宇野ゆうかの備忘録

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不登校児の回復には親の教育とカウンセリングが必要

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とある不登校支援サービスが話題になっていた。内容としては、親だけに働きかけ、変わるのは親だけで、それで再登校する子が91%だと言う。

確かに、親に働きかけ、親が変わることは、不登校支援には不可欠と言っても良い。ただ、実際には、ここで書かれていることとはかなり違う。

 

先に断わっておくのだが、ひとくちに「不登校」と言っても様々なケースがあり、一概には言えない。ここでは「よくあるケース」の話をする。

不登校児で多いのは、PTSDなど、精神的に限界がきて心を壊してしまって、学校に行くどころではない状態になっているケースだ。学校に行くことができなくなるだけでなく、勉強もできず、外出もできず、中には風呂に入ることも歯を磨くこともできず、ぐったりとしてしまう子もいる。こういう子どもに必要なのは、とにかく休ませること。安心安全なを感じられる環境で、精神を回復させることだ。

単なる怠けから不登校になっているのは、不登校の中ではレアケースである。

 

ところが、これがものすごく難しい。今の大人世代は、こんなこと全く教わって来なかったからだ。今の大人たちが子どもの頃は、鬱病すらも一般には知られておらず、「鬱病は怠け病だ」と言う人が多かった。当然、当時の大人たちは、「普通の人」が精神科に行くなんて考えていなかったし、不登校は甘えで怠けだと思っていた。

つまり、今の親世代は、精神疾患メンタルヘルスについて、何も教わったことがなく、ただ不登校に対する差別と偏見だけを植え付けられているのだ。この状態で、わが子が不登校になった時、正しい対応ができるわけがない。多くの場合、不登校に対して、親の人生経験は何の役にも立たず、かえって足を引っ張ることになる。

 

じゃあ、正しい知識を学んでもらえば解決するのかというと、これがそうもいかない。不登校児の親は、とにかく情報はよく調べるのだけれど、感情がついていかない状態になっている人が多い。

とにかく、思い通りにいかない、親の常識から外れた子ども、やるべきことをやらない子どもに対して、イライラが収まらない。子どもの将来が不安でたまらない。しかし、本を読むと、大抵「子どもを受け入れてあげて」「信じて待て」と書いてあるし、支援者にもそう言われるので、我慢して自分の感情を抑え込んで、結局爆発することを繰り返してしまう。

それは、「なぜ、子どもが不登校であることが、こんなに不安なのか」ということが、「正しい知識」とは別のところにあるからだ。不安の原因というのは、人によって違うのだが、突き詰めると、多くの親の根底に「子どもが不登校だと、社会から攻撃されて、排除されて、生きていけない!」という恐怖や、「自分の親から認められなくなる」という恐怖が居座っているのだと思う。

結局のところ、感情というのは小さな子どものようなもので、他者の都合など考えないし、大人の理屈で説得できない。親の中の「不安だよ!安心させてよ!私を不安にさせるあの子が悪いんだ!あの子なんかより私を優先してよ!」と泣き叫ぶ感情ーー小さな子どものケアをする技術が必要になってくるのだ。

 

あとからわかったことですが、自分の中から湧いてくる怒りを抑え込んで強制的に静かにさせるような、まるで手下のような感覚を持ったままだと、逆に怒りはどんどん増幅されていきます。例えば「ここ(職場)ではキレてはいけない」と〝手下〟に命令して、言い聞かせることに成功しても、発散させる場所や相手の矛先を変えて結局爆発します。
夫にキレる自分が嫌で仕方なくてもがき苦しんだ私が、自分なりの「キレない生活」を過ごせるようになったきっかけは、自分の中の怒りを「言う事を聞かない手下」として捉えるのをやめ、「甘えてくる小さい子ども」なんだと理解したことです。

「キレる私をやめたい」の著者が怒りのしくみを解説。怒りは「甘えてくる子ども」、まずは話を聞いてあげよう | ランドリーボックス

 

子どもが回復するには、安心安全を感じられる家庭環境が必要不可欠で、それには親が子どもにどう接するかで決まってくる。しかし、子どもが不登校になると、親自身が不安でイッパイイッパイになってしまって、とても子どもの心のケアをするどころではなくなってしまう。なので、不登校の回復には、親の心のケアが必要なのだ。

