宇野ゆうかの備忘録

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日本の若者は投票しないように教育される説~投票率とブラック校則

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若者の投票率の低さは、たびたび話題になる問題ですね。まぁ日本の場合、若者以外も投票率は全体的に大して高くはないのですが……中でも若者は低いということで、問題視されています。

 

私は、若者の投票率の低さは、学校の校則問題との関連が深いと思っています。

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下の「黒タイツがダメなワケ~」の記事は、元のリンクが切れてしまっていますが、当時とても話題になったので、ブックマークコメントやtwitterあたりを見れば、なんとなくわかるかと。

ざっくり言うと、校則でタイツがベージュのみだったところ、生徒たちが黒タイツも認めてほしいと学校に掛け合い、生徒会議で黒タイツでも良いと出たのに、認められず、結局、保護者やOBを巻き込まなければ、校則を変えることができなかったという話です。

 

私は、これらの記事を読んだ時に、「若者の投票率が低いのは、たぶんこれのせいだろうな」と思いました。

「自分たちのルールを、自分たちで決める」ということが、大人たちから煙たがられて認められない環境で育ってきたのですから、「ルールは『上』の人たちが決めるもので、自分たちには変えられない」という感覚が身についてしまうのは当然でしょう。そういう環境下では、黙ってそれに従うか、あえて『校則破り』をするかしか選択肢がなく、声を上げ、正当な手続きを踏んでルールを変えるという選択肢は、事実上ないものになっています。

 

つまり、投票率を上げるためには、若者に投票を呼びかけようとか、政治に興味を持ってもらおうとか、投票所を増やしたりネットで投票できるようにしようとかよりも、それ以前の、投票権を持つ前の段階から変えていく必要があるんじゃないかと、私は思うのです。

(もちろん、前者のこともやっていく必要はありますが、既にそれをやっている人は沢山いるけど、あまり効果は出てないということですよね……)

 

私は、選挙権とは自己決定権だと思うんですよ。自分たちのことを、自分たちで決めるということです。歴史的に見ても、貧困者、女性、黒人、先住民族、植民地の住民など、選挙権が認められてこなかった人たちって、つまり、自己決定権を奪われていたってことなんですよね。

支配する側って、大抵、「あれしてやった、これしてやった、なのに何が不満なんだ、この恩知らずめ」って思ってる。でも、決まって、支配する側が支配される側に与えないのが、自己決定権なんです。これは、親子間の支配から、差別、植民地支配に至るまで、共通しています。

 

支配的な親のもとで育ってきた人の中には、自分で自分のことを決める能力が十分に育っていない人がいます。これはけっこう「毒親あるある」なんですよね。自分で決めているつもりでも、実は無意識に親が「NO」と言わない範囲内でしか決めていないとか。

本の学校教育って、生徒の「政治的な自己決定能力」を育てない場所になってしまっているんだと思います。若者の投票率が低いのは、なるべくしてそうなっているんです。

 

だから、若者の投票率を上げるのは、とどのつまり、若者をエンパワメントするってことだと思います。

選挙に行かない若者を「これだから若者は」みたいに言うのって、若者や選挙に行かない人を叩いてスッキリしたい欲が満たされるだけで、投票率を上げることには何ら効果がない、どころか逆効果だと思うんですね。全然、エンパワメントにならないですから。

「選挙に行かない人に文句を言う権利はない」とかもそうです。そもそも、そんなルールはありません。日本には言論の自由があるので。むしろ、まず、文句を言うことに慣れてもらったほうがいい。「自分だって、政治に文句を言っていいんだ」って感覚を掴めたら、選挙に行くことに繋がっていくと思うんです。

 

あと、「とりあえず何でもいいから投票に行け」っていうのも、違うと思うんです。自己決定能力が育っていないまま選挙に行っても、ただただ自分の意志で決めることに不安になるだけだと思うんですね。そういう状態の人が行き着く先は、大抵「みんなと一緒なら安心かも……」です。なので、自分の意志とかじゃなくて、みんなが投票しそうな人や党に投票してしまう。

確かに投票自体はしているけれど、それって、「自分の一票を投じた」ことになるんでしょうか?選挙ってそういうもんじゃないですよね。

 

というわけで、若者の投票率を上げるには、ブラック校則をなくして、「自分たちのルールを自分たちで決める」という感覚を持ってもらうのが良いんじゃないか、という話でした。

あと、政治に興味を持つのって「暇」が必要ですね。忙しいと政治のことチェックしてられない。というわけで、長時間労働をなくしましょう。

 

“ 厳しい校則というものは、教育界では「過去のこと」と思われてきた。子供たちは数十年前に比べれば、自由な学校生活を享受しているだろう、という印象だ。

 校内暴力が吹き荒れた1980年代に、生徒を取り締まるための手段として、厳格な校則が適用された。そして1990年7月に神戸市内の高校で起きた女子生徒の校門圧死事件は、管理教育の象徴としての校則の是非を、世に問うた。

 それ以降、校則問題の議論は下火になっていった。ところが現実には、むしろ校則はその厳格さが強化されているようにさえ見える。校則は、古くて新しい問題である。”

理不尽な校則 なぜ変わらないのか ――コロナ禍の校則緩和から「学校依存社会」を読み解く(内田良) - 個人 - Yahoo!ニュース

 

 

過去に書いた記事。おしゃれも選挙も自己決定。

yuhka-uno.hatenablog.com