宇野ゆうかの備忘録

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新型コロナウイルス流行当初、「若者が感染を拡大」と言われていたことについての考察

日本でコロナウイルスの感染が広まってきた頃、各種メディアで「若者が感染を広める」と言われたことについて、思うところがあった。前回記事『「字幕だけじゃダメ?」←「ダメなんです」~なぜ手話通訳が必要なのか - 宇野ゆうかの備忘録』において、報道における手話通訳の問題を書くことを優先したため、やや時期を逃した感があるが、今からでも振り返っておこうと思う。というのも、私は以前から、年長者が若者を抑圧したりバッシングしたりする構造や心理に興味を持っていたからだ。

 

www.newsweekjapan.jp

この記事の中で、著者は、「行政やメディアにとって、主な『顧客』が中高年だから」と分析しているが、私は少し違うように思う。私の考えとしては、「顧客」以前に、「行政やメディアにおいて、主に意思決定して情報発信しているのが中高年だから」だと考えている。若者がいたとしても、立場が弱く発言力はないだろう。

 

この手の話は、マイノリティの世界ではよくあることだ。例えば、男性中心の職種においては、男性が下手を打った場合には、個人の資質の問題と見なされるが、女性が同じことをすると、「これだから女は」と、属性でくくられてしまう。犯罪者に外国人や精神障害者や少年が多いような気がするのも、このせいだ。健常者の成人日本人が犯罪を犯しても、わざわざ犯人が日本人であるとか、健常者であるとかは、特に言われない。

コロナウイルス流行初期において、若者がとやかく言われたのも、若者がマイノリティだからだろう。おそらく、中高年の人たちにとっては、自粛しない中高年は「その人個人の問題」と認識するのに対して、自粛しない若者は「これだから若者は」と捉えてしまう。そういう心理が働いたのではないだろうか。

 

私は、結果的にこれはあまり宜しくなかったと思っている。こういった属性でひとくくりにする態度は、それをされた側が不快に思うのも無理はない。今回のことは、若者の協力が必要不可欠なのに、若者をひとくくりにしてしまった。相手に対して失礼なことをしながら、相手の協力を求めていたのだ。

また、本来は「(特に若者は、感染しても症状があまり出ない場合もあるけれど、他の人にうつしてしまう場合があるから)若者は特に気をつけて」という意味なのに、あまりに若者若者言うと、()内のことをすっとばして解釈してしまい、「感染させるのは若者だから、自分は大丈夫」と誤解する中高年もいるのでは……と思っていたら、やっぱりいたようだ。

 

 ネット上では、「若者だけ家にいてくれるとありがたいと思うよ。だって若者いなきゃ感染しないんだから」と言った高齢者男性が話題になっていた。

 

殊更「若者が感染を拡大」と言われ、また、各種ネット上で、それに対して反発する声が上がるようになったのは、大阪のライブハウスでクラスターが発生したのがきっかけだったと思う。実際には、クラスター発生してしまったライブイベントは、40代前後が主な客層だったのだが、各種マスメディアが「若者が」と取り上げたため、また、既に屋形船やスポーツジム等で、中高年の感染が発生していたこともあって、反発を招いたのだろう。

www.asahi.com

2020年3月3日の記事。「大阪のライブハウスに参加した感染者ら」の図つき。ライブに参加したのは30~40代。

 

「ライブハウスで感染」のニュースには、「やっぱりライブハウスも高齢化しているんだな」という感想を書いている人をちらほら見かけたし、私も同じことを思った。ライブハウスに行く人の年代は、若者から中年まで幅広いというのが、私の認識だ。

ライブハウスの客層が高齢化しているのは、おそらく、若い頃にライブハウスに行っていた人が、今も行き続けているからだと、私は考えている。かつてロックは若者の音楽であったが、今では「かつて若者だった人」がずっとロックを愛好し続けているように。

しかし、行政など自粛を呼びかける側には、実際にそのライブイベントに行っていた人の年齢の数字を見ても、「ライブハウスといえば若者」という思い込みが維持されたままの人が多かったのだろうか。これはあくまでも私の憶測だが、自粛を呼びかける側は、自分たちが若かった頃のイメージでライブハウスの客層を想像しているのかもしれない。あるいは、40代前後でも「自分より若いから若者」という認識だったのか(まさか)。

 

“ーー若者が感染を広げているということはどのデータに基づいているのですか?

北海道のクラスター(小規模な感染者集団)を調査しているグループの意見ですね。

それを証明するデータはどこにあるのかと確かに言われているのですが、感染の動きから言うと、感染したのが中高年であろうが、感染した場所に溜まっているのは若者たちです。そこから拡散しているという推論ですが、実際の調査は進められています。

ーーということは、やはり推定とか状況証拠ということですね。

全て数字で証明されているわけではないです。そういうところに行く年代層の集まりから複数の感染者が出ているということです。そこには、症状がないか軽い人で本人も気づかず感染をさせた人がいる、だから感染がわかりにくいという考え方です。

インデックス・ケース(最初の感染者)がどういう人かはわかっていません。隠れた感染者がいるということです。それが若者の集まるライブハウスや閉鎖的な空間だったわけです。”