それでも、元々、子どもにとって安心できる家庭環境を築いていた家庭の場合は、親が不登校のことを理解すると、回復環境ができて上手くいくことも多いが、元々安心できる家庭環境ではなかったケースだと、なかなか難しい。そういう家庭は、大抵、親がアダルトチルドレンで、安心できる家庭や、傷ついた子どもの心のケアをする親というものを知らない。親自身が自分の育ちに向き合って、アダルトチルドレンを克服してもらう必要がある。実際、子どもの不登校がきっかけで、自分がアダルトチルドレンだと気付いた親は多い。

 

不登校児の親のカウンセリングをしている人が、口を揃えて言うのが、カウンセリングを受けに来る親は、皆、生真面目で気遣いのできる良い人なのだという。これはつまり、アダルトチルドレン的な「いい子」なのだ。モラハラ被害に遭いやすいタイプとも被っている。まぁ、逆に言えば、比較的すんなりと不登校児を受け入れられる親と、どうしようもない毒親は、カウンセリングを受けに来ないということでもあるのだろうが。

「いい子」の親は、「自分に優しく、他人に優しく、子どもに優しい」ではなく、「自分に厳しく、他人に気を遣い、子どもに厳しい」傾向がある。親に従順に生きてきたので、社会の「普通」や「常識」に対しても従順で、それが安定的で幸せな人生を送るために必要なことだと思っている。それはつまり、自分の親の価値観で生きているので、感覚が一世代ほど古いことを意味する。また、子どもの頃から親に迷惑をかけないように生きてきた人は、わが子が自分に迷惑をかけるのを「許せない」という気持ちになったりする。

結局、どんなに「子どもが大切」と思っていても、親自身が、自分を大切にするスキルと習慣を身に着けていないと、子どもにそれを伝授することができないのだ。

こういう親だと、子どもが不登校になったら、親子とも大変な精神状態になり、不登校をこじらせやすいということは、目に見えている。残念ながら、「いい子」は「いい人」にはなれても「いい親」にはなれない。そして、日本はこういう親が珍しくない。

 

また、親(大人)の考えや価値観を取り入れながら育ったため、子どもの頃から大人化されています。それによって、親や大人側に立ったものの見方しかできなくなってしまっているため、子ども側の気持ちがわかってあげられないのです。

 

日本人の多くはACともいわれています。個人よりも目上や社会、他人に合わせることが求められる日本の風潮は、ACを育てる土台になっているのです。

ですから、”当たり前で何の疑いも持たない”ようなところの中に、実はACを育ててしまう素因があることに対処していかなければ、今後もACは受け継がれていくばかりなのです。

  ー『ママ、怒らないで。(新装改訂版)』ー

 

子どもが不登校になった時、周囲の大人たちは、勉強の心配と、将来の心配をする。しかし、本当に最優先でするべきなのは、子どもの心を守ること、命を守ることだ。はっきり言って、今まさに子どもの精神が危機状態になっている時に、学校に行くとか勉強するとかは、大して重要ではない。これは、今まさに子どもが骨折しているという事態においては、最優先で行うべきなのは骨折の治療であり、学校や勉強ではないのと同じことだ。

実際、子どもが将来、社会に出て働いていく上で最も必要なものは、心身の健康だ。私の考えとしては、不登校児に対しては、同年齢の子より社会に出るのが遅れても良いから、後遺症を最小限にして回復させてあげることを目標にするのが良いと思う。世の中、病気の治療で社会に出るのが遅れたり、大学に一浪二浪で入る人もいるのだから。

 

多くの大人は、不登校について、「学校に行けないのなら、フリースクールに行けば良い」と考えている。しかし、実際には、精神状態が回復して「学校に行くか、それとも別の方法を取るか」を選択できるようになるまで、かなり大変だし時間がかかるのだ。

文科省が定める不登校の定義は、「何らかの 心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、 登校しないあるいはしたくともできない状況にあるために年間 30日以上欠席した者のうち、病気や経済的な理由による者を 除いたもの」だが、実際には、子どもを診てくれる精神科は少なく、初診で予約を取ろうとすると何ヶ月待ちと言われる状態なのだ。つまり、未診断の子どもが多いということになる。これは文科省だけで対応できる問題ではない気がする。そして、精神科にかかれても、適切な対応をしてもらえるとは限らない。

 

歯を磨かない、風呂に入らない、昼夜逆転、ゲームやネットばかりする等は、「不登校児あるある」だが、これは、どんな性格の子にも共通して起こっているため、不登校の「症状」と考えるべきだろう。というよりは、精神の調子が悪い人の「症状」なのだが。

