宇野ゆうかの備忘録

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「ありのままの自分」に近い形で恋愛できた私~そこそこ長い喪女時代を経て~

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上のブログ記事を読んで、「はてな非モテ論壇懐かしい」という気持ちになった。そして、あれから10年以上経って、私はわりと「ありのままの自分」に近い形で恋愛できたなと思った。

Ta-nishi氏と私が大きく違う点は、私はさほどモテや恋愛に執着していなかったことだろう。自分に合う相手と出会えて恋愛できればいいけれど、そうでなければ一生処女でもいいやと思っていた。当然、特にモテる努力をしないので、いわゆる「喪女」だった。そんなわけなので、初めて付き合ったり性行為をしたりという体験は、けっこう遅かった。

私にとっては、自分が誰かと付き合えないことよりも、いい年した大人が恋愛未経験なのをおかしく思う社会のほうが問題で、息苦しさを感じていた。私が非モテ関係の話に興味を持っていたのもそういう理由だ。当時は今より恋愛未経験者に対する風当たりがきつかった。(※ただし、「つづ井さん」の作者さんがストレスで円形脱毛症になったことを思うと、こういう風潮はまだまだ根強いのだろう。→/「裸一貫!つづ井さん」についてちょっと真面目に話させてくんちぇ〜|つづ井|note

あれから何年か経ち、思いがけず付き合うことになった男性は、面白いことに、モテや恋愛に執着しない人だった。似た者同士気が合ったのだろう。

 

私が「ありのままの自分」で付き合えた理由の一つは、自分に合う相手が見つかるまで待てる人だったからなんだろうな、と思った。

もし私が待てない人で、とにかく付き合う相手が欲しいのなら、モテ服を着て、出会い目的の場所に出て行って、合コンさしすせそを駆使するなどして、自分を「モテ界隈」の空気に合うように演出したほうが、そりゃあ手っ取り早いだろう。

しかし、私は、無理やり演じた自分に寄って来る人と付き合うのは、疲れるだけでメリットが感じられなかったので、「ありのままの自分」でいて、運が良ければ、誰か気の合う相手が見つかるかもしれないし、見つからなければ、まぁそれはそれでいいやと思っていた。

私は「モテ」に興味はないが、「マッチング」には多少興味があった。

 

非モテからの脱却に成功した私だったが、私の中には違和感が残った。「脱オタ」を達成するために私は興味も無いファッションや流行の遊びを勉強して大金をつぎ込み、夜の盛り場に繰り出しては女性に声をかけ、明るく陽気に振舞い女性たちを楽しませた。いかにも自分が「リア充」であり魅力的な男性であるかのように本来の「非モテ」な自分を偽り、女性たちを「騙した」のだ。

このことは私に罪悪感を抱かせた。女性に対する自らの欲望を満たすために「悪」に染まってしまったと思った。しかしこの「悪」は事実、女性たちに有効に機能した。疑問が生じた。このような「悪」が正しいとされる現代社会の「恋愛規範」は、間違っているのではないだろうか?そしてその「悪」に簡単に騙されてしまう、むしろそれを自ら求めている女性たちとは、一体なんなのだろうか?”

 

弱者男性論者を見ていると、「社会適応という名の悪」に対してあまりにも潔癖すぎると強く感じてしまう - 自意識高い系男子

 

ここの、女性たちが「騙されてしまう」というところが、私にはよくわからない。「そりゃ、そういう場所に行ってそういうキャラを演じれは、そのキャラを求める人が寄ってくるのは、当たり前だよね」と思うのだ。逆に、そういうキャラを求めていない人からは、「そういうキャラ」だと判断されて、興味を持たれなくなるだろう。

そういうのに「騙されてしまう」のは、男も女も一緒だ。なぜ「騙されてしまう」のかというと、特に男あるいは女が愚かだったり悪だったりするわけではなく、単に、人間にはテレパシー能力がないからだ。

自分は「ありのままの自分」とは違うキャラを演じているのに、それを見抜いて、「ありのままの自分」を見つけてくれる人が現れることは、まぁ、まずないと思っていたほうが良いのだろう。それは、人間に対する期待値が高すぎる。

 

この「人間にはテレパシー能力がない」についてだが、私はどちらかというと内面重視派で、容姿の許容範囲が広めで、ついでに言うと、夜の盛り場でウェイウェイやってる陽キャリア充タイプには、あまり興味がなのだけれど、内面重視の人間だって、テレパシー能力はない。

そのことは、ここで詳しく書いた。

yuhka-uno.hatenablog.com

仮にもし誰かが、私の好みの男性像を調べ上げて、その通りの人物を演じてきたとして、私は騙されないのかというと、そこまでの自信はない。私は、そこまで自分の賢さや人を見る目に自信を持っているわけではない。

よく「自分は騙されないと思っている人ほど騙される」というが、これもある種のダニング・クルーガー効果なのかもしれない。能力の低い人ほど自信満々というやつだ。

 

”こうして人はまたひとつ「社会性」を身に付け「堕落」していく。かつて尾崎豊はその楽曲の中で「大人は汚い」と叫んだがこれは圧倒的な真実だ。人間は生きれば生きるほどに、大人になればなるほどに、社会性という名の汚泥にまみれていく。”

 

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子供の頃は「ありのままの自分」でいられるが、大人になって社会性を身につけるにつれ、「ありのままの自分」ではなくなっていく……というのはよく聞く話だが、親がいわゆる「毒親」だと、その限りではない。

毒親の元で子供時代を送ると、親のご機嫌を取らなければならなかったり、親の理想の子供像を押し付けられたりと、「ありのままの自分」ではない、偽の自分で生きなければならなくなる。

私などはそうで、そういう親の元で育って、破綻してひきこもりになり、何年もかけてカウンセリングに通って、「ありのままの自分」を取り戻す作業をした。それは、私にとっては成長そのものだった。

私は、興味や進路などを親に介入されてきたので、「恋愛や結婚だけは、親や世間の基準じゃなく、自分の思うようにするぞ!」と思っていた。その結果として、長らく恋愛未経験者時代を過ごしたことは、満足している。

 

これも毒親関連なのだけど、私が「重い女」ではなかったことも、「ありのままの自分」で恋愛できた要素かもしれない。

最近では「理解ある彼氏くん/彼女ちゃん」の話題が人気だけれど、私は、親にとっての「理解ある娘ちゃん」をやらされていた。

親は、子供の私に愚痴を垂れ流すのではなく、カウンセリングに行くべきだった。そう思ったので、私は親を反面教師にしてカウンセリングに行った。親から精神的に依存されることで、私の心は親から離れてしまったので、もし私が誰かに同じことをすれば、その誰かは私から離れていくだろうと思ったのだ。

「自立とは、依存先を増やすこと」と言うが、メンタルがしんどい人は、パートナーだけに依存しないよう、カウンセリングにかかるなどして、依存先を確保しておいたほうが良いと思う。

 たぶんだけど、「ありのままの自分」を自分で愛することができないので、誰か一人の人にそれを全面的にしてくれろと求めたりすると、あんまり上手くいかないと思う。

 

なお、女性に「理解ある彼氏くん」ができるのは「穴モテ」と言われるが、単なる穴で「”理解ある”彼氏くん」はできないと思う。

単なる穴では、せいぜい、良くて対等なセフレ、大抵は穴を利用されるだけのカモだろう。

“あのね、いないから。

「自信のない女はカモられるけどモテない」から。”

