東大生が上野千鶴子氏にインタビューした記事を読んで、色々考えたこと
上の記事を読みました。なんか、最初はインタビュアーという役割の人としてインタビューしようとしていた編集部の皆さんが、途中から自分自身の個人的な話になっていくのが面白かったです。「個人的なことは政治的である」って、こういうことなんですかね?
読んでるうちに、ちょこちょこ気になることがあったので、ブログに書いてみたくなりました。
「男というだけで、ずっと悪者なのか」
まず、もらいださんの発言から。
“自分は男ですが、ここまで聞いていて、男というだけで、ずっと悪者なのかっていうことが一瞬よぎりました。
僕は、男女差別的な構造の中で生きていて、社会的に構築された自分としては女性からみたら敵になる部分が多いなと思うんですけど、男女差別的な構造を自分が選んだわけではないので、自分に直接責任があるかと言われたらわからないなと思って。”
性差別の問題について、こういうふうに考えてしまう男性って多いよな、と思います。私は、これを、マリー・アントワネットの「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」発言で考えています。(※なお、これはあくまでも「ものの例え」であって、実際のマリー・アントワネットはそういう発言をしなかったとか、非常時にはパンの代用としてブリオッシュを食べるとか、歴史上の正確性については、ここでは議論の対象としません。)
マリー・アントワネットが、たまたま高貴な身分として生まれたこと自体には、罪はありません。生まれは選べないものですから。彼女の罪は、庶民がどれだけ苦しい立場に立たされているのかを、理解していなかったことです。理解していないから、「え……?パンがなければお菓子を食べればいいんじゃないの?」という、庶民を決定的に傷つける発言を、無自覚にしてしまいます。
この関係、マリー・アントワネットの視点からすれば、「パンを!パンを!」と求める庶民が、無知で感情的に見えるんだけれども、実際には、マリー・アントワネットのほうが、無知で鈍感なんですね。
そういえば、こんな話がありましたね。
“食費にお金を若者はかけられないというが、それは、言い訳。今日のお昼ご飯、鱧のおすましだったけど、家人に聞いたら、実質何百円だって。骨切りした鱧も旬だから安いし、他の材料も残りものだしって。やれば出来る。やらないだけ。(小池一夫)”
【追記あり】小池一夫氏「若者は食費にお金をかけられないというがそれは言い訳。やれば出来る。やらないだけ」 - Togetter
案の定、若い世代から、「働いて家に帰ったら、それを作る時間も体力も残っていない」という指摘がされていました。
男であるだけで、あるいは、先に生まれたということだけで、悪者っていうことはないんです。ただ、差別とか格差の存在を認識していないと、「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」って言っちゃうタイプの人間に、わりと簡単になってしまうということです。
「自分が幸せになりたいんだったら、女として生きていくということを、受容した方がいい」
“東大卒の父と専業主婦の母っていう絵に描いたような家庭で育ってきて。家族や親せきから「専業主婦になってほしい」とか、「女には女の役割がある」という言葉を聞いたこともあります。”
“母親とはそのことでよく喧嘩もするんですけど、母親もその、私のことを嫌いで言ってるわけじゃなくて。
個人単位で考えたら、傍観者で生きていった方が圧倒的に生きやすいじゃないかと言われていて。正しいことを正しいというと、自分が矢面に立って、めんどくさいやつだかわいくないやつだと言われて生きていくことになるから、それはあなたの人生にとって辛いことだろうと。
それよりも、社会がどうかの話の前に自分が幸せになりたいんだったら、女として生きていくということを、受容した方がいいとずっと言われてきて、ずっと葛藤していたんです。”
これは、親に洗脳されて進路を誘導されて、ひきこもりになった経験のある私は、色々と思うところがありました。
『子どもがひきこもりになりかけたら(著:上大岡トメ)』っていうコミックエッセイがあるんですけど、その中に、こういうことが描いてあるんですよね。
今のコドモたちは親が経験したことのないような新しい世界を生きています
変化に気がつかずに 親の価値観をコドモに押し付けて レールに乗せようとする
「とにかくこれに乗りなさい!(お父さんはこれで大丈夫だった)」
「えっ」「なんか古そう!」
「えーっ」「どこに行くの!?線路がなくなってるみたいだけど!!」
「「これで安心」」
「いえ とっても危険です」「でもこういう方は多いんです」
これ、ほんとそうだと思います。私は自分の経験上、「ひきこもり」と「非モテ」の問題に興味を持っているんですけど、進路にしろ恋愛にしろ結婚にしろ、親にとっての「いい子」になって、親世代の価値観に適応しすぎてしまった子供は、生きづらくなる傾向があると思います。
まぁそりゃそうですよね。若者が生きていくのは「今」、そして「未来」であって、30年前の「過去」じゃないんですから。これが親世代なら、周りがみんな自分と同じ30年前の価値観で、その中である意味守られていたりしますけど、若者はそうはいかないんです。
80年代以前の日本では、専業主婦世帯が多数を締めていましたが、90年代に逆転して、今は共働き世帯のほうが多数派なんですよね。
親世代って、人数が多いし、社会的に上の立場で発言力もあるから、まだまだ専業主婦世帯が日本のスタンダードみたいな空気が維持されてますけど、実際には、もう共働き世帯のほうが多い。全体の数字でさえそうなので、これが、結婚や子育て真っ盛りの30代に絞ると、共働き世帯の割合はもっと多くなると思います。
つまり、「正しいことを正しいという」とか「めんどくさいやつだかわいくないやつだと言われて生きていく」とか以前の話として、女だったら専業主婦になるのが当たり前という社会は、もう30年くらい前に終わっているんですね。
