宇野ゆうかの備忘録

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ヒール靴強要問題~他人の痛みは100年でも我慢できる

yuhka-uno.hatenablog.com

 

さて、上の記事を書いたところ、「フェミニストはハイヒールを蛇蝎の如く嫌っている」という事例として「上野千鶴子がいるじゃないか」と反応する人があまりにも多かった。その反応を見て、私は「皆、なんで上野千鶴子氏一人の発言にそんなにこだわるんだろう」と思っていたが、下の記事を読んで、少しその原因が見えてきたような気がする。

もしかして、この問題にあまり関心がない人には、ヒール靴強要問題を訴える女性たちが、上野氏の発言以前からずっと「どうせハイヒールが嫌いなだけなんだろ」と言われ続けていたのが、見えていないということなのだろうか?

 

azanaerunawano5to4.hatenablog.com

 

以前、ある芸能人が、中学時代にいじめに遭っていた体験を話していたことがあった。クラスの男子数人から中心的にいじめられており、学校の焼却炉のところで体に熱した火ばさみを当てられたり、トイレで唇をカッターで切られるなどされたという。その芸能人は、当時、このことを誰にも相談しなかったという。

私はこれを見て、「被害者が誰にも言わなかったということは、当時、教師や他のクラスメイトたちは、この人がそこまで酷いいじめを受けていたことを知らなかった可能性が高いな」と思った。軽度のいじめは教室で行われることもあったが、深刻ないじめは、トイレや焼却炉など、いじめの中心人物と被害者だけがいる空間で行われていたからだ。教師や他のクラスメイトの認識としては、「ちょっとからかわれたりして、孤立している子はいるけれど、そこまで酷いいじめじゃない」程度の認識だったかもしれない。

 

また、いじめは集団で行われるケースが多いため、いじめをするほうからは1回やったことでも、いじめをする者が20人30人いれば、被害者にとっては、20回30回やられているということになる。加害者や傍観者の立場から見る光景としては、「いじめられている子は、自分が見ていないところでもいじめられている」という想像力を働かせられないと、「そこまで深刻ではない」と認識してしまうことは、大いにありえる。

こうなると、被害者が、自分がやられたことに対して当然のレベルで怒ったり傷ついたりいるのに、それを見た傍観者的立場の者は、「怒りすぎ」「大げさだ」と捉えてしまうことになりかねない。

 

差別もまた、大抵はこれと同じメカニズムになっている。

つまり……ヒール靴強要の件においても、傍観者的立場の者からすると、「フェミニストが言っていることはよく見えるが、フェミニストが言われていることはあまり見えていない」ということになっているのではないだろうか。

 

私は#Kutoo運動について、そこまで詳しく見ていたわけではないが、冒頭で言ったように、上野氏の発言以前、少なくとも、署名を集めたり厚生労働相に質問する動きがあった時から、この運動に対して「どうせハイヒールが嫌いなだけなんだろ」と言う人が沢山いた。

#Kutoo運動に関しては、きっかけを作った石川優実氏の職場を特定しようとする人たちまで現れたらしい。その影響で、石川氏は当時勤めていた葬儀会社を辞めてたそうだ。*1職場を特定しようとする動きまであったくらいだから、ネット上でのバッシングがいかに多かったかということは想像余りある。

ちなみに、石川氏は、葬儀会社に勤めていたことから、女性だけがヒール靴を履いて労働することに疑問を持つようになったらしいが、石川氏は、最初から「男性と同じ革靴ではダメなのか」と言っていたにも関わらず、彼女に対して「葬儀の席でスニーカー履く気かよ」などと言っていた人もいた。

 

こういうことは本当によくある。以前、私が「ダサピンク現象」という言葉を言った時も、「どうせピンクが嫌いな女が言ってるんだろう」と言う人が、それはそれは沢山いたものである。*2

ちなみに、女性がこういった問題に疑問の声を上げると「どうせブスorババアなんだろう」と言われるのは、少なくとも100年以上前の婦人参政権運動時代からよくある話だ。*3

 