 

 “じゃー「モテる」と「カモられる」の違いってなんなのよってことですが、端的にいえば「モテる」とは「相手をきちんと考えられる思いやりのある人に好かれる」ってことです。「カモられる」というのは「相手の欲望が中心で、こちらの痛みや思いなどは軽視する人に好かれる」ということ。”

 

“ぶっちゃけ、顔やスタイル、服装やらモテテクニックやら趣味なんて、どーでもいいんですよ。モテるかどうかってもう「自分のことを認めている、自分の望みをはっきり理解している=セルフコンフィデンスがあるかどうか」の一点勝負。”

 

なぜ『姉の結婚』『今日は会社休みます』は駄目ファンタジーなのか - 妖怪男ウォッチ

 

他の理由として、これは実際影響したのかわからないのだけど、私がファッションに興味のある人間だったというのも、もしかしたらあるかもしれない。もっとも、私が求めていたファッションは、モテファッションではなく、自分に似合う恰好なのだけれど。

その辺りのことは、ここで詳しく書いた。

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リンク先にも書いてあるが、おしゃれに取り組んだことによって、単に見た目が良くなったというよりは、「モブキャラでいるのをやめて、主役になる覚悟ができた」ことが大きかったのではないかと思う。

 

ちなみに、私は、ファッションの歴史や、人はなぜ衣服に装飾性を求めるのかについて考えるのも好きだ。さっきも、5000年前のエジプトで作られた世界最古の織物のドレス「タルカン・ドレス」について調べていた。

 

男性で、おしゃれに対して拒否感がある場合、身なりに気を遣うことそのものがめんどくさいタイプと、「おしゃれ=チャラチャラする」「外見ばかり気にするなんて軽薄だ」と思い込んでしまっているタイプとがいる気がする。後者の場合は、単に知識がなくてファッション観が狭いだけなので、例えば、「着物を渋く着こなす」という方向性のおしゃれなどは、嫌いじゃなかったりすると思う。

 

「おしゃれ=チャラチャラ」「外見ばかり気にする~」というのは、18歳までに大人から植え付けられた偏見のコレクションだろう。この偏見を吹き込まれると、「おしゃれしようとすると、チャラチャラしてしまう」という呪いにかかってしまう。*1

私が思う「おしゃれになる」とは、広く言えば「装うのが上手くなること」だ。例えば、初めて着物を自分で着つけてみた人は、大抵上手く着れないのだけれど、そこから着物の着付けやTPOを学んで、徐々に着姿が様になっていくような、そういうのがおしゃれの基本だと思う。ここに「自分らしさ」が加われば、それはもう十分におしゃれだ。

 

ちなみに、おしゃれはかなり「自分らしさ」と密接な関係があるものだと思う。その辺りのことはここで書いた。

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ただ、これは必ずしも男性が彼女を作る上で必須なのかというと、どうもよくわからない。実際、私が付き合った男性は、お世辞にもファッションリテラシーが高いとは言えなかったから。

 

私が「ありのままの自分」で付き合えた理由として、私の場合、自分にはある種の魅力があると思っていたのがあると思う。

これは決して「モテる」ということではなく、割れ鍋に綴じ蓋的な話で、世の中には私みたいなタイプが好きな男性がいるかもしれないと思っていた。私は、男性異性愛者の多様性を信じたのだな。

ローランドというホストが女性に人気だからといって、全ての女性がああいう男性と付き合いたいと思っているわけではないし、夜の盛り場でウェイウェイすることに興味がない女もいる。男性だってそうだろう。

 

まぁでも、学生時代くらいの若い頃なら、こういう感じで過ごしていると、彼氏はできなかったかもしれないな、と思った。

学生時代は、どうしても同じような年代の人ばかりで集まってしまうし、まだ人生経験がそんなにないから、自分というものが定まっておらず、従って「自分はどういう人となら合うのか、どういう人と合わないのか」が、みんなまだよくわかっていない。となると、「みんなの意見」に左右されやすく、好きになる相手も「みんなが良いと言ってる人」に集中する傾向はありそうだ。

大人社会なら「色んなカップルいるしね」で済ませられることでも、学生時代だと、自分はとても好きなのに、みんなに「えー⁉そんな人好きなの?」と言われそうだから、言い出せないとかね。

となると、私が十分大人と呼べる年齢になってから付き合う相手ができたのは、ある意味当然だったのだろうか。

 

”私もかつては「女子アナみたいなキャラになるべきか?」と血迷った時期がありました。が、そんなの8回ぐらい転生しないと無理だと悟った。人は自分以外の人間にはなれないし、自分以外の人間になろうとするとメンタルがやばくなる。”

 

”「恋愛は選挙じゃない、モテとマッチングは別物なのだ」”

 

”そのために必要なのは「みずから選ぶ」という姿勢。”

 

“「どういう男を選ぶべきか?」を突きつめると「自分にとっての幸せは何か?」というテーマに行きつきます。”

 

――『オクテ女子のための恋愛基礎講座 (著:アルテイシア)』――

 

まぁ、なんというか、夜の盛り場でウェイウェイやってる人だけが恋愛してるわけじゃないし、世の中、地味に出会って地味に恋愛してる人も沢山いるってことで。

あと、書いてて思ったけど、私は一貫して(おしゃれに取り組むことも含めて)メンタルを鍛える方向で来たんだな、と思った。我慢して負荷に耐える方向にじゃなくて、「ありのままの自分」を取り戻し、維持するという方向で。

 

 

 

萌えVTuber戸定梨香が炎上した件を見て、「へそと腰骨の位置って難しいよね」と思った。

また萌え系VTuberが公共性の高い場でのPR問題で炎上している。

この是非については、もう既に散々議論がされているので、ここでは特にその話はしない。ここでは、人体構造的なへそと腰骨と股の位置と、へそ出し衣服の話をする。

 

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id:T_Tachibana

”行政関係なら「プリキュアの作画基準」遵守がいいと思うので、胸元の揺れは止めたほうがいいかな? それよりウエストから下のバランスおかしくね?|表現規制と怒ってる人多いけど、どっちかというとTPO問題だよな”

[B! VTuber] 萌えVTuberの交通安全PR動画がフェミ議連の抗議で削除。フェミ系議員が公権力を使って表現規制。 - Togetter (hatena.ne.jp)

たしかに、ウエストから下のバランスに違和感を感じた。特に、Youtube動画の3Dモデルのほう。腰部周辺が実際の人体よりもかなり縦に伸ばしたように見えるし、へそからスカートまでの距離が気になる。腰骨はどこにあるんだろう?股の位置はどうなってるの?

