宇野ゆうかの備忘録

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光野桃『私のスタイルを探して』から読む自己表現の本質~ファッションと企業ブランディングの共通点

「ユニクロでよくない?」の理由~おしゃれの基準が“服”ではなく“技”になった時代』を書いて、バブル期と現代のおしゃれの違いについて考えたことをきっかけに、光野桃氏のエッセイ『私のスタイルを探して』を久々に読み返してみたら、「これ、おしゃれの本質が書かれている本だ…!」と思ってしまった。

以前この本を読んだのは、まだ10代くらいの時だったかもしれない。当時の私は、母親の「おしゃれや流行に興味のない子でいてほしい(金がかかるから)」という願望を内面化していて、おしゃれとは縁遠い芋な子だった。それでもこの手の本を読んでいたということは、やはり潜在的にはおしゃれに興味を持っていたのだろう。

ただ、当時の私は、若すぎたことと、まだおしゃれに目覚めていなかったせいもあってか、書かれている内容がなんだか難しく感じてしまい、また、大人のおしゃれや高級ブランドやミラノのファッションといった話が、自分には遠い世界のことに感じられて、この本の本質を十分に理解することができなかったのだと思う。

 

子供の頃、母親が縫ってくれたワンピースを着て純粋に喜んでいた光野氏は、思春期になると、好きな男の子を意識して着る服に悩み、大学では、当時流行っていた「ニュートラ」な女の子たちに出会って、自分の好みではないものの、人と同じ格好をして安心感を覚えたりする。その後、三宅一生川久保玲といった、当時の名だたるデザイナーが出入りする事務所に勤め、クリエイティブな空気に触発されるも、女性誌の編集部に勤めるようになると、バブル時代の「コンサバ」な女のファッションに身を包むようになる。

しかし、いつも「何かがおかしい」「なにか違う」と思っていたという。「買っても買っても着る服がない」状態だった光野氏は、結婚して夫の転勤でミラノに移住する。ミラノの人々の堂々とした佇まいにショックを受けた光野氏は、ミラノ女性の格好を真似してみるが、街のウィンドウには、ただの地味な東洋人が映っているだけだった。そこで光野氏は「おしゃれのどん底」に陥る。

 

 ここでは誰も、私が生きてきた今までのことを知らないのだ。どんな仕事をやってきたのか、なにを考え、なにに感動してきたのか、だれも知らない。伝える術もない。自分の存在がゼロになったような気がした。それは恐ろしい感覚だった。こんなことはとうてい受け入れるわけにはいかないと思った。

 ミラノ中に聞こえるような大きな声で叫びたかった。私はこんな人間なのよ、と。私はこんな風に感動するの。私はここに居るのだ、と。自分をわかってもらいたい。表現したい。焦がれるような気持ちが胸の奥から衝き上がってきた。

 その時、頭の中でなにかキラリと閃くものがあったのである。ハッとした。これだ、これをファッションで表現しなければ。自分をわかってもらうために、服を着るのだ。そういう服の着方をすればいいのかもしれない。

 考えてみれば、物心ついた頃から人がなにを着ているのかが気になった。流行に遅れていると焦った。人の目を意識し、人にどう思われるかということばかりで服を着てきたのだ。

 しかし、その発想は逆だった。人がどう思うかより、人にどう思わせたいか。自分をどう表現したいかということなのだ。

 

光野氏がミラノで体験したことを読んで、「これって、夏目漱石がロンドンで体験したことと同じだ…!」と思った。夏目漱石は、留学先のロンドンで鬱状態になり、そこから自己確立している。光野氏は、ミラノに行く前から問題を抱えていて、ミラノという外国の地でそれが表面化したわけだが、夏目漱石も全く同じだった。

 

“私は下宿の一間の中で考えました。つまらないと思いました。いくら書物を読んでも腹の足にはならないのだと諦めました。同時に何のために書物を読むのか自分でもその意味が解らなくなって来ました。
 この時私は始めて文学とはどんなものであるか、その概念を根本的に自力で作り上げるよりほかに、私を救う途はないのだと悟ったのです。今までは全く他人本位で、根のない萍(うきぐさ)のように、そこいらをでたらめに漂よっていたから、駄目であったという事にようやく気がついたのです。私のここに他人本位というのは、自分の酒を人に飲んでもらって、後からその品評を聴いて、それを理が非でもそうだとしてしまういわゆる人真似を指すのです。”

 

