宇野ゆうかの備忘録

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現代の大阪城天守閣は、城の形をした近代建築の博物館だった

安倍首相が、大阪で開催されたG20サミットにおいて、大阪城天守閣にエレベーターがついていることをネタにしたことで、世間ではバリアフリーの観点から批判の声が上がった。それについて、安倍首相自身が、自らの発言について説明したり、菅官房長官が擁護したりしている。

 

www.asahi.com

www3.nhk.or.jp

 

ただ、私としては、「天守閣は今から約90年前に16世紀のものが忠実に復元されました」という首相の発言が気になってしょうがない。なぜなら、現在の大阪城天守閣は、鉄筋コンクリート造りだからだ。もちろん16世紀に鉄筋コンクリートの建物なんてないわけで、「忠実な復元」であるはずがない。だいたい、大阪人自身が「ま、あれは鉄筋コンクリートなんやけどな(笑)」とネタにすることがあるくらいだ。

 

そこで、大阪城について、あらためて色々と調べてみた。

 

現在の大阪城天守閣は、1931年(昭和6年)の完成で、当時の大阪市長・関一(せき はじめ)の呼びかけによって、市民からの寄付金で造られたものだ。申し込みが殺到し、およそ半年で目標額の150万円に達したという。

この時代、大阪市は世界でも6番目に人口の多い都市であり、商工業都市大大阪(だいおおさか)」として栄えていた。これは、関東大震災の被災者の一部が大阪に移住したことの他に、関一が都市計画学者だったことも関係しているという。*1

 

大阪城天守閣は、その歴史上、16世紀末に建てられた豊臣時代のものと、17世紀以降の徳川時代のもの、そして現代のものがあり、現・大阪城天守閣は、徳川時代天守台石垣の上に立てられている。外観は、下から4層目までが徳川時代の白漆喰壁、最上階の5層目を豊臣時代の黒漆壁という、折衷デザインになっている。*2

鉄筋鉄骨コンクリート造りになったのは、当時の建築規制により、巨大な木造建築物が作れなかったからだという。*3

当時から5階まで行けるエレベーターはついていたが、平成の改修によって、身体障害者は最上階の8階まで行けるエレベーターを利用できるようになった。*4*5

 

大阪市のホームページに、現・大阪城天守閣を造る上での資料が載っていた。

“ 当時城郭建築の研究は進んでおらず、また豊臣氏大坂城天守に関する資料はほとんどなかった。古川は全国の桃山時代建築や城郭建築を調査、研究し、「大坂夏の陣図屏風」に描かれた天守をもとに全体の構成から細部意匠にいたるまで、中心となって設計をおこなった。”

大阪市:昭和六年大阪城天守閣復興に係わる設計原図等関係資料 一括(147点) (…>大阪市指定文化財>大阪市指定文化財(指定年度別))

この資料を見るに、当時は「16世紀の忠実な復元」はそもそも無理があったということが伺える。豊臣時代の天守台石垣と、豊臣氏大阪城本丸図(中井家本丸図)が発見されたのは、戦後になってからのことだ。*6*7

むしろ、この資料からは、大阪城天守閣の資料が少ない中で、なんとか復興させようとした当時の苦労が思われる。

 

また、調べるうちに、このようなサイトを発見した。

kakuyomu.jp

なんと、大阪城天守閣は、現存する日本最古の鉄筋鉄骨コンクリート造の建物だという。ちなみに、日本初の鉄筋コンクリート造の集合住宅は、「軍艦島」の愛称で有名な長崎県端島にある建物だそうだ。

 

こうして調べてみると、大阪城は、人々にかつての豊臣・徳川の時代を思い起こさせるものであり、昭和初期の大大阪時代を思わせるものであり、日本における近代建築の歴史を思わせるものであり、日本の城郭建築の研究の歩みを思わせるものであり、視点を変えていけば、色々な見方ができるものだと思えてきた。

 

さて、大阪城は、建物そのものばかりが注目されがちだが、実は内部の展示物がすごい。かつての大阪城と同時代の歴史資料や文化財が多数展示されており、その多くが実物なのだ。秀吉の黄金の茶室の復元もある。

大阪城天守閣の公式ホームページに載っている、2019年5月22日~7月17日開催の企画展示「サムライたちの躍動―大阪城天守閣名品セレクション―」の紹介文にも、こんな文面が載っている。

 

“ 大阪城天守閣は全額大阪市民の寄附金によって昭和6年(1931年)に復興され、現在まで、大阪や大阪城の歴史、戦国時代から安土桃山時代にかけての武家を中心とした日本の歴史や文化を発信するユニークなお城の博物館として歩んできました。

 約1万点にのぼる大阪城天守閣の収蔵品には、武士たちが身にまとい、使用した武器武具、有名な戦いを描いた合戦図屏風が多く含まれており、コレクションの大きな柱となっています。”

大阪城天守閣

 

私は、この「お城の博物館」という言葉が、現在の大阪城天守閣を言い表す言葉として、最適なのではないかと思う。大阪城天守閣は、大阪市が所有する公立の博物館という扱いになるのだろう。そもそも、内部に入ってしまえば、近代建築の博物館そのものなので、忠実な復元ではないことはわかる話だ。

大阪城天守閣は、各種障害者手帳、戦傷病者手帳、被爆者健康手帳の所持者は、本人と介助者1名まで利用料金を無料としている。公立の美術館や博物館は、基本的にそうなっているので、大阪城もそうなのだろう。

 

ちなみに、現・大阪城天守閣は、昭和初期のものだが、大阪城公園内には、石垣や門や櫓(やぐら)など、江戸時代からの建造物が数多く残っている。

また、天守閣の近くに建つロマネスク様式の西洋建築・ミライザ大阪城(旧第四師団司令部庁舎)は、天守閣と同時期に建てられたもので、現在は大阪城を眺める商業施設になっている。

 

さて、ここからは、私が勝手に思っていることなのだけれど、大阪という都市は、すぐ隣に京都奈良があるせいか、なんとなく「歴史都市」という印象が薄いような気がする。しかし、大阪は、古代から都の重要な海の玄関口であり、現代まで主要都市であり続けたわけで、大阪という都市ひとつの中に、古代から現代までの足跡が残っているのだ。

世界遺産に登録された、大仙陵古墳仁徳天皇陵)を含む百舌鳥・古市古墳群聖徳太子によって建立された四天王寺。かつて都や副都が置かれ、大化の改新の舞台となった難波宮跡。太閤秀吉が築いた大阪城茶の湯を大成した千利休。江戸時代は町人文化が花開き、井原西鶴近松門左衛門が活躍し、明治以降に近代化してからは、商工業都市大大阪」として栄えた。 

 

そんな大阪の歴史を紹介した「大阪歴史博物館」は、大阪城公園のすぐ南西の位置にある。大阪城天守閣大阪歴史博物館のチケットは、セットで購入するとお得になるそうだ。興味のある人は、行ってみるといいと思う。(勝手に宣伝)

www.osakacastle.net

www.mus-his.city.osaka.jp

 


模型で蘇る豊臣大坂城

 

大坂城 絵で見る日本の城づくり (講談社の創作絵本)

大坂城 絵で見る日本の城づくり (講談社の創作絵本)