループに属してないといじめられるだの、トイレに一緒に行かないとダメだのの同調圧力に悩まされる「女の子」の時期を過ぎて、とっくに「大人の女性」になった40代なら、「私は私、あなたはあなた」という振る舞いを身につけてもいい頃だと思った。他人に同調圧力をかけて、自分と違う趣味の人にケチをつけている人は、精神的に大人になりきれていると言えるのだろうか。

 

「痛いおばさん」は、社会的な立場であり、周囲からの評価です。痛いと思われることを知りながら、そのような服装や美学を貫く人の内面は自立していると私は思います。趣味嗜好が子ども好みであるとか、かわいいものばかりだとか、そういうことは関係がありません。「なんとなく仕事ができそうに見えるから」とスーツを着て、ショートカットにする人の内面は、幼稚です。自分の常識を誰かに預けて生きる人は、自立していないのです。

「大人になる=処女喪失が怖い」 雨宮まみの“穴の底でお待ちしています” 第13回

 

まぁ、実年齢より上に見られたからって、それがどうだという話だし、ぶっちゃけ、おしゃれなんて、自分を売り込むタイプの仕事に就いているのでもない限り、別にしなくてもいいものだけれど、 ただ、そうは言っても、かわいくてきれいに見られたいし、若く見られたいという願望はあるものだと思う(そうじゃない人は、最初から悩まないよねw)。なので、ここからは、私が年上女性を観察してきて思ったことを書いてみようと思う。 

 

私が年上の女性たちを観察していて思ったことは、シミやシワなどよりも、「若作り」と「流行遅れ」のほうが、ずっと老けて見えるということだった。

若者からすれば、40代50代の女性にシミやシワがあるのは、当たり前のことで、特に気にはならない。一方、トレンドの感覚がある若者だからこそ、母親のメイクが若い頃のままなのがよくわかった。

老けて見られたくないなら、シミやシワや白髪よりも、眉毛の書き方や口紅の色が、若い時のまま止まっていないかどうかを気にしたほうが良いというのが、私が得た見解だ。

 

私は以前、『自分が若いときのままで時が止まっているのは、「若い」とは言わない』というブログエントリを書いたことがある。ここでは価値観の古さという話だったが、ファッションにも同じことが言えるのだと思う。私はブログエントリの中で、「『若い』っていうのは今を生きることだ。」と書いたが、結局、外見における若々しさもそうなのだろう。シミやシワや白髪がある自分の「今」と、時代のトレンドという「今」を生きている状態が、年上の女性たちを観察してきた私が思う「若々しさ」だ。

 

私は、多くの場合、女性は男性目線から解放されたほうが、魅力的になれると思っている。なぜなら、男性目線の価値基準は、要するに「男にとっての都合のいい女」なので、「親にとっての都合のいい子」と同じく、その人本来の魅力が殺され、自己肯定感を失わせる方向に行ってしまいがちだから。

それに、男性だって一人一人好みが違うのに、それを最大公約数的にまとめてしまうと、すごく狭いわりには、すごくふわっとした女性像になってしまって、無理やり自分をそれに当てはめようとすると、特に悪くはないけれど、取り立てて良くもない、よくいる普通の人になってしまうから。

 結局のところ、外見的造形についても、自分の評価軸を他人に預けてしまっている状態よりも、評価軸を自分自身に設定して、セルフコンフィデンスがある状態になったほうが、その人の魅力が出ると思う。他人とか世間とかの枠に収まってると、ある一定以上には伸びないんですね。

 

だから、とにかく男にモテたいしちやほやされたいというタイプの女性ならともかく、よく考えたら、自分のことを理解してくれるパートナーが一人いればいいし、何ならいなくてもそれなりに過ごせるし、好みじゃない男が寄ってきても特にありがたくもないという人にとっては、「女の子はかわいくてきれいがいい」という価値観は、実は手放してもいいものだと思う。

個人が「私はかわいくてきれいな格好がしたい」と思ってするのは、その人の自由だけれど、「女の子はかわいくてきれいがいい」というのが「常識」だから、しないといけない気がしているのなら、その「常識」自体を疑ったほうがいいと思う。それは、ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』で百合ちゃんが言ってたみたいな、呪いの可能性が高い。

 

togetter.com

 

だいたい、男(おっさん)のほとんどはおしゃれに興味がないので、そういう漠然とした男性目線に合わせても、おしゃれになれたりしねぇんだわ。元記事に「おしゃれなマダムはグレイヘアが多い」という話が出てくるけれど、そういうことだと思う。 

この本を作るうち、あることに気づいたんです。おしゃれな女性はグレイヘアが多い、と。「老けてみられると恐れるよりは、自分らしくありたい」という価値観から、彼女たちはグレイヘアを自ら選んでいました。

 自分のやりたいことが「男からのちやほや」な人は、そっちを目指せばいいし、「おしゃれ」な人は、そっちを目指せばいいし、常識的な格好に「擬態」しておきたい人は、そうすればいいし、どっちにも興味がない人は、どっちもやらなくていいんじゃないかな。

 

ただ、外見的なかわいらしさを手放しても、別の形でのかわいらしさは残ると思っている。それは、男性目線で見た「若くてかわいい子」ではなくて、人としてのかわいらしさ。「キュート」ではなく「チャーミング」ということだ。

それがどういうふうに身につくのか、はっきりとはしないけれど、そのひとつの要素としては、素直でいることだと思う。素直でいることで、その人の持っている、内面的な、人としての素のかわいらしさが出てくるものだと思う。

 

それに、「あれもダメ、これもダメ、ロックTシャツは痛い」って方向に行くより、ロックTシャツ着たかったら、どうすればおしゃれに格好よく着こなせるかを考えたほうが、おしゃれも上達するし、そっちのほうが若々しいし、チャーミングだ。

「ロックTシャツは痛い」って記事見るより、こういうの見たほうが楽しいよね!

matome.naver.jp

 

ところで、前回記事のブックマークコメントに、こんな書き込みがあった。

id:kaminoke-no-ohanasi 学校生活で言えば、若白髪で悩む子が「校則で白髪染めをさせてもらえない」と嘆いていた。

元記事で「グレイヘアリスト」になった朝倉真弓氏も、11歳の頃から白髪が生えていたことでいじめられて、学校側に髪を染めたいと言ったが、認められなかったという。*2一方で、生まれつき茶髪の生徒に黒染めをさせようとする学校がある。

どうなんだろう。もし若白髪で悩む生徒が、白髪ではなく茶髪だったら、学校に言えば染めさせてもらえたのだろうか。それはわからない。でも、「若白髪でいじめられるから黒に染めたい」と「生まれつきの茶髪を黒に染めたい」だったら、後者のほうが許可が下りやすい感じがするのは、気のせいだろうか。もし気のせいでないとしたら、日本の学校という場所のグロテスクさを感じる。