 

一般的な「へそ出しファッション」は、スカートやパンツを腰骨の位置で引っ掛けるようにしてはくものが多い。その場合、わりと服のすぐ上にへそが見えることになる。

一方、今回炎上した戸定梨香の交通安全PR動画を見ると、へそよりかなり下の位置でスカートをはいている。ここまで下になると、スカートを腰骨より下げてはくことになるから、タヒチアンダンスやベリーダンスの衣装くらいの位置ではいていることになるのではないだろうか。

ちなみに、はてなブックマークでも言及されているフワちゃんは、ジャストウエストに近いボトムをはいていて、案外へそが出てないのね。

 

へそが見えないボトム。フワちゃんはこれくらい。


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よく見かけるへそ出しファッション。ボトムが腰骨くらいの位置。プリキュアのへそ出し衣装もだいたいこれくらい。


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腰骨の下ではく衣装を着たタヒチアンダンスのダンサーたち。


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もしかしたら、他の人が指摘している「乳揺れ」の他に、こういう部分も、交通安全をPRする目的としては露出度が高いと思われてしまった原因かもしれない。ウエストの下の腰部周辺を縦に長い造形にして、へそよりかなり下の位置でスカートをはかせると、腰骨より下の位置でスカートをはいているように見えてしまう。

「おへそが見えている」という苦情が来たそうだが、多くの人は人体構造についてよく知らないが、なんとなく違和感を感じた人はいたのではないだろうか。その違和感が言葉として出てきた時に「おへそが見えている」という表現になったのであって、実際には、へそ出しそのものよりも、腰のかなり下の位置でスカートをはいているように見えるのが問題だったのかもしれない。

単にへそが見えているだけなら、プリキュアにだって沢山いるしね。

 

まぁ、私はVTuberの技術的なことはわからないので、立体にして動かす上で、どうしても腰部周辺が縦に長い造形になってしまったとか、あえてこういうモデリングにしてあるのかは、わからないけれど。

ただ、今回の件を見て、アマチュアはともかく、お金をもらって仕事を請け負うプロは、人体構造の勉強は必要なのだろうと思った。

 

ちなみに、へその位置は男女で違うようです。

 

〔2021.9.14 追記〕

おきなわご当地VTuber(?)の、獅子丸ほむら&獅子丸しずく。

ほむらのほうは、戸定梨香と同じくへそ出しセーラー服だが、へそのすぐ下あたりでスカートをはいているので、それほど露出度が高いようには見えない。

これなら、一般的なチアリーディングの衣装と同じような感じかと。


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中京テレビVTuberアナウンサー・大蔦エル。プリキュアくらいのへそ出しかな。


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30歳女性がCanal 4℃のハートネックレスをプレゼントされた件で考えた、色々なこと

………………本当に…………頂いた身で……こんなこと…アレですが……………………………(30歳) pic.twitter.com/YkPBS1oI6q

— ご飯(30代独身会社員女性) (@into_mashumaro) 2020年12月22日

 

クリスマス頃に思いっきり炎上してしまった、Canal 4℃をプレゼントされた30歳女性のTweet。その後の本人の補足によると、送り主との関係性は「飲み誘われたら行くくらいの友人」で、プレゼントの内容はハートのネックレスだったとのこと。*1

私はCanal 4℃というブランドを知らなかったので(一応4℃のほうは知っていたが)、最初は「うーん、4℃と言っても、シンプルなデザインのものもあるし、それなら30歳女性でもいけるんじゃ……」と思ったりしたのだが、「Canal 4℃のハートネックレス」だと知って、あと、ただの友人関係だと知って、正直「あー……やっちまいましたね……」と思った。これは確かに、本人が欲しいと言っていない限り、30歳女性へのプレゼントとしては、失敗可能性が高いやつだ。

 

 

この件に関する言及を色々と眺めていたら、興味深いTweetが目に入った。

 連続Tweetなので、上のリンク先から前文読んでいただきたいのだけれど、この男性は、ジュエリーやブランドに関する知識が皆無だったので、他のジュエリーブランドの値段は10万とかで、とても出せないので、Canal 4℃のアクセサリーを、コスパの良いブランドだと思って買ってしまったことがあるとのこと。

これに至る思考回路については、「あ~なるほど、わかる~」と思いながら読んでいたのだけれど、これに関しては「えっ、わからない……」と思ってしまった。

私は、「この分野は相手のほうが詳しい」と思ったら、相手に任せてしまう傾向があるので、この感覚はわからなかった。

まぁ、自分のよく知ってる分野で選んだものを、相手に気に入ってもらえたら、ちょっと承認欲求が満たされるというのは、正直、私の中にもある。しかし、自分はその分野に詳しくないという自覚があって、なおかつ、目の前に自分より詳しい人(女性店員)がいるのなら、詳しい人に任せるのが一番なんじゃないか……?自分が使うものでもないんだし……

 

そして、以前読んだこのまとめ(2019年)を思い出した。

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これは、「女性にはシンプルなネックレスのほうが人気なのだが、男性はハート型のネックレスとかを選びがち」という、まさに今回話題になった出来事のような記事なのだけれど、アクセサリーを売る側の人から、このようなTweetが寄せられていた。

 

そして、今回の炎上でも、このようなTweetが寄せられていた。

 

 

ところで、最近、こういうTweetも話題になっていた。

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炎上したCanal 4℃案件に比べると、こっちは明らかにプレゼントする側がわけわからないやつなんだけど、もしかして、これは「自分が選んだプレゼントじゃないと、承認欲求が得られない」の、もっと強力なバージョンなのかな……?

あと、togetterまとめのコメント欄に、子どもの頃、親からこれと同じことをやられた話が続出している。それで思い出したけど、親がいわゆる「毒親」だった人たちの集いで、「母からもらって困った物」を、写真など挙げて、仲間内で見せたり話したりしてラクになろうというイベントがあったな。これもある意味「プレゼント晒し」かな。

 

 

なぜ男性は、シンプルデザインのネックレスではなく、ハート型などを選んでしまいがちなのかということに関しては、よくある、ファッションに慣れている人は、全身のトータルコーディネイトで考えるが、ファッションに疎い人は、アイテム単体で見てしまうという現象が関係していると思う。トータルコーディネイトで考えれば、シンプルなほうが他のアイテムとのバランスが取りやすく、使い勝手が良いのだが、アイテム単体で考えると、シンプルデザインはつまらなく思えてしまうのだろう。

使い勝手以外にも、天然石や貴金属を使ったものだからこそ、シンプルデザインがいいというのもある。例えるなら、料理でも、良い素材にはシンプルな味付けが合うのと同じで。

 

あと、「高いブランド品じゃないと満足できないっていうのか!」って解釈してる男の人がちらほら見られたけど、そういうことじゃなくて、30歳女性へのプレゼントには、2万円くらいするCanal 4℃のハートネックレスよりも、数千円台のちょっといいボールペンとかのほうが、正解だったりするんですよね。

アクセサリーも、Canal 4℃やティファニーのハートネックレスは好みじゃないけど、数千円のアクセサリーを普段使いしている30歳女性は沢山いる。

それに、付き合ってない関係なら、数千円程度のものにしておくほうが正解で、云万円のジュエリーは重いっていうのもあるだろうし。

 

これの男女逆バージョンを考えてみたのだけれど、 たぶん、女性が男性にネクタイをプレゼントとかが当てはまるのかな。ネクタイは、普段着ているスーツやシャツとのバランスはもちろん、その男性の社内や業界内での立ち位置によって、どれくらいの価格帯でどういう色柄が適しているのかというのがあるし、以外と選ぶのが難しいアイテム。そして、特徴的なデザインのものより、シンプル定番品のほうが使い勝手が良いという点も、共通していると思う。

あるいは、付き合ってない関係で、気合の入った手作り弁当を渡されるとか、そういうのに近いんだろうか。

 

今回の件で「ブランドが迷惑してる」とか「絶対売り上げにダメージ受けてるだろ」とかいうのも、それもなんか違うんじゃないかと思う。もともと4℃のハートネックレスをプレゼントされても、多くの大人女性にとっては微妙だというのは、既に前々から言われていて、今さらな話題だから。

