宇野ゆうかの備忘録

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ゆずの外国人観が20年ほど古い気がする

最近、何かと話題になっているゆずの新曲。

ゆず ガイコクジンノトモダチ 歌詞

 右だの左だのということは、もう既に他の人が十分に言及しているので、私はここでは特に言及しない。それよりも、私はこの歌詞の冒頭三行で、既に違和感を感じた。

きょうび、東アジア文化圏以外の外国人でも、箸をうまく使える人は、特に珍しくもない。もしかしたら、ゆずの外国人観は、世界で日本食や中華料理のレストランが普及する以前の、20年くらい前で止まってしまっているのではないだろうか。

spotlight-media.jp

 

それも含めて、『ガイコクジンノトモダチ』に登場する外国人は、あまりリアリティが感じられない。歌詞に登場する外国人は、ゆずの身近にいる実際の外国人ではなく、20年前の外国人のイメージと、最近テレビでよくやっている、マスメディアが編集しまくった、実態のない「日本大好き外国人」のイメージが、合わさったものなのではないだろうか。(…ということを考えていたら、雑誌『Talking Rock!』5月号のインタビューによると、本当にそうだったようだ。)

 

そう考えると、国旗や国歌を、まるで隠さなければいけないもののように表現している違和感も、20年前の感覚だとすれば、納得がいく。オリンピックなどのイベントをはじめ、祝日には国旗が掲げられているし、国歌も卒業式で斉唱されているし、「どこが?」と思うのだけれど、調べてみたら、日の丸君が代が国旗国歌だと法律で定められたのが1999年、つまり19年前だ。

なるほど、「国旗及び国歌に関する法律」制定以前の感覚なのだとしたら、あの歌詞の内容も頷ける。他の人が詳しく言及しているし、めんどくさいので、ここで詳しい数値は挙げないけれど、20年前と比べると、卒業式での国歌斉唱の実施率は、かなり変化している。

もしかしたら、ゆずの国旗国歌に対する認識は、自身が学生だった時の感覚のままで止まっているのかもしれない。

 

ゆずは、この曲について、忌野清志郎の曲『あこがれの北朝鮮』に言及しているらしい。

忌野清志郎…?全然違うんじゃないか…?忌野清志郎って、めちゃくちゃ反体制でロックな感じだった気がするけど…と思っていたところ、以前読んだこの記事を思い出した。

www.shortnote.jp

ゆずは、もしかしたら、ロックなつもりだったのかも…しれ…ない…?

 

ちなみに、『あこがれの北朝鮮』について知らなかったので、調べてみたら、1995年に発表された曲とのことだ。忌野清志郎、1951年生まれ、当時44歳。

歌詞の中には北朝鮮による拉致を皮肉った箇所があるが、「北朝鮮に拉致された日本人を救出する会」が発足したのが1997年、拉致被害者の一部が帰ってきたのが2002年。

まぁ、拉致被害者とその家族の立場だったら、この曲を聞いて何と思うかっていうのもあるけど、ただ、忌野清志郎、そういう感覚は早かったのね…

 

おまけ。

近年の「日本スゲー」系番組がもてはやされる状況に浸かっていると、「自然と」こういうふうになるんだな…と思いながら読んだ記事。

www.stay-minimal.com