ある意味で興味深いと思うのは、バッシングする人々が、職場の女性たちにヒール靴を強要するような立場に就いているわけでもなさそうな人が多いことだった。どうやら、この問題を、労働問題だけでなく女性差別問題でもあると言ったことが、彼らの怒りの原因になったらしいが、ヒール靴を強要されているのは実質女性だけであり、現代日本では、企業の「偉い人」はほぼ男性という社会なのだから、女性差別だと見るのは至極当然だと思う。

批判されたり改善を求められたりしているのは、そういった企業の「偉い人」や厚生労働相であって、それ以外の人は特に批判されているわけでもないのに、彼らが何をそこまで怒る必要があるのか、正直よくわからないのだが、ここで言うところの「冷たい怒り」なのかもしれない。

 

“ある種の心理的な状態を描写して、それをひとつの概念として確立したいと思います。とりあえず、私はそれを「冷たい怒り」と名づけました。

伝統的な慣習で惰性的に続いているものに関連して起こることなので、例として社員旅行を使います。

日本では、こういう伝統を守ろうとする人たちは、「社員旅行はよい」と主張しないで「社員旅行に文句をつける奴は悪い奴だ」と主張する傾向があります。権力のある人から、繰り返しそれを受け続けると、社員旅行の好き嫌いと関係なしに、「社員旅行に文句を言えないことに対する怒り」がたまってきます。この怒りはどこに向かうかと言うと、社員旅行が好きな人ではありません。「社員旅行に文句を言うな」と言った人でもありません。「社員旅行に文句を言う人」に向かって吐き出されます。これが「冷たい怒り」です。”

冷たい怒り - アンカテ

 

“まず、僕はホモソーシャルにおける弱者男性の一員である。サラリーマンとして男性社会を生きているが、男性社会とはすなわち弱肉強食の競争社会であり、オトコなら弱音は吐かず我慢してナンボ、泣いちゃダメ、出世しろ、という精神が今も根付いている。しかし、僕ははっきり言ってメンタルが弱いし、そこそこの収入で家族とのんびり暮らしたい、もっと寝たいetc...としか思っていない。「オトコ」の風上にも置けない奴だ。つまり、ジェンダーと自分の性格が乖離していることにより、大層ストレスが溜まる。

こういったストレスが引き金となり、「男性(僕)はジェンダーを受け入れて我慢しているのに、女性は愚痴ることができていいよな」、「女性も我慢しろよ」、という論理性の破綻した反発につながる。”

#ツイッターでウィメンズマーチ に反感を抱いてしまう弱者男性(の一人) - 男女問題に関するいろい論

 

さて、多くの人がこだわっていた上野千鶴子氏の発言はこれだろう。

 それに対して、石川氏はこう言っている。

おそらく、石川氏は、著名なフェミニストである上野氏がこう言うことで、「ほら見ろ!やっぱりフェミはハイヒールが嫌いなだけなんだろ!」と言いたがる人が沢山出てくることを懸念したのではないかと思う。

ちなみに、上野氏は自身の発言についてはこう言っているが。

mirror.asahi.com

 

漫画『王様の仕立て屋』の中の例のシーンにおける「フェミニストの中にはハイヒールを蛇蝎の如く嫌っている人がいる」というセリフが上野氏のことを指しているとしても、私は「取材・考証不足」だなと思う。

いじめにおいて、いじめられる側から見た視点を取材せず、ただ、いじめのあるクラスの傍観者という立場から見た風景だけを元に描いて、それが正確な描写になりえるものだろうか?