“ 私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました。彼ら何者ぞやと気慨が出ました。今まで茫然と自失していた私に、ここに立って、この道からこう行かなければならないと指図をしてくれたものは実にこの自我本位の四字なのであります。”

 

 ――夏目漱石『私の個人主義

 

また、私が驚いたのは、光野氏が自分のファッションスタイルを確立させる過程で取った方法が、クリエイティブディレクターである水野学氏が書いた『「売る」から、「売れる」へ。水野学のブランディングデザイン講義(著:水野学)』の内容や、その水野氏がディレクションを手がけた、デザインとブランディングにこだわる手法で売り上げを伸ばしている中川政七商店の十三代目社長が書いた『老舗を再生させた十三代が どうしても伝えたい 小さな会社の生きる道(著:中川淳)』『経営とデザインの幸せな関係(著:中川淳)』の中に出てくる手法と、ほぼ同じものだったことだ。

 

『「売る」から、「売れる」へ。水野学のブランディングデザイン講義』によると、水野氏は、中川政七商店のロゴや紙袋や段ボール箱、本社社屋といった「外側」のデザインを手がけてはいるが、商品そのもののデザイン自体を、現代的なものに変えるなどはしていないらしい。

 つまり、流行をそのままもち込んだり、とにかく現代的で美しいものにしたりすれば、それでいいのか、ということ。

 結論からいうと、そのやり方だと、うまくいく場合もないわけじゃないけれど、ほとんどはうまくはいかないでしょうね。実際にぼくも、中川政七商店の商品を現代的に洗練された美しいデザインにしようとは考えませんでした。

 というのも、ブランディングを考えるうえで大切なのは、「似合う服を着せる」ということだからです。

考え方としては、スタイリストに限りなく近い。

一方、光野氏は、自分がミラネーゼの格好を真似てみても、ただの地味な東洋人にしかならなかったことで、ミラネーゼの服は、ミラノの女の魅力を引き立てるためにあるのだと悟っている。

 私は悟った。ミラノ服の定番ともいえるシンプルな紺のジャケットは、骨格のはっきりした顎の線と、広い肩幅があるから着こなせるのだ。

 きれいな色のセーターはこっくりと日に焼けた肌があってこそ、着る人を美しく引き立てる。男仕立ての紐結びの靴に細身のストレートパンツというマニッシュな装いは、彼女たちラテン女の体を流れるセクシーな熱い血を、かえって洗練された形で際立たせる効果があるのである。

 どの服にも、ひとつひとつに納得できる理由があった。ミラノの服は、ミラノの女のものなのだ。

 「ひとつひとつに納得できる理由がある」――これはまさに、デザインの分野でよく言われていることと同じだ。水野氏もまた、著書の中で「説明できないデザインはない」と言っている。

水野氏は、企業のブランディングをスタイリストに例えているが、光野氏も、著書の中で、外見でのプレゼンテーションを企業イメージに例えていた。

 

光野氏は、その後、自分のスタイルを確立させるために、まず自分がどんな人間なのか、内面の特徴を見つめ、紙に書き出していく。

次に、その内面を表現するヒントを掴むために、ファッション誌の中から、気に入った写真を切り取ってきて、スクラップする。ここで、自分の好みのファッションの傾向が明らかになってくる。そして、その中から、自分の外見に照らし合わせて、体型的に無理がありそうなものは外す。最終的に、友人の助けを借りながら、服を決めていく。

こういった過程を経て、光野氏は、日本の流行やミラネーゼの格好といったものから独立した、自分自身のファッションスタイルを確立した。

 

『老舗を再生させた十三代が どうしても伝えたい 小さな会社の生きる道』『経営とデザインの幸せな関係』の中でも、ブランドを作る過程で、その企業の特徴や将来の希望などについて、こと細かに分析して書き出していくところから始める。

まず決算書を見るところから始めるのが企業ブランディングといったところだが、企業の強みや弱み、将来こうなりたいという理想の形などを書き出し、自分のことは自分が一番よくわからないので、外部の客観的な目線を入れながら、「自分たちは何者か」ということと、きれいごとではない本音の「自分たちがどうなりたいのか」ということを、はっきりさせていく。

ここから、自分たち「らしさ」とは何かというイメージを膨らませ、ブランドや商品のイメージに合った写真などを切り出して、イメージコラージュを作る。こうして、商品デザイン、ブランド名や企業ロゴ、店舗の雰囲気、ウェブサイトやカタログや商品パッケージなどの見た目に落とし込んでいく。

(ブログの都合上、ざっくりと書いたが、実際に本に書かれていることはもっと細かい。)