Canal 4℃というブランド自体が、そもそも10代〜20代前半をターゲットにして作っているのだから、大多数の30歳女性にとって好みではないというのは、まぁ当然の話で、フェミニンなファッションを好む女性に、ヴィヴィアン・ウエストウッドのアーマーリングをプレゼントしても、あまり喜ばれないのと同じことだと思う。

なんでこんなに「毎年恒例*2」みたいに、4℃がある種の揶揄の対象になるのかというと、女性の普段のファッションテイストを考慮せずにアーマーリングをプレゼントする男性は滅多にいないけど、4℃をプレゼントする男性は多く観測されるので、そう言われるのかもしれない。

 

もっと言うと、贈られたプレゼントを晒すか晒さないかはともかくとして、ブランドや個々の商品が世間の評価に晒されるのは、ある意味で当然のことだと思う。「このブランドは天然石使ってるって言ってるけど嘘!」とか、事実と違うことを言ったのなら、ブランドイメージの毀損だが、個々人が、ドラマやアニメに対して「おもしろい」とか「つまらない」とか言う自由があるように、商品に対して「素敵」とか「微妙」とか言う自由くらいはあるだろう。*3

 

 

なお、30歳女性にプレゼントするアクセサリーで適当な店として、Twitterでは、ete、agate、AHKAH、MARIHA、御徒町の問屋街などが挙がっておりました。

まぁ私の考えとしては、バブル時代でもないのだし、プレゼントにガチのジュエリーなんて、結婚申し込む時とか、そういう特別な時くらいで良いと思うし、自分にとってよくわからないものを、無理して高いお金出して買う必要はないと思う。

何を贈ればいいのかわからないのなら、相手に聞けばいい。わからないことは人に聞こう。恋人とは話し合おう。

そして、件の贈り主の男性は、これにめげずに、いずれ過去の失敗談として笑い話にしてほしい。

 

 

そろそろ、ジュエリーが欲しいと思ったら

そろそろ、ジュエリーが欲しいと思ったら

  • 作者:伊藤 美佐季
  • 発売日: 2019/04/18
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 

*1:https://twitter.com/into_mashumaro/status/1341610439034109952

*2:毎年恒例「4℃のアクセサリーはプレゼントにアリかナシか問題」...それに限らず相手の方が詳しいものをプレゼントするのは悪手だという話 - Togetter

*3:影響力で言うなら、大河ドラマ『いだてん』が放送され出した頃に、「複雑でわかりにくい」「視聴率が低い」「面白くない」とか書いたメディアのほうがずっと上だと思う。結局視聴率が振るわなかったのも、初期にそう書かれたせいだと思う。『いだてん』は「ながら見」に向いてないだけで、ちゃんと見れば挑戦的で面白いドラマだったからね。

不登校やひきこもりが回復できなくなるメカニズムについて

タイトルにはこう書いたけれど、ひきこもりや不登校の要因や環境は様々で、一概にこうとは言えないことを、最初に言っておかなければならない。だから、これから書くことは、全ての類型に当てはまるわけではない。ただ、私自身が体験し、そして、他のひきこもり状態にある(あった)人の話を見聞きした経験から、よくある類型について話してみようと思う。

 

結論から簡潔に言うと、本人は「生きるか死ぬか」というレベルの状態にあるのに、家族や周りの大人たちが、本人のことを「学校に行くか行かないか」「働くか働かないか」というレベルでしか考えていないという状態に陥るのが、不登校やひきこもりが回復できなくなるメカニズムだ。

 

例えば、もしあなたが事故に遭ったり病気になったりして、身体が生きるか死ぬかというレベルの状態になったとしよう。そういう時、家族があなたの状態を理解せず、「なんで働かないの?」「学校に行きなさい」と言ってきたら、どうだろう。そして、必要な治療を受けるための費用を自分で払うことができず、病院にも行けなかったとしたら。

あるいは、もしあなたのお子さんが、身体が生きるか死ぬかというレベルの状態になったとしたら、学校へ行ったり働きに出たりすることを求めるだろうか。むしろ、子供本人が「学校へ行かなきゃ……」「このままだと将来が心配で……」と言ったとしても、「今はそんなこと考えなくていいから、とにかく休みなさい」と言うのではないだろうか。

 

ひきこもりや不登校の経験者には、「あの頃は死にたいと思っていた」と語る人は多い。(人によっては「消えたい」と表現することもある。)そこまでは思っていなかったとしても、少なくとも、精神的に重いダメージを受けている。

心と身体は似ていて、身体が「生きるか死ぬか」というレベルの状態にある時には、とても働くなどということはできないように、心が「生きるか死ぬか」というレベルの状態にある時も、とても働けるような状態ではない。「生きるか死ぬか」というレベルの怪我や病気をした場合に必要なのは、適切な治療と安静であるように、心が「生きるか死ぬか」というレベルのダメージを負った場合も、それは同じなのだ。

 

心が「生きるか死ぬか」というレベルの状態では、むしろ、無理に働いたり学校に行ったりしたら、命の危険すらある。しかし、その状態を家族から責められ、心を傷つけられるので、家庭は休息と回復の場にならず、逆に、自分を学校や就業の場に戻そうとする親から身を守るため、常に「死なないための戦い」を強いられる場所になる。かといって、収入がないから自主的に治療を受けられないので、家庭の外に回復の場を持つことも難しい。

こうして、ひきこもりは回復不可能な状況に陥ってしまう。私は、これがひきこもりが回復できず長期化するメカニズムだと思っている。傍目には何もせず休んでいるように見えても、本人の精神は全然休めていないのだ。

 

こう考えると、家族を避けて自室に閉じこもる、ゲームやネットばかりする、昼夜逆転するといった、ひきこもりにありがちな行動も、全て「死なないようにするため」で説明がつく。

「なんで働かないの?」「なんで学校に行かないの?」と言ってきて、自分を否定的な目で見る家族と接していると、死にたくなってくるので、死なないために家族を避けて過ごす。

「死にたい」という気持ちを紛らわせるために、外出しなくてもできる気晴らしをする。結果的にそれがネットやゲームになる人は多い。ゲームをしている間は、少しだけ「死にたい」という気持ちを忘れられる。ネット上なら匿名性が確保できるから、ある程度安心して他人とコミュニケーションが取れるという理由もある。

自分が普通に働けなかったり学校に行けなかったりすることで自己肯定感が失われているひきこもりにとって、世の中の人が働いたり学校に通ったりしている昼間の時間帯は苦痛だ。それに、昼間は玄関のチャイムを押されたり、家に電話がかかってきたりして、家の外の人がアクセスしてくることもあるから、安心できない。だから夜のほうが落ち着く。

将来のことは考えないようにする。考えると、絶望的なイメージしか浮かんでこなくて、死にたくなるからだ。

 

「死にたい」というのは、なかなか打ち明けられるものではない。「こんなこと、親が聞いたら悲しむ」と思うし、あまりにも理解のない答えが返ってきたら、かえってさらに心にダメージを受けるからだ。なので、言うのは慎重になるし、言う相手は選ぶ。(ただ、我慢し切れなくなって言ってしまう場合もあるけれど。)

訓練を受けていない人は、誰かから「死にたい」と打ち明けられると、「何を言ってるの」「そんなこと言っちゃダメだよ」と答えてしまいがち。しかし、死にたい気持ちになった人が回復していくには、安心して「死にたい」と言える環境が必要だ。