なので、不登校児は、鬱病の人が回復するような過程を経て回復していくし、不登校児に対する接し方も、基本的には、鬱病の人に対する接し方と同じである。

  • 精神の回復は、何ヶ月という単位で考えるもの。
  • 本人にとって精神的負担が少ないことから、徐々にできるようになっていく。
  • 回復には波があり、良くなったり悪くなったりを繰り返しながら、段々良くなっていく。

これらのことは、大人の鬱病にも、子どもの不登校にも当てはまる。

しかし、不登校児の親たちは、遊びはするが勉強しない(できない)わが子に腹が立ち、回復期に学校に行ったり行かなかったりするわが子に、ジェットコースターのように一喜一憂し、『子どもを信じて待て』と書かれてある本を読んで、「いつまで待てば良いの!?」のイライラしてしまう。

 

精神的な安静とは何もしないで家でじっとしていることではなく、「イヤなことをせず、好きなことをする」ということ。うつ状態を訴えて会社を休んでいる人が遊びにいったり旅行したりするのはけしからんといった風潮がありますが、むしろ仕事のことは忘れて思いっきり遊ぶべきなんですね。

人と会わず家に引きこもって過ごしていると、先ほどお伝えした「思い込み」が促進させてしまい、復職への心理的ハードルを高めてしまう恐れがあります。ですから、家族でもいいし、親しい友人でも構いませんので、誰かしらと一緒に好きなことをして過ごしてみてください。

休職後の復職、不安や怖さへの向き合い方を精神科医・斎藤環さんに聞く。「また休んではいけない」と思わない - りっすん by イーアイデム

 

「精神の回復は、何ヶ月という単位で考えるもの」ということを知っている人間なら、「短期間で不登校を治します!」と言っている支援者に対しては、危険信号が灯る。

『娘が学校に行きません 親子で迷った198日間(著:野原広子)』という、作者の体験を描いたコミックエッセイがある。この本の中で、校長先生から「6年生までに教室に戻れるよう頑張りましょう」と言われて、作者が「な な な 7ヶ月って!? なんだそりゃ」と反応するシーンがあるが、まぁ、妥当ですよね、と思う。

この娘さんの場合は、クラスの中で、誰かを順番に仲間外れにすることが起こっていたのが原因で、おそらく典型的なPTSD型の不登校だと思う。学校に行く以外は普通の生活ができて、旅行も行けるし宿題もできるので、不登校の中では症状が軽いほう。校長先生と養護の先生と小児科医が不登校のプロで、親も毒親ではないことが幸いしたが、それでも7ヶ月はかかるということだ。

www.lettuceclub.net

 

私は、親が不登校について知るのは、子どもが不登校になってからでは遅いのだと思う。なぜなら、不登校に直面した親の中には、不安でパニックになり、正しい情報が耳に入っていかない精神状態になる人が沢山いるからだ。助かりたいのに助かることができない。こういう状態になったら、親自身が心理カウンセリングを受ける必要があると思う。しかし、多くの親が、子どもが不登校になってから、良いカウンセラーに辿り着くまでに、かなりの時間を要してしまっている。

なので、子どもが小学校に入学する前の、親の精神状態が正常な時に、正しい知識を知っておいてもらう必要があると思う。これは、我が子が同性愛だと知る前に、同性愛について知っておいたほうが良いのと同じだ。実際、セクシャルマイノリティの子を持つ親の話を読んだら、驚くほど不登校児の親と共通する話が多かった。

 

不登校、というより、精神の不調全般は、回復できる環境が整って、初めて回復がスタートする。つまり、「親がわが子の不登校を受け入れるようになるまでの期間」プラス「子どもの精神の自然回復力が働く期間」が、不登校の回復にかかる時間である。なので、親の問題をできるだけ早く解決できれば、回復にかかる時間をぐっと縮められる。

実際、子どもの不登校を経験した多くの親が、子どもを傷つけたことを後悔し、「もっと早く、不登校のことを知っていれば……」と言う。多くの親は、子どもを傷つけたいなんて思っていないし、子どもには、できるだけ早く回復して欲しいと思っている。しかし、知識もなく、偏見だけを刷り込まれた状態では、それは難しい。子育ては、愛だけではどうにもならないのだ。

 

不登校支援は、小手先の誤魔化しが効かない。よく「子どもと雑談しましょう」と言われるが、親が子どもにとって、雑談していて心地良い相手じゃないと、やはり上手くいかないというのがある。