 

自分が何者なのか、これからどうなりたいのかということを分析してから、客観的にアドバイスしてくれる人の意見を取り入れつつ、切り抜き写真などを集めてイメージを固めていくという工程が、光野桃氏と中川政七商店の手法とで共通していた。『いいデザイナーは、見ためのよさから考えない(著:有馬 トモユキ)』*1というタイトルの本があるが、それは、人のファッションスタイルを決める上でも、企業のブランドイメージを作る上でも、同じなのだろう。

 

クライアントから依頼を受けてデザインするデザイナーの人たちがよく言うことの中に、「丸投げはやめてくれ」というのがある。クライアント側からすると、「自分はセンスがないから…」「デザインのことはわからないから…」と思って、デザイナーに任せれば何とかなるだろうと思ってしまいがちだが、デザイナー側からすると、あなたはどういう会社で、ターゲットはどういう人たちなのか、デザインによってどういうことを伝えて、どういう効果を得たいのか、そういったことをすり合わせて、クライアントとデザイナーで共通認識を持たないと、デザインを作ることはできない、ということなのだ。

 

光野氏が、ミラノの女性に、「あなたにとってファッションとは何ですか?」と問うた時、ある女性はこう語ってくれたという。

「人は誰でも自分のことを、正確に相手に知ってもらいたいと思うのではないかしら。特によいところは積極的にアピールしたいと思うものでしょう。でも、誰とでも一時間じっくり話し込む機会があるというわけではないわ。だから装いというのはとても大切なことなのです。自分というものを一目で端的に相手に知らせる、私にとっておしゃれとはそういう目的があるんですよ」

企業にとって、なぜブランディングが必要なのかも、これと同じではないだろうか。

 

パーソナルカラーや骨格診断や顔タイプ診断などは、とても役に立つけれど、例えるなら、それらは『ノンデザイナーズ・デザインブック』*2に書かれているような、見た目を整える基本技術のようなものなのだろう。

もちろん知識や技術はとても大事だ。それらがなければ思うような表現はできない。光野氏が「人がどう思うかより、人にどう思わせたいか」ということに気付いた時点から、自分のスタイルを確立できたのも、もともと光野氏にファッションに対する十分な知識と技術があったからだろう。もし光野氏がファッションを見る目が鍛えられていない人だったら、そもそも、自分がミラノの女性と同じ格好をしても似合わないということに気付くこともできなかったであろうから。

しかし、ある程度技術を身に着けた先にあるのは、その技術を使って何を表現するかだ。最終的には、自分はどういう人間で、服を着ることによって、自分はどうなりたいのかが大事なのだと思う。

 

日本では、わりと近年まで、ファッションは「若い女の子のもの」と思われ、中年以上の女性たちがおしゃれをする存在として認知されていなかったと思う。やっと最近になって、60代以上の女性ファッション誌が創刊されるなどしているけれど。

これは、長らく「おしゃれは、女が男に好かれるためにやるもの」という男性本位な偏見があったからだろう。それゆえ、ファッションは「女がするもの」として、一段下に見られ、軽薄で役に立たないものとして見なされていた。「若くない女がおしゃれしても無意味」という男性都合の目線もあっただろう。

しかし、この本を読んでいると、やはり、おしゃれとは自己表現であるし、他の知識や技能と同じで、経験として積みあがっていくものなのだと確認できた。若い頃は、まだ自分自身のことがよくわかっていないから、人の目が気になるし、周りに流されてしまいがちだけれど、年齢を重ねて、自分というものがわかってきて、ファッションの経験も積んで、自己確立できるようになると、その人のファッションスタイルも完成度が上がってくる。そういうことなのだと思った。

 

 

『私のスタイルを探して』について書かれたブログがありました。

quelle-on.hatenadiary.jp

 

 

私のスタイルを探して (新潮文庫)

私のスタイルを探して (新潮文庫)

 
経営とデザインの幸せな関係

経営とデザインの幸せな関係

 

 

*1:https://www.amazon.co.jp/dp/4061385623/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_4H2jEbTP4YCG3

*2:デザイナーではないけれど、プレゼン用スライドやチラシや文書などをデザインをする必要がある人のための、基本的なグラフィックデザインのテクニックが書かれた本。デザインの世界ではとても有名な本で、デザインについて説明する時によくこの本の内容が引用される他、この本を読んでデザイナーになった人も多い。https://www.amazon.co.jp/dp/4839955557/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_2E2jEbCX39DGV