 

また、子供がひきこもりになると、親が子供に自分の不安感をぶつける関係になりがちだ。

「機能不全家庭」でよく言われる不健全な親子関係というのは、親と子の役割が逆転してしまっている関係だ。本来であれば、親が子の不安感を受け止めてあげるところが、子が親の不安感を受け止め、なだめてあげる関係になってしまっていたりする。

子供が不登校やひきこもりになってしまうと、親は不安になり、子供に対して、自分が不安に思わない行動を期待し要求するようになってしまう。つまり、「学校へ行け」とか「働け」とか「将来のこと、どう思っているの?」などと言ってしまう。

こうなると、本人は既に心をすり減らしている状態なのに、さらに親の不安感を受け止めることを求められる状態になる。本当は、本人が不安感を抱えていて、誰かにその不安感を受け止めてもらう必要があるにも関わらず。

なので、親の不安感は子供にぶつけず、カウンセラーや家族会などの人に受け止めてもらい、ひきこもりはひきこもりで、自分の不安感を受け止めてくれる存在が必要になる。

 

となると、ひきこもりが回復するために必要なことは、自分が今、とても働けるような精神状態ではないことが理解されて、十分な休息が取れる環境だ。そして、必要であれば精神科に行ってカウンセリングを受けられたり、ひきこもり支援のサポートを受けられることだ。

ひきこもりや不登校において「居場所」のニーズがあるのは、実は家では全く休めておらず、今の自分の状態を責められることがない「居場所」に来て、やっと休める状態になるからだろう。

 

また、ひきこもりが社会に出て行く時に一番の壁になるのが、「世間の、ひきこもりに対する攻撃的な目線」である。おそらく、これが一番の、不登校やひきこもりが回復できなくなるメカニズムだ。そもそも、ひきこもりに対する親の接し方は、世間のひきこもりに対する認識の反映である。つまり、世間がひきこもりに偏見を持っているから、親も偏見を持つのだ。

ひきこもりに一生ひきこもってもらう一番良い方法は、「ひきこもりは甘え」と言うことである。

 

私は、不登校やひきこもりになった子供に対して、周囲の大人がまず心配するべきことは、「勉強が遅れる」とか「このままだと将来が~」とかではなく、「この子、精神的にかなり辛いんじゃないかな」だと思う。たしかに、勉強は後から取り戻すのは簡単ではないが、心身の健康は、それ以上に取り戻すのが難しいのだから。そして、勉強は、心身が健康でないとできないから。

そして、専門家に相談してほしい。いくら子供に対する愛があっても、病気や怪我は親の愛だけでは治らない。それと同じだ。

 

“ーー不登校になるんじゃないかとか、そのまま引きこもって社会に出られなくなるのではないかと親は心配するのでしょうね。

気持ちはわかりますが、自殺既遂者の調査で興味深いなと思ったのは、若くして自殺している人はみんな、中学などで不登校の経験を持っているということなんです。7割か8割、不登校の経験があります。

でも驚くことに、不登校の子は通常そのままズルズル学校に行かずに引きこもることが多いのですが、自殺した子供はほぼ全員学校に復帰していたんです。

不登校になるほどしんどかったのでしょうけれども、周りの意向に応えて頑張って行ったのでしょうね。その代わりに命を縮めた可能性があります。不登校を続けていたほうが生き延びていたのではないかという気さえするのです。

自殺予防の観点から言えば、不登校を恐れるべきではないのだろうと思います。”

不登校を恐れるな 誰かとつながっていればいい

 

“この言葉を聞いて私はやっと気がつきます。”

“娘の苦しみは思ってる以上に深いこと。
誰もが認めるような理由が見えなくても甘えなんかではないこと。

そして休んだからと言って気持ちは全然休めていないということに。”

woman.excite.co.jp

これを見ると、最初のうち「しっくりこない」と思っていた、病院の医師の「学校に戻そうと思っているうちは子どもは動かないよ」と言うのは、その通りなんですね。子どもからすると、学校に戻されたら命の危機だもの。

この親御さんは、娘さんの「消えたい」という言葉で気づけたけれども、気づかない親も沢山いるからね……

 

 

 

もしも「死にたい」と言われたら  自殺リスクの評価と対応

もしも「死にたい」と言われたら  自殺リスクの評価と対応

  • 作者:松本俊彦
  • 発売日: 2015/06/02
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 

「性格重視」の人に対する誤解~内面で選ぶ人は、よく話したことがない相手と付き合わない

 

わりと以前のTweetの話を今さらするのも何だけど。当時、上のやり取りを見ていて、こう思った。

「そもそも、性格重視の人間が、よく話したことのない人間と付き合うわけないから……」

あと、顔の見えないTwitterでなんで容姿差別してることになるんだろ……

 

私はデミセクシャル*1に近い人間だと思うので、性格重視と言っていいのかもしれないけど、今まで他者に恋愛感情を持った経験を振り返ってみれば、よく話すようになってから好きになるまで、だいたい半年近くかかっている。

容姿の許容範囲が広い人は、容姿以外の部分が主な判断基準になっていることが多い。そして、その部分については、容姿が判断基準になっている人より、許容範囲が狭いかもしれない。容姿重視の人間が、容姿の好みにうるさいように、性格重視の人間は、性格の好みがうるさい。つまり、性格重視の人間は、人を性格でえり好みするのだ。

 

あと、「性格重視=ブサイクと付き合う」ではない。「性格重視=容姿にこだわらない」なので、性格が合った相手がたまたまイケメンだった場合なら、そのイケメンと付き合うこともあり得る。(もっとも、私が今まで好きになった人たちは、全員容姿レベルがさほど高いわけではなかったけれど。)

「私は性格重視」と言った人に対して「嘘つけ!じゃあブサイクと付き合ってみろよ!」って言う人は、「イケメン=性格悪い・ブサメン=性格良い」というふうに、容姿と性格をごちゃまぜにして認識しているんじゃないかな。内面で判断するっていうのは、容姿評価と性格評価を切り分けて考えるってことなんだけど。

非モテをこじらせてしまった男性で、「モテ=イケメン、非モテ=ブサメン」と思い込むあまり、彼女持ちの男や既婚男性が全員自分よりイケメンに見えてしまう人がいたけれど、これも容姿と性格をごちゃまぜにしている例だろう。あと、「俺の気に入らない女=ブス・ババア」と認識したりする男性も。

 

というわけで、性格重視派の人間がされがちな誤解について書き出してみた。

 

  • 「じゃあ付き合って」

初対面の人とは無理です。(自分で自分の性格が良いだなんて、大した自信だな……)

 

  • 「じゃあ○○(ブサイクで有名な芸能人)とも付き合えるの?」

一度も会って話したことがないので無理です。

  • 「○○(イケメンで有名な芸能人)が告白してきても、付き合わないの?」

一度も会って話したことがないので無理です。

 

  • 「性格重視なら、イケメンとは付き合わない(ブサイクと付き合う)はず」

性格が合った相手がたまたまイケメンだった場合は、イケメンとも付き合うでしょう。というか、「イケメン=性格悪い・ブサイク=性格良い」という思い込みって、完全に他人を容姿で判断してるよね……