傍観者の立場にある者は、自分自身を中立かつ客観的な立場だと思い込んでいることが多いが、実際には、いじめがある集団の中で感覚が麻痺してしまっただけの者であったり、既に書いてきたように、いじめの実態が見えていない立場であったりするものだ。

 

自分はハイヒールやパンプスなど一生履く必要に迫られないと思っている人にとっては、どうやら「フェミニストの中にはハイヒールを蛇蝎の如く嫌っている人がいる」ということが一番の関心事になる傾向があるらしいが、職種によってはハイヒールを強要されかねない立場の人間にとっての一番の関心事は、「足が痛い」「健康を損ねる」「その職場を辞めざるをえない」ということである。

むしろ、女性がハイヒールを履くか履かないかという、多くの男性にとっては、接客する女性たちの見た目が多少変わる程度の影響でしかないことでさえ、「声を上げる女性を蛇蝎の如く嫌っている人がいる」のだなぁと思う。

 

そういう点においては、私はある意味、この問題においては、上野氏にも石原氏にも、あまり興味を持っていないのかもしれない。過去記事『女性参政権運動家:エメリン・パンクハーストの「過激さ」をどう評価するか』の中で、私はエメリン・パンクハーストの「過激さ」を、当時の社会がいかに女性たちの声を聞かなかったかということを映し出す「鏡」であり、注目すべきは当時の社会状況のほうであるという趣旨のことを書いたが、この件においても、私は、石川氏が言ったことよりは、石川氏が言われたことのほうに注目しており、石川氏のことを「鏡」として見ているところがあるのだろう。

 

なお、職場におけるヒール靴強要を問題視する声は、石川氏以前から言っている人は沢山いたということは書いておこうと思う。ある意味では、石川氏がたまたま「バズッた」から、2019年の流行語に「#Kutoo」が選ばれるくらいには注目されるようになったのだが、このヒール・パンプス問題は、2019年だけでなく、それ以前からずっとあった問題なのである。近年話題になった「保育園落ちた日本死ね!!!」の何十年も前から、ずっと保育所不足問題があったように。

 

また、この問題について「本当に強要なんてあるの?」と言っている男性の中には、どうにも「職場=オフィス」としか考えていないのではないかと思えるような人もいた。確かに、昨今のオフィスはカジュアル化が進んでいるが、飲食業、宿泊業、営業等の「接客」要素が高い職場においては、まだまだ「きちんとした格好」としてヒール靴が求められる傾向があるようである。*4ちなみに、女性の半数以上は非正規雇用である。

そもそも、「本当に強要なんてあるの?」と思うこと自体が、傍観者的立場の人からは実態が見えないという現象そのものなのだが。

 

私は、ヒール靴強要問題に関しては、もしかしたら、女性が男性と同様にヒール靴を履かなくても済むようにしていくよりも、男性にも女性と同等にヒール靴を強要したほうが、問題が解決されやすいのではないかと思う。

なぜなら、男性は論理的かつ合理的な生き物らしいので、それが明確な強要であれ暗黙の空気によるものであれ、ヒール靴を履くことが求められる立場になったら、夕方にはあまりの足の痛みと疲労に、上野千鶴子氏の発言とかもわりとどうでも良くなって、「こんな慣習、今すぐやめるべきだ!」と言うであろうから。そうすれば、職場でのヒール靴&パンプス強要は、すぐになくなるであろう。

他人の痛みは100年だって我慢できるが、自分の痛みは1秒だって我慢できないものだ。

 

しかしまぁ、#Kutoo運動がきっかけで、職場によってはヒール靴を見直すところも出てきているのだから、今後もこういう流れに傾いていくのではないかと思っている。過去、差別が是正されてきたのは、差別的な人たちが考えを変えたからというよりは、それ以外の人たちが社会の空気を変えて、差別的な人たちを置いてきたからという面が強い。だから、この問題についても、「声を上げる女性を蛇蝎の如く嫌っている人」たちを置いていくことになるのだろう。

#Kutoo運動に関しては、そう思っていることもあり、また、既に沢山言及している人がいるので、私はあえて今まで書いてこなかった。私がこの記事を書こうと思ったのは、漫画『王様の仕立て屋』の件があったからだ。ああいうものは作品として残ってしまう。過去に創られてきた、今から見れば差別的なシーンがある作品のように。そういったシーンは、美味しいチョコレートボンボンの中に混入した小石のようである。

 

おまけ。痛みと差別の関係といえば、こういう記事があった。歴史的に長らく白人は黒人の痛みに鈍感であったが、どうやらそれは今も続いているらしい。

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