宇野ゆうかの備忘録

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西武・そごうの、女性差別をテーマにした広告から読み取れるもの


【西武・そごう】わたしは、私。オリジナルムービー

www.sogo-seibu.jp 

西武・そごうの、女性差別をテーマにした広告に、Twitter上で疑問の声が上がっている。

まぁ、広告が表現したかったことはわからないでもない。挑戦だったのだろうとは思う。けれど、パイを投げた人たちの存在が透明化されているところや、女性が怒ってないところが、大手メディアで女性差別をテーマにした表現をする上での、現時点での限界なのかなと思った。

 

この広告ムービーにおけるパイは、女だからといって強要されること、無視されること、減点されること、女性が受けるセクハラや性暴力といったものの比喩なのだろう。しかし、女性にパイを投げる人たち(まぁ、大半は男性だろう)は、最初から最後まで登場しない。パイは最初から、何もない空間を漂っている。

投げつけられた後も、彼女の顔についたクリームを拭ってケアする他者が現れるわけではない。女性は、自分でクリームを拭い、他人に助けを求めるわけでもなく、投げつけた人に対して怒るわけでもない。結局、一人で耐えて対処して、怒らないというのは、よくある、加害者側にとっての「理想的な被害者像」に近いものだ。

 

差別は、差別される側ではなく差別する側に問題があるのに、差別される側ばかりに焦点が当てられ、差別される側がどう対処するか、どう生きるか、どう考えるかといったことばかりが語られるわりには、差別する側には焦点が当てられず、どう振舞うか、どう考えるかなどといったことも語られず、透明化されるというのは、差別問題あるあるなので、差別を扱った表現をするならば、当然そこに対して突っ込みは入ってくるだろう。

 

往々にして、差別する側は、自分を「観客」の位置に置きたがる。差別される側が自分たちで頑張って対処している分には、「差別は良くないよね」「差別を乗り越えて頑張って!」などと言っていても、差別する側に対して怒りや抗議の声を向けてきたり、「いや、これはあんたらの問題だろ」と言われたりすると、不快感をあらわにすることが多い。

つまり、この広告は、西武・そごうの偉い男性や、この広告を見るであろう男性たちを「ご不快」にさせない範囲での女性差別の表現に留まっており、そこが、日本における2019年1月時点での、大手メディアでの女性差別をテーマにした広告の限界を表しているように思えるのだ。

 

www.ted.com

“ 「ジェンダー・バイオレンス」は、総じてこう捉えられてきた。「善き男性が助けるべき女性の問題」。でも、私は正しいと思えない。受け入れられない。「善き男性が助けるべき女性の問題」ではない。何よりもまず問題があるのは、男性の方なのです。”

 

 

あと、キャッチコピーの「女であることの生きづらさが報道され、そのたびに、『女の時代』は遠ざかる」というのも、ちょっと意味がよくわからない。

例えば、いじめが蔓延しているにもかかわらず、「いじめ0」などと言っている学校と、いじめが蔓延していることが明るみになってきた学校とでは、どちらが良いだろうか?報道すらされない時代のほうが、女はより生きづらい。むしろ現時点では報道が足りない。もっと報道されるべき。

 

なんか、最初にこれを作ろうとした人は、女性差別をテーマに挑戦的なものをやりたかったのかもしれないけど、結局、会社のおじさんたちのご機嫌を損ねないようなものしか作れなくなって、よくわからないものができあがってしまったのかな、という感じ。

動画の最後に、安藤サクラと同じようにパイを投げつけられた女性たちが、一人、また一人と集まってきて、女性たちが一斉にパイを投げ返すという終わり方だったら、まだ少しはワクワクできたかもしれないけれど。

 

2004年、ペプシコーラのCM『We Will Rock You 』。女同士で戦うのをやめ、観客に揺さぶりをかける女性たちと、最後に観客席から落ちる「偉い男」。


Pepsi Commercial HD - We Will Rock You (feat. Britney Spears, Beyonce, Pink & Enrique Iglesias)

 

[2019.1.4. 追記]

西武・そごうは、2017年版に樹木希林を起用したCMを作っているが、同じ「わたしは、私」でも、こちらはとても好評だった。


【西武・そごう】わたしは、私。樹木希林さんスペシャルムービー

 

2017年版では、「年相応にとか、いい年をしてとか、つまらない言葉が、あなたを縛ろうとする。」と、年配女性に対する抑圧をテーマにしている。こういった抑圧をしてくる人たちは、その女性と同年代かそれ以下の人たちということになるだろう。そして、男女でそれほど差はないだろう。また、樹木希林のような年配の大物女優だと、会社の偉い男性たちにとっても、敬意を払う対象になるのではないだろうか。

一方で、2019年版でテーマになっている抑圧は、大半が男性から女性へ、年上から年下へ、立場が上の者から下の者への抑圧だ。演じている安藤サクラも、会社の偉い男性たちからすれば、目下の女性ということになるのだろう。

 

2017年版では、ちゃんと筋の通った良いものができていたのに、2019年版はとっちらかってしまっているのは、要するに、リスペクトの差なのではないだろうか。

抑圧する側に圧倒的に男性が多く、目上から目下になると、丁寧さや敬意が目減りし、捉え方が雑になるという社会の縮図が、この2つのCMの違いに現れていると思う。

 

炎上しない企業情報発信 ジェンダーはビジネスの新教養である

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