それから、私は過去、毒親である親が私にしたことをブロクで書いて吐き出していたんですが、当時、私のブログをよく読んで下さっていた人のことを思い出しました。その人は母親で、自分自身が親から傷つけられて育ってきて、おそらく娘さんにも同じことをしてしまっていたような、そんな人でした。
その人は、たしか、「傷つけられて育った私は、娘が目立つのが苦手だった。目立たなければ傷つくこともない。そう思っていた」みたいなことを書いていました。そして、娘さんの行動を制限し、そのことで、娘さんは不調になってしまったようなのでした。
親って、「自分が不安になりたくない」というエゴを、簡単に「子供のため」にすり替えてしまいがちな生き物ですからねぇ……
毒親のことをブログで吐き出すのと同時期に、私は、日本の景気が悪かったり少子化だったりするのを、若者のせいにして、若者バッシングをしている、いわゆる「老害」な年長者たちの姿を見て、「老害になる人とならない人の違いって、何なんだろうな……」と思っていました。
そして、「自分が若い時のままで時が止まっている人が、老害になる」という傾向があると気付きました。老害な人ほど「自分はまだまだ若い!」「若者には負けん!」って言ってたりするんですけど、それは、若い時のままで時が止まってるからなんですね。
自分が若い時のまま感覚を更新しないでいると、徐々に価値観が古くなって、気付いたら20年、30年も古い、なんてことになってしまいます。これはジェンダー観だけに限りませんよね。仕事や経営、虐待や体罰に対する認識とか、色々な分野においてそうです。
ということは、老害にならないためには、日々、感覚を更新していくことが必要ということになるでしょう。
親は高確率で自分より先に死にます。そして、いずれ自分も年を取って、自分より若い世代のほうが多い社会を生きることになります。若いうちは、自分より前の世代の価値観が大多数な世界だから、親世代の価値観に適応したほうが、幸せだし生きやすいんじゃないかと思ってしまいがちですが、長い目で見た時、その生き方は、本当に幸せなんでしょうか。
ただ自分の利益だけを考えて、感覚を更新しない生き方をしてきた人を、若者は尊敬しないと思うんですよね。
東大男子はモテるとかモテないとか
上野千鶴子氏が祝辞で「東大の男子学生はもてます」と言ったことについて、当時、「東大に入ってもモテない」と言ってる人を見ましたが、確かに、学歴が高くて高収入でも、モテない男性はいますよね。高い学歴というのは、十分条件ではなく、あくまでも、一定レベル以上の外見やコミュ能力といったものが備わっていた場合に、威力を発揮してくるものなのかもしれません。
ただ、外見や家事能力やコミュ能力や収入などのレベルが同じ男女がいたとして、「東大」という要素がモテ要素として働くのは、圧倒的に男性のほうでしょう。そういう意味では「東大男子はモテる」と言えると思います。
ところで、私はこれまで「非モテ」問題に興味を持ってきたと言いましたが、たまに「頑張って勉強していい大学に入ったのに、女の子にモテない!」と言ってる人を見かけます。私は、これは「数学頑張ってるのにバスケ上手くならない!」って言ってるみたいなものだなと思います。学歴で手に入るのは、知識とか研究ノウハウとか就職における有利要素とか、そういうのであって、付き合う相手じゃないんですけどね。
こういうこと言う人って、決まって男性なんですよね。女性の場合は、外見や家事能力やコミュ力を問われるのが当たり前なので、学歴だけではモテないということを知っているからでしょう。
私は、これも、親世代の価値観に過剰適応してしまった例なんじゃないかと思います。「真面目に勉強して仕事を頑張っていれば、自動的に女の子をあてがってもらえる」というのは、お見合い時代の価値観ですね。でも、お見合いが主流だった時代って、何十年前なんでしょう?
親や上司や親戚の人が、お見合い相手を探してきてくれるという環境でないのならば、真面目に勉強して仕事頑張ってるだけじゃ、付き合う相手をゲットできたりはしません。自由恋愛って、自分で営業活動する必要があるってことですから。いくらいい商品だけがそこにあっても、宣伝しなかったら売れないですもん。
「東大に行くための努力ができる環境」について
過去記事『貧乏人の私がおしゃれになるためにしたこと』でも書いたエピソードですが、私の母はブラジャーを買ってくれない人だったので、私は、ワコールやトリンプで売ってる4000円前後のブラジャーを、なんとなく「贅沢」だと思って、ずっとユニクロのブラジャーを「ちゃんとしたブラジャー」だと認識していました。他のブラジャーも色々試した上でユニクロのブラジャーに落ち着くんじゃないくて、下着専門メーカーで売ってるブラジャーを自分が買うということを思いつかなかったんです。よくよく考えたら、4000円前後のブラジャーなんて、普通なんですけどね。
虐待を受けて育った人には、これに似た話がよくあります。例えば、医療ネグレクト*1を受けて育った人は、大人になっても、医療機関にかかる習慣が身についてなかったりします。「自分は、病院に行ってもいいんだ」と思えない、あるいは、そもそも病院に行くという発想自体がないのです。
私も医療ネグレクトを受けていた期間がありましたが、医療機関で自分のケアの仕方を教えてもらって、かつ、「医療機関にかかれるんだ」と思えるようになったことで、やっと自分で自分をケアできるようになったのです。ほったらかされていた人は、自分をほったらかしてしまうのです。
「東大に行くための努力ができる環境がない」っていうのは、このブラジャーや医療ネグレクトの話に似ていると思います。最初から、東大に行くという発想自体がないのです。
子どもがひきこもりになりかけたら マンガでわかる 今からでも遅くない 親としてできること (メディアファクトリーのコミックエッセイ)
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*1:必要な治療を受けさせない虐待のこと