マジョリティは冷静なのではなく、鈍感なだけ
「トーンポリシング」という言葉があるように、差別や抑圧について怒ると、決まって「感情的だ」と言う人がいる。そういう人は、どうやら自分のことを冷静だと思っているようだ。
世の中には、「感情的な人は、ちゃんとした議論ができない」「感情的な人は正しくない」という思い込みがある。しかし、これはあくまでも、両者が対等なテーブルについていることを前提とした場合だけである。そもそも両者が対等ではない場合、特に、一方が抑圧する側でもう一方が抑圧される側である場合には、この前提は成り立たない。
例えば、こういうケースだ。
- パワハラを受けて、思い出そうとするとPTSD症状が出て、過呼吸になって取り乱してしまう元社員と、平然としているパワハラ上司。
- 過労死で亡くなった元社員の遺族と、何が悪かったのかさっぱりわかっていないブラック企業経営者。
- いじめを受けて、必死で反撃する子供と、へらへら笑っているいじめっ子
- かつて、自分がされたことがどれだけ辛かったかを親に話しに行った虐待被害者と、「え?そんなことあったの?」と言い放つ虐待親
親子間の虐待について書かかれた『毒になる親』という本の中で、スーザン・フォワードは、虐待被害者と虐待する親たちの外面的な様子について、こう言っている。
私がカウンセリングした被害者はたいてい一家のなかでもっとも健康的な人間だと言うと、多くの人はみな一様に驚いた顔をする。なぜなら、被害者は普通、「自己嫌悪」「うつ病」「自己破壊的行動」「セックスに関する諸問題」「自殺企画」「アルコールや薬物の依存症」など、心の不健康さを物語る症状をたくさん見せ、一方で家族の他のメンバーはみな普通の人と変わらないように見えることが多いからだ。
抑圧される側は、抑圧する側から、身体的・精神的リソースを奪われている。この時点で、抑圧する側に余裕があり、抑圧される側に余裕がない状態になる。
だから、自分の受けた抑圧の内容について語る者が、取り乱したりして「感情的」になり、抑圧する者が「普通の人」に見えるのは、むしろ当たり前ですらある。抑圧する者の、平然とした余裕のある佇まいは、抑圧される者の犠牲の上に成り立っているのだから。
なので、「感情的な人は、ちゃんとした議論ができない」「感情的な人は正しくない」という思い込みに囚われていると、誤った判断をしてしまうことになる。
さて、私が差別問題についていつも言っていることは、マイノリティの言動や行動の問題点を探し出して注目しようとするよりも、マジョリティの言動や行動の問題点にこそ注目するべきということだ。
彼らは、自分のことを冷静だと思っているのかもしれないが、実際はただ鈍感なだけである。差別問題が解消されない理由について、よく「マイノリティが感情的に訴えるから」と語られがちだが、本当の理由は、マジョリティが鈍感だからだ。
例えば、職場などの集団の中で、鈍感な人とは、こんな人のことだ。
- 問題が存在しているのに気付かない。
- 問題を問題だと認識できない。
- 問題を「大したことない」と思い、放置する。
- 問題をなかったことにして、隠蔽を図る。
- 問題を、とりあえず誰か弱い立場の人に押し付けて済ませようとする。
こんな人は、およそどこの組織でも、到底優秀とは言えないだろう。もちろん冷静とも言えない。
私は、差別とは、社会という集団の中にある問題を、権力的に強い立場にある人々が、このような雑な解決方法でなんとかしようとした結果、生じるものだと考えている。例えて言うなら、「会社の中で発言力のある人たちがポンコツ」みたいなものだ。そして、その会社はブラック企業となる。
差別に鈍感な人たちは、「感情的な言い方をしても、聞いてもらえないよ」「デモやったって、問題は解決しないよ」「Twitterで呟くだけじゃ、何も変わらないよ」と、さもマイノリティに問題解決能力がないかのように言う。*1だが、真に問題解決能力がないのは、彼らのほうだ。鈍感な人間に、問題解決能力などあるわけがない。
マイノリティが感情的かどうかに注目するのをやめて、マジョリティの鈍感さに注目するべきだ。聴診器とライトを、マイノリティではなくマジョリティに当てるべきだ。
マイノリティが差別を訴える声は、異常な状態にあるものを正常な状態に戻そうとする防衛反応に過ぎない。原因はマジョリティにあるのだから、彼らの鈍感さを問題視するべきだ。
私の経験から言うと、マジョリティ側の人は、差別の存在を認識した時、ショックを受け、混乱し、取り乱し、しばらくして冷静になっていくことが多い。そういう人を見るたび、平然としていられるのは、ただ単に問題の存在を認識していなかったからというだけに過ぎないのだな、と思う。
冷静さと鈍感さを、混同しないように。
日本の教育って、「自分の人権が侵害された時には、怒っていい」と教えないから、怒っていい時とダメな時の区別がつかなくなるんじゃないかな。
— 宇野ゆうか (@YuhkaUno) May 2, 2018
女性だってこんなに怒ってるんだから、男性だって長時間労働に怒っていいんだよ。 #私たちは女性差別に怒っていい
— 宇野ゆうか (@YuhkaUno) August 4, 2018