  • 「寛容なんだね」

容姿重視の人間が、容姿の好みにうるさいように、性格重視の人間は、性格の好みがうるさいです。むしろ、「イケメンだったらOK」な人のほうが、ずっと寛容なんじゃないかとすら思えます。

  • 「性格の良い人が好き」

性格が良いのはもちろん最低条件ですが、気が合うかどうかも大問題なので、「話題の共通点がない」「ノリやテンションが合わない」などの、わりと理不尽な理由で付き合いに至らないことがあります。

  • 「イケメン/美女に興味がない」

美しいものを美しいと思う感性があるように、美しい人を美しいと思う感性はあります。しかし、その人と付き合ったりセックスしたりしたいかというと、それはまた別の話です。

例えば、クジャクは美しいし、クジャクと道ですれ違ったらつい二度見してしまいますが、クジャクとセックスしたいとは思わないでしょう。

 

  • 「おしゃれやファッションに興味がない」

ファッションは、絵画や音楽などと同じ自己表現なので、自分自身や他人の自己表現に興味を持つことはあり得ます。

そもそも、全ての人のおしゃれをする動機が「モテたい」から始まるわけではありません。これを書いている私は、おしゃれやファッションに興味があるほうですが、「世界の民族衣装」「日本のファッション100年」みたいな本を読んでいたところで、別にモテたりはしませんしね。

 

たぶんだけど、「よく話したことのない人間と付き合うわけない」というのは、性格重視派の人間なら、感覚的に理解できることだと思う。それが理解できないということは、つまり、その人自身が、相手の中身に興味を持っていないということなんじゃないかな。

性格重視の人間は、相手が自分の中身に興味を持っていないことを察したり、まだ十分にお互いのことを分かり合ったとは到底思えない時点で好意を顕わにされたりすると、「この人は、私の何をわかっているんだ?」「私はあなたのことをよく知らないし、あなたも私のことをよく知らないよね?」と思って、引いてしまいがち。

外見は一瞬でわかるけど、中身は理解するまでに時間がかかる。性格重視の人間だって、テレパシー能力の持ち主ではないので、付き合うまでに、お互いをよく知るための十分な期間が必要なのだ。

 

……ただし、「この人、私がどういう人間なのかってことに興味がないし、付き合えるなら誰でもいいんだな」と思った場合には、その時点で「ナシ判定」が出てしまう可能性が非常に高いし、ましてや、ふられたからといって怒り出す人は、他人の性的自己決定権を尊重できない、暴力的な人だという内面が一発でわかってしまうから、もちろん「ナシ」だ。

「アリ」かどうかの判断には時間がかかるが、「ナシ」はわりと早い段階でわかること、けっこうあるよね。(というか、男を顔で選ぶ女を嫌悪しておきながら、自分は女性の内面を見ようとしていないって、どうよ……)

 

それに、「女は気持ち悪いオタクと付き合うのが嫌だから暴力的な男とでも付き合う」って言うけど。まぁ「気持ち悪いオタク」はともかく、「好みじゃない相手と付き合うのが嫌だから、今のところ誰とも付き合ってない」っていうのも、普通にあるよね。これ男でも女でもある。

私自身、モテることにさほど興味を持ってこなかったので、お付き合いセックス等未経験の期間を長く過ごしたし。

まぁ世の中、常に付き合う相手がいないとダメな人もいるけど、そうじゃない人だって普通に沢山いるしね。というか、そうじゃない人のほうが多いんじゃないかな?常に付き合う相手がいないとダメって、恋愛依存っぽい。

 

「暴力的な男」が女と付き合えているケースに関しては、世の中悪徳商法で儲ける人もいるよねっていう話だと思う。実際は普通に商売してる人のほうが多い。売るための方法や戦略も、客層や商品によって様々。幅広い層にウケる路線もあれば、ニッチ層の需要を掴む路線もある。ただ、やっぱり「商売下手」な人はいるよね、ということかと。

男性だって、タチの悪い女に引っかかってる人は沢山いるわけで、そういう自分は絶対に大丈夫だと言い切れるのかな?と思いました。ほら、詐欺啓発でも「『俺は絶対に騙されない』って思っている人ほど騙されやすい」って言うしね。他人事じゃないと思うよ。

 

私は、選ぶ基準が容姿でも中身でも良いと思う。他人のことを、容姿に恵まれないからといってバカにしたり、容姿関係ない場で容姿基準を持ち出すのが良くないんであって。ただ、今の世の中、それが徹底されていないから、ミスコンの開催とかも色々微妙になるんでしょうね。

 

ちなみに、私が今まで付き合ったり親しくなったりした男性には、「親しくなった相手じゃないとセックスしたいと思わない」という人が多かったですね。類友

 

 

 

 内面を重視する女性ほど、お互いをよく知らない段階で早急にアプローチしてくる男性は選ばないからね……というか、「知り合い」程度の仲の段階では、まだ恋愛を意識してないな。

 

 

あと、最後に言っておきたいことがある。

女にもオタクいるよ!?*2

ていうか、創作側は昔から女のほうが多いからね。コミケの歴史調べてみて!

それに、もともと「オタク」って「モテない人」っていう意味じゃなかったよね?そういう人は「非モテ」って言うんじゃないの?

 

 

「私は性格重視」と言った途端に「じゃあ付き合って」と言ってくる人って、随分自分の性格の良さに自信があるんだなーと思うけど、うん……まぁ……ね。

yuhka-uno.hatenablog.com

 

 

なかみグラフィックス

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愛するということ 新訳版

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*1:心が繋がった相手だけに性的魅力を感じる性的指向、デミセクシュアリティ(半性愛)とは

*2:これを書いている人は、中学生の頃から同人活動している創作系オタクです。最初はつけペンスクリーントーンを駆使して漫画を描いて、ネット時代になってからは、html直打ちでイラストサイト作って運営してました。『ダミーエンター』とか『毒吐きネットマナー』とか、懐かしいよね。

なぜ(特に男性は)ファッションに失敗する人が多いのか・後編 ~学校の服装指導から考える

前回記事『なぜ(特に男性は)ファッションに失敗する人が多いのか・前編~着物との比較から考える』においては、(特に男性が)ファッションに取り組もうとして失敗し挫折する要因として、現代日本における着物と洋服、それぞれの衣服をとりまく現状から考えた。

私はもう一つの理由として、学校における服装指導の影響があると思っている。

 

前回記事の引用文に「いやぁ、男は毎日スーツを着ているうちは、どうでもいいやって思っちゃうんですよ。」とあるが、多くの男性がそう思ってしまう理由として、スーツを、中高生時代の学生服の延長だと認識してしまっているというのがあるのではないだろうか。

 

“最近、娘の学校説明会などでスーツを着る機会が多い。僕は企画業という仕事柄、Tシャツと短パンというラフな格好が多く、スーツは慣れていない。むしろスーツを着ることに対して抵抗感すらある。

そんなわけだから“スーツ着用”って書かれていても、なるべく手を抜こうとしてしまう癖がある。普段手ぶらだから鞄を持たなかったり、暑ければノーネクタイにシャツだったり。まぁそれでも我慢して着てる分だけ偉いと思ってた。

ただ、その様子に見かねた妻が、あんたなぁ…と呆れた顔して問うてきた。

「なんなん?そのスーツの着こなしは?」

いやいや、ちゃんと着てるやん。と答える俺

「あんたさ、スーツはなんのために着ると思う?」

えっ、、場の風紀を乱さないためでしょ。”