「流行の封じ込め」から「流行を前提とした対策」へ 専門家「切り替え時期を考えなくてはいけない」

2020年3月6日の記事。「若者が感染させた事実があるのか?」について、かなり突っ込んだ質問をしている。対する専門家の回答は、実際にその場所に来ているのは、若者のほうが中高年より明らかに多かったという事実からのものなのか、「ライブハウスに行くのは若者」という思い込みに基づくものなのか、この内容からは判断できない。

しかし、仮にこの時点で、北海道の事例で「若者が多い」というのが事実だったとしても、大阪での最初のライブハウスの事例はそうではなかったのだし、不要不急の集団を形成するのは若者だけの性質ではないのだから、同じように中高年も危険性があるのは、十分予見できたのではないだろうか。

 

その後、夜の繁華街という、一般に「中高年が行くところ」と認識されている場所でクラスター発生したことで、「もう年代は関係ない」という雰囲気になったという流れだったかと思う。

しかしながら、この時点でも、小池都知事は「若者はカラオケ・ライブハウス、中高年はバー・ナイトクラブなど接待を伴う飲食店を控えて」と呼びかけていた。ライブハウスは既に述べた通りだし、カラオケが好きな中高年は多いし、接待を伴う飲食店に行く若者だって沢山いる。

うつったりうつしたりするのに年代は関係ないが、相変わらず「若者はカラオケ・ライブハウス、中高年はバー・ナイトクラブ」という思い込みは維持されたままだったようだ。

news.yahoo.co.jp

 

念のため言っておくと、私は「若者は感染させていない。実際に感染させているのは中高年だ」と言いたいわけではない。実際に若者の集まりでクラスターが発生しているケースだってあるのだから。私が言いたいことは、「本来なら、最初から若者・中高年の区別なく、全世代に呼びかけるべきだったのではないか」ということだ。キャリアになってしまう危険性があるのは、若者も中高年も同じだし、違いがあるとすれば、それは年代ではなく、人が密集する場所に行く機会があるかないかだ。

本来なら、最初から全ての人に注意を呼びかけなければならなかったと思うのだが、若者をひとくくりにした言い方をしてしまったことで、若者は「なんで自分たちばかりが」と思い、中高年は「若者がちゃんとしないから」と思うことになり、若者と中高年を分断させることになってしまったのではないだろうか。

最初から全ての人に注意を呼びかけていれば、若者が不満を募らせることも、中高年が誤解したり油断したりすることもそれほどなく、今よりも、若者と中高年が協力関係を築く雰囲気ができていたのではないかと思うのだ。

 

 “荻上:またそういったコロナの対策という点を考えると、一時期、行政からもメディアからも「若者は出かけないでくれ」と言う結構ピンポイントのメッセージが出されていたと思います。

岩田:先ほども申しました通り、過去に起こったことから類推して、その過去に対する対策を立てている形になってるわけですね。若者の間で感染を広げた事例がありました。だから若者は自粛しましょうという考え方では駄目なんです。若者の間で感染が広がった事実はあるにせよ、当然、中高年でも広がる科学的な懸念は十分あるわけです。そうしたメッセージの出し方をするのは、「三密」と一緒で、感染防御には効果的なメッセージにならない。悪い意味での世代間論争になったり、必要のないリスクまで呼んでしまう可能性がありますね。”

【全文字起こし&音声配信】「マスクの意味、アルコールの代用品、BCGの効果…神戸大教授で医師の岩田健太郎さんに聞く新型コロナウイルス感染症対策」2020年4月14日(火)放送分(TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」22時~)

 2020年4月17日の記事。

 

8年前の2012年1月16日の記事。『絶望の国の幸福な若者たち』を発表した古市憲寿氏と小熊英二氏の対談。

“こういう状態の社会で、ニューエコノミーで変動した社会についていけない中高年の違和感と反発がどこに向かうか。どこの先進国も、製造業が衰退し、男性の平均賃金が低下し、女性が働きに出ざるをえなくなり、家族が揺らぎ、結婚できない若者が増えている。それでヨーロッパの場合は、移民が入ってから社会が悪くなったんだ、と語られる。ところが日本の場合は、こんな社会になったのは若者が悪いんだ、携帯いじってモラルが低い、意外と豊かそうなのに生活保護をもらっている、我々を脅かす連中で社会を不安定化させる、といった言説が流行る。これはいわば、日本における移民排斥運動の代替版です。

 

古市 若者バッシングは、ある種、移民排斥運動と同型だということですか。

 

小熊 ヨーロッパなら移民が入るはずの労働市場で若者が働いているわけですから、社会的な代替物になりやすいのでしょう。”

震災後の日本社会と若者 / 小熊英二×古市憲寿 | SYNODOS -シノドス-

当時は若者バッシングが激しい時代だった。小熊氏の、マジョリティ層の不満や不安がどこに向かうかで、欧米の場合は移民に原因を求め、日本の場合は移民が少ないので若者に原因を求めるのだろうという考えは、当時の私も同じことを考えていた。

現代のコロナウイルス禍において、欧米ではアジア系差別があり、日本では若者バッシングがあったことと、どこか似ているのかもしれない。