突き詰めると、「子どもは、親の不安を解消するために生きているのではない」というところに辿り着く。多くの親が、自分の不安を解消するために、子どもを学校に行かせようとするが、それは、弱った子どもに更なるプレッシャーをかけるだけで、何の解決にもならない。これは、鬱病などになって心を病んだ大人でも、無理をすれば「再出勤」できることもあるが、それは根本的な解決にならず、かえって悪化したりするのと同じだ。

親の不安は、子どもを使って解消するのではなく、大人を頼って解消する。そのために必要ならば、親自身が外部に助けを求め、心理カウンセリングを受けるなどして対処する。そういう親の態度が、不登校児の回復には必要になってくる。実際、外部に助けを求める能力は、子どもが不登校であろうとなかろうと、親業をやる上で必須スキルだと思う。

 

不登校支援者の中には、「子どもは自分の意思で不登校になることを選んだのだ」「だから、その意思を尊重してあげよう」と言う論調の人をよく見かける。不登校児の大部分は、不登校になりたくてなっているのではない。誰も好き好んで鬱病適応障害PTSDになるわけではないのと同じだ。また、生まれつき学校というシステムに合わない性質の子も、好き好んでそう生まれついたわけではない。

不登校児の大半は、自分の意思の力が働かない状態になっている。「学校に行かなきゃ」と思っても、どうしても体が動かず、「自分は怠け者なのではないか?」と自問し、自分を責めている。「自分には生きる価値がない」と思って、絶望している子が多い。

こういった支援者の方法論は、「本人の意思を尊重する」という点は合っているため、結果的に子どもは回復するのだが、まぁ、不登校に対して誤解があるな、と思う。

 

また、「子どもは、親を信頼しているからこそ、不登校になったんですよ」と言う支援者もいるが、これも違う。鬱病適応障害PTSDになるのに、親の性質は関係ない。むしろ、不登校児の親が毒親というケースだと、子どもは大変厳しい状況に追い込まれるので、こういう場合は、何らかの介入が必要になるだろう。このケースだと、親も子どもも、どちらも外部に助けを求めない。

私は、子どもが不登校になったら、向こうから支援者がやってくるシステムが必要だと思う。

 

自らの意志によって、「行かない」選択をした結果、「行かない行為」、をしていたわけではない。
もしそれだけだったなら、大人たちから、「原因」を聞かれても、答えられた。
「私は〇〇によって、行かないことを選んだ」、と言えた。
大人たちは、因果関係を聞き、〇〇にあたる「原因」を、理解できるように努(つと)めただろう。
しかし実際は、登校しようとしたとき、私は、自分の意志とは関係のない、「行く行為」を欠損させるもの(「x」)が、身体に起きていた。
その状態で、私に、(「行かない行為」であるかのように、)「原因」を聞かれても、答えようがなかった。

【当事者研究】不登校は「行かない行為」ではなく「〈行く行為〉の欠損」 どのような言葉があれば「行きたいのに行けない」という語りから脱することができるか - ひきポス -ひきこもりとは何か。当事者達の声を発信-

 

不登校は甘えだ。怠けだ」「不登校は親が甘やかすからだ」という、旧来言われていたことは、完全に間違いである。その反動からか、「不登校は親が原因ではありません」と言う人もいるが、これも一般化しすぎである。中には、「そりゃ、こんな家庭環境なら、子どもが不登校になるのは当たり前だわ……」と思うようなケースも、確かにある。

これは、例えるなら、子どもの骨折の原因は親なのか親じゃないのかと言っているようなものだ。骨折の原因は様々である。ただし、大人たちの多くが、子どもが骨折した時の対処法を知らず、骨折して動けなくなった者が「甘えだ。怠けだ」と言われるような社会なら、それは大問題だ。これでは治るものも治らない。

結局、不登校の問題とは、「体の調子が悪ければ動けなくなるように、心の調子が悪ければ動けなくなる。そうなったらプロを頼って、回復するまで休むしかない」という、実際には至極当然なことを、なぜ大人たちは、これほどまでに理解し受け入れることが難しいのかという問題なのだろう。心にダメージを負った子ども子どもに対応するのは大変だが、不登校に対する差別と無理解がなくなれば、不登校の親子が体験する苦しみは、格段に減る。

 

漫画『Shrink~精神科医ヨワイ』8巻で描かれている、適応障害になって休職した男性とその母親の関係は、ほとんど不登校児とその親の関係と一緒。

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