個性と惰性を履き違えるな。|高木新平|note

引用元の内容は、「型があるのが『型破り』、型がないのが『型なし』」という、巷でよく言われていることそのものだろう。

私は、この文の「風紀」という言葉から、学校的なものを連想してしまった。スーツを着る理由を「場の風紀を乱さないため」と思うのは、もしかしたら、校則で縛られていた学生服時代の延長でスーツを捉えているからではないだろうか。

 

学校における服装指導と、社会一般のドレスコードやスーツの着方は、違うものだ。思い出してみても、制服を着ていた頃の学校生活の中で、結婚式や葬式に何を着ていくかや、「スーツを着る時は、座った時でもスネ毛が見えない長さの靴下をはくように」といったスーツの着方について、教わった記憶はない。

……つまり、学校は熱心に服の着方を指導するが、社会一般で通用する服装のルールについて教えているわけではないのだ。学生時代に真面目に校則を守っていた人のスーツの着方がおかしいというのは、よくあることである。

しかしながら、服装を指導する教員は、指導する理由を「学校は社会に出るための場。そのための生活指導」などと言ったりするので、学校の校則というローカルルールと、社会一般に通用する服装のルールを、混同してしまうのだろう。そもそも、指導する教員自身も混同していることが多いのではないだろうか。

 

多くの学校では、生徒のおしゃれ――外見的自己表現に対して、あまり良い顔をしない。なので、学生服を着ている期間においては、「きちんとした学生服=おしゃれじゃない」「校則違反の学生服=おしゃれ」みたいな図式ができあがる。

その結果、個性を出したいタイプの人にとっては、学生服の延長として認識してしまっているスーツを、「おしゃれじゃない」と思い、逆に、勉強ができる優等生だったことがアイデンティティになっている人や、おしゃれに対して苦手意識がある人は、「おしゃれ=校則違反するような連中がするもの=チャラ男&キラキラ女子=バカ=自分はあんな連中とは違う!」という、鬱屈した偏見を育ててしまうケースも多いのではないだろうか。

 

しかし、実際には、スーツをおしゃれに格好良く着こなすには、スーツに対するリテラシーが必要だ。この部分は、前回記事で述べた着物の着こなしに対するリテラシーと似ている。多くの人は、着ている人が同一人物であっても、スマートに着こなしたスーツとそうでないスーツを並べられれば、どちらがスマートかの見分けはつく。しかし、どこがどう違うのか、何をどうすればスマートに着こなせるのかは、知識が必要になってくる。

これらは、学校で言われた「髪を染めるな」とか「ピアスを開けるな」などといったこととは、全く別のことだ。着物をきれいに着付けられるかどうかが、それらのこととは全く別のことであるように。

 

前回記事で、「『フォーマルな着物はわかるけど、浴衣や着流しはわからない』という人は、あまりいないだろう。」と書いたが、私は、スーツの着方がわかれば、おのずとカジュアルもわかるものだと思う。

なぜなら、スーツの着方がわかるということは、沢山種類があるジャケット、パンツ、シャツ、靴、靴下、ベルト、ネクタイなどのアイテムのうち、どれがフォーマル用でどれがカジュアル用かがわかるということだからだ。そして、洋服の中ではスーツのサイジングが最も厳密なので、自分に合ったサイズ感やシルエットがわかるということだからだ。

 

洋服は、なまじ、子供の頃から当たり前に着ていた衣服なだけに、基礎から洋服の着方について解説する本が少なかったし、自分がどこから洋服のことを知らないのかも知らないし、当たり前だと思っていることを問い直してみたり、一から調べてみるという発想ができにくいのかもしれない。

あまりにも身近で当たり前にあるものなので、意識することは少ないが、スーツだって、着物と同じように、西洋の衣服の歴史と文化の上に成り立っているものなのだ。

 

一方、スーツの着方云々とは別に、日本のクールビスに限らず、海外でも服装はカジュアル化していっているが、こういったカジュアル化の波は、時代の流れとして自然なものだと思う。

20世紀初頭の貴族の邸宅の人間模様を描いた英国のドラマ『ダウントン・アビー』では、グランサム伯爵がタキシードを着ながら「こんなカジュアルな服を着る時代になってしまった」とぼやくシーンが出てきたが(つまり、これまではこういう場面では燕尾服を着るものだったという意味である。)、100年程経った現在、再びカジュアル化の大きな転換期が着ているのだと思うと、ちょっと面白い。

あと何十年か経ったら、スーツはそれこそ冠婚葬祭の時にしか着なくなるかもしれない。その時には、今時の若い子に「私が若い頃は、スーツを着て仕事をするのが当たり前だったんだよ」なんて言ったりしているのだろう。

 

余談だが、“スーツ着用”と書かれているということは、「スーツまたはスーツと同格の民族衣装」として考えて良いだろう。グローバルなドレスコードは大抵そうなっている。ここでもし「民族衣装はダメ」と言ったら、民族差別になってしまうからだ。なので、スーツが嫌ならスーツと同格の着物姿で行くという手もあるだろう。

ま、場合によっては、「そもそも、ここって本当にスーツ着ていく必要あるの?」ってケースもあるだろうけど。*1

 

まぁ色々言ったけど、「なぜ(特に男性は)ファッションに失敗する人が多いのか」については、結局、女性より外見に気を使う文化がないからっていうのが、一番の理由だと思うけどね!(ミもフタもない)

実はこれもけっこう大きな原因で、女性の場合だど、ギャルでもキラキラ女子でもない人が普通におしゃれだったりするけど、男性の場合、女性よりおしゃれする人の絶対数が少ないから、身近にロールモデルが見当たらないというのもありそうだな、と思う。

なぜ(特に男性は)ファッションに失敗する人が多いのか・前編 ~着物との比較から考える

前回記事『ダサい服はなぜダサいのか。また、人はなぜ「ダサい」に過剰反応してしまうのか。』を書く上で、着物と洋服の違いについて考えていたところ、(特に男性が)ファッションに取り組もうとして失敗し挫折する要因の一つが見えてきた気がするので、書き留めておこうと思う。

 

前回記事では、着物と洋服のおしゃれの基準の違いとして、着物は服の形は同じようなもので、色と柄でバリエーションを出す文化があるのに対し、洋服は服の形のバリエーションが多く、着た時のシルエットを重視するということを書いた。

 

ここまで散々「洋服はシルエット」と言っておいてなんだけど、私は、実は、着物もまずシルエットが大事な衣服なんじゃないかと思う。いくら長着や帯や半衿等がおしゃれな組み合わせであっても、着付けがイケてなかったら、決してサマにならないからだ。

日本で育って、着物を見慣れている人にとっては、着物を見慣れていない外国人が自分で着てみた姿は、なんとなくおかしく感じる。しかし、着物を見慣れていない人にとっては、着付けの違いはよくわからないかもしれない。

つまり、着物を見慣れている人は、その外国人の着付けが変だと思う程度には、着物のファッションリテラシーがあるということだ。

 

着物は、「着付ける」ということによって、着る人が自分でシルエットを作る服で、洋服は、(ネクタイを結んだり、裾を入れたり入れなかったり、自分でシルエットを作る部分もあるけれど、)大部分は、服を選んで買う時点で、シルエットを作る服なのだと、私は考えている。

今でこそ、既製品の中から自分に合うサイズのものを選び取るのが、普通の洋服の買い方だけど、昔は、身体の寸法を測って、その人の身体のサイズに合わせて仕立てるのが、一般的な洋服の作り方だったのだから。

 

(※スーツのフィッティングとサイズ選びについて。)


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思うに、苦手な人が取り掛かっておしゃれになるには、実は着物より洋服のほうが難しいのではないだろうか。

着物は、既に日常的に着る人が減って久しく、着たいが着方がわからないという人が多い。そのため、いちから着物の着方を解説した本の需要があり、そういう本は沢山出ている。「着物が着たい」と思った人は、まず一般書籍コーナーに行って、着物の着方についての本を探すところから始めるだろう。着物のファッション誌ではなく。*1

そして、本を読んでもわからなければ、誰かに教わろうとするだろう。巷には着物教室もあるのだし。

 

一方、おしゃれが苦手な人が、洋服のおしゃれをしようとすると、大抵、まずファッション誌を読むことから初めてしまう。「おしゃれといえばファッション誌」と思い込んでいるため、一般書籍コーナーに行こうという発想ができない。そもそも、一般書籍のファッション解説本の存在自体知らない。

そして、独学で頑張ろうとしてしまう。(ファッション好きな友達がいれば、その人に聞くかもしれないが、こういう人の周りには、ファッショナブルな人がいないことが多い。)ファッションアドバイスのプロに頼もうという発想がない。そもそもそういう人の存在自体を知らないから。

 

つまり、着物に取り組もうとする人は、「着物の基本的なことを解説した本を読み、人に聞く」という工程を踏む人が多いのに対し、洋服のおしゃれをしようとする人は、「服の流行を紹介するファッション誌を読み、独学でやろうとする」という工程を踏む人が多いのだと思う。どちらが上手くいきそうかは、明らかだろう。

 

これは、着物の場合、服の着方についての基本的な本が存在しているということと、初心者に着付けを教える仕事をしている人の存在が、広く世間に知られているからだろう。その分、着物ファッション誌の存在はあまり知られていない。

一方、洋服はというと、特にメンズファッションについては、今でこそMB氏をはじめ様々な本が出ているが、2000年代以前は、特にカジュアル方面はほとんどないも同然だったし、*2「パーソナルスタイリスト」や「イメージコンサルタント」といった、洋服のファッションアドバイスをするプロの存在も、ファッション感度が高い人は知っているが、低い人は知らない状態だと思う。そして、ファッション誌の存在感がありすぎる。

つまり、洋服のおしゃれがしたい人にとっては、着物に比べて、上達しやすい手順が踏みにくい状態なのだ。

 

これは、普段、みんなが日常的に着ている衣服だからこそ、起こることなのかもしれない。誰もが着物を着ていた時代、わざわざ着物の着方から解説した本はなかったのではないだろうか。一方、戦前の日本では、洋服の着方に関する本は需要があったようだ。

実のところ、私たちは、普段、日常的に洋服を着てはいるが、案外、洋服のことをよく知らないのだと思う。日本人が洋服を着始めたのは、明治時代からだったが、一般庶民に至るまで、誰もが洋服を着るようになったのは、まだ数十年のことだ。

 

“――月曜から金曜までスーツを着ている男性の中には、何十年もスーツ以外の服を全然買ってこなかったという人も多い。おじさんが土日に着る私服がひどいという話はよく聞きます。

MB:男性は結構危機感を持っていますよ。僕がやっているファッション指南のメルマガ読者は、当初から上の年代を狙っていたんですが、蓋を開けてみると思った以上に多かった。65歳で定年を迎えて、スーツを脱いだ瞬間に何着ていいかわかんなくなるんですよ。

米澤:65歳か。もうちょっと早く気付けなかったんですかね。

MB:いやあ、男は毎日スーツを着ているうちは、どうでもいいやって思っちゃうんですよ。だけど、いざ定年して第二の人生となった時、自分の服装ってこれでいいのかな?って思うけど、そんなにお金もかけられない。だからユニクロでかっこよくなる方法を教えてくださいって、僕のところに駆け込み寺のようにやってくるんです。”

 

“MB:カジュアルにしなきゃいけないのに、どうやってカジュアルにしていいか、わからないという男性は多いです。結局、男はファッションに対するリテラシーが培われていないんですよ。女の子はお母さんから服の良し悪しや着方を教えてもらうけど、我々男は父親から教えてもらったことがない。だからリテラシーが存在しない。”

 

インスタとユニクロで日本人の「おしゃれ」が変わった(米澤 泉,MB) | 現代ビジネス | 講談社(1/7) 

これは、みんなが洋服を着るようになってまだ数十年だから、起こっている現象なのかもしれない。もし誰もが着物を着ていた時代だったら、隠居した途端、「羽織袴を脱いだら何着ていいかわからなくなった」と言ってアドバイスを求める男性はいただろうか? (落語になりそうな話だな……)

「浴衣は着れるけど、フォーマルな着物はわからない」という人はよくいるが、「フォーマルな着物はわかるけど、浴衣や着流しはわからない」という人は、あまりいないだろう。

 

クールビズが啓発され出した頃、いつものスーツのネクタイを外しただけの姿になってしまう年配男性が多かったが、上下揃いのスーツスタイルはネクタイありきのものなので、ネクタイを外したスタイルにする場合は、ジャケットやパンツ等もカジュアル用のものにしないとおかしい。

着物にも、長着や帯、半衿や履物等の格の違いで、合う組み合わせ合わない組み合わせというのはある。多くの人は、着物に取り組もうとする場合、着付け方と共に、まずここから知ろうとするだろう。本来であれば、洋服についても、まず知るべきことは、洋服のそれぞれのアイテムの格を知り、合う組み合わせ合わない組み合わせと、どのシーンでどういう格好をして行くのが相応しいのかということだと思う。

 

上記引用部分に、「我々男は父親から(服の着方を)教えてもらったことがない」という話が出てくるが、父親世代は、洋服において、合う組み合わせ合わない組み合わせという段階からして、リテラシーがない人が多いということなのだろう。これでは確かに、息子に服の着方を教えようがない。

これがもし、着物が日常的に着られていた時代だったらどうだっただろう。上の世代の男性は、「男が見た目にこだわるなんて女々しい」と言われて育った人が多いが、こういった着物の組み合わせについては、おしゃれ以前の問題として、常識的なことだったのではないだろうか。

洋服において、ここの段階を知らないまま、「男が見た目にこだわるなんて……」を適用してしまうと、「カジュアルがわからない」「スーツを脱いだ瞬間に何着ていいかわかんなくなる」ということになるのかもしれない。

これについては、戦中戦後の混乱の中で、一旦、明治時代から取り入れつつあった洋装の文化資本が途絶えた部分もあったのではないだろうか。

 

(※どの服にどの靴を合わせるべきかについて。)


www.youtube.com

 

さて、今回は、男性がファッションに挑戦して失敗する理由として、着物との比較から考えた。もう一つの理由として、学校における服装指導にも要因があるのではないかと思うのだが、長くなったので後編に書くことにする。

 

 

なお、このエントリは、数年前に読んだこちらの記事が頭にあって書いた。

blog.gururimichi.com

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戦前の洋装を現代に着ている人たち。

togetter.com

 

 

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*1:KIMONO姫」などの着物ファッション誌を見たことがきっかけで、着物の世界に足を踏み入れる人もいるだろうけど。

*2:脱オタクファッションガイド」くらいだろうか。