宇野ゆうかの備忘録

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防弾少年団(BTS)と音楽性~秋元康はヒップホップの詞を書けるか

前書き

韓国の防弾少年団(BTS)のファンが、秋元康を退けた件について』『防弾少年団(BTS)の政治性~政治と音楽は関係あるか』と、2回に渡って、韓国のピップホップ・アイドルグループ、防弾少年団BTS)のことを書いてきたが、今回は、記事に寄せられたブックマークコメントに返信するという形で、私がなぜ秋元康防弾少年団は合わないと考えているのかを、書いていきたいと思う。

前回記事で書いたように、「政治と音楽は関係ないじゃん!」「なんで韓国のArmy(防弾少年団のファンのことをこう呼ぶ)は、日本向けの曲を消すの!」「どんな曲でもファンなら受け入れて喜ぶもの」と言う日本のファンも多かったが、私と同じように「このコラボは相性が悪い」と考えているファンも、沢山いたからだ。

なお、この記事を書いている人間は、音楽に関してはド素人で、しかも、普段からヒップホップに興味を持っているわけではない。ただ、そんな私にとって理解できる範囲のことを書いておくことにも、多少は意味があるのではないかと思った。一応、音楽家の知人*1に質問した上で書いているので、内容的にはだいたいあってると思う。

 

ブックマークコメントへの返信・その1

id:itochan 音楽のことはよくわからん。「最高にロックだぜ!」みたいに、「最高にヒップホップだぜ!」な生き方のスタイルがあると読んだ。そこが秋元さんとは相容れないと。

私も音楽のことはよくわからん。でも、防弾少年団のヒップホップスタイルと、秋元康とは、そういう「最高にヒップホップだぜ!」な気持ちの問題ではなく、もっと技術的な問題があるように思います。

冒頭で書いたように、私は音楽に関しては素人なので、あくまでも、私にわかる範囲でしか書けませんが、日本人の場合、ある世代を境に、身についているリズム感覚が違ってくるんです。その境というのは、日本のメジャー音楽シーンにラップやヒップホップ、R&Bなどが入ってきて、日常的にそれらの曲を聴いて育った世代と、それ以前の世代です。

 

よく言われるのは、日本人の年長者世代は、裏拍でリズムが取れないということです。音楽のリズムの取り方として、「表拍」と「裏拍」の違いがあるのですが、日本人のリズム感は、基本的に表拍であり、対して、ジャズやR&B、ヒップホップなどは、裏拍でリズムを取るジャンルなんですね。

表拍と裏拍の違いについて、素人にとって一番わかりやすいのは、映画『スウィングガールズ』を観ることでしょう。この映画は、女子高生がジャズに挑戦するという内容で、裏拍の習得が物語の上で重要になっています。

クライマックスの演奏会シーンでは、3曲目の『Sing Sing Sing』で、最初は観客のほとんどが表拍で手拍子を取るところ、応援に来た1人が立ち上がって裏拍で手拍子を取り、それが観客全体に広がっていく演出があります。(※動画4:50以降)


Swing Girls (スウィングガールズ)

 

それから、「グルーヴ」と言って、リズムをずらすことによって、曲に独特のゆらぎやうねりが生じるんですが、これも黒人由来の音楽であるジャズやR&B、ヒップホップなどの世界に多いです。

この「グルーヴ」の感覚も、身についている世代といない世代に分かれます。音楽に詳しい人たちがよく言ってるのは、宇多田ヒカルの登場ですね。宇多田ヒカルのデビュー曲『Automatic』は、それまでの日本の音楽界にはなかった、本格的なR&Bのグルーヴ感を日本語の歌詞で再現していたそうです。小室哲哉は、後に、宇多田ヒカルが自分を終わらせたと語っています。

 

また、ラップやヒップホップには「韻を踏む」という文化があります。私は韓国語はわからないのですが、防弾少年団の曲を聴いていると、主にラップ部分で韻を踏んでいる箇所があるのがわかります。これは日本語ラッパーやヒップホッパーも同様です。

きれいに韻を踏んだ歌詞を書くのは、やはり、普段から作り慣れている人でないと、難しいと思います。(まぁ、ラップなしのバラード曲であれば、韻を踏まなくてもいいかもしれませんが…)

 

で、問題は、秋元康にそういったヒップホップのリズム感やグルーヴ感があるのか、そして、それに合った歌詞を書けるのかということなのですが、ここに関しては、秋元康は、日本の多くの60歳前後の人がそうであるように、2000年代以降のリズム感を身につけてはいないと思われます。

今回の件では、秋元が作詞した「名曲」を挙げている人を沢山見かけましたが、それらはほぼ80年代に集中していました。もしかしたら、その理由もこの辺りにあるのかもしれません。

秋元も、一応『Green Flash』『ブランコ』など、ヒップホップっぽい曲を手がけてはいるのですが…


【MV full】 Green Flash / AKB48[公式]

 本職のラッパーやピップホッパーが作った曲を聞くと、やはり、物足りなさを感じますね…


清水翔太 『Good Life』Music Video


ちゃんみな - Doctor

 

前回の記事でも書きましたが、防弾少年団は、デビュー前からバリバリ自分でラップやヒップホップをやっていたメンバーがいるグループです。そして、今現在、日本よりずっとヒップホップに対する鑑賞力が高いアメリカで、人気を獲得しています。そういうグループに、ヒップホップ専門外である秋元をぶつけてしまっていいのか?と思ってしまうのですね。

もし秋元がやってしまったら、普段から日本語ラップや日本語ヒップホップの鑑賞力がある人が聴いたら「び、微妙…」というものになってしまうんじゃないかという不安がありますね…

 

防弾少年団のメンバーは、未発表になった秋元康とのコラボ曲について、「本当にかっこいい仕上がりになっていますので、ご期待ください」と言っていたそうです。彼らがそう言うのだから、かっこいい仕上がりになっていたのでしょう…曲は。

歌詞はかっこよかったかどうか、今となってはわかりません。なぜなら、防弾少年団のメンバーは、日本語の歌詞の良し悪しについては、わからなかったでしょうから。

 

ブックマークコメントへの返信・その2

id:dmekaricomposite 基本的に好きな作詞家ではないけど、秋元康は風景描写は巧みですばらしい時もあります。「二人セゾン」「海雪」「青いスタスィオン」など。あの人のよさは基本的にカレッジフォーク的なところにある。

 『二人セゾン』と『青いスタスィオン』のことは知らなかったのですが、『海雪』に関しては、正直、私はいい曲だとは思っていません。私があの曲を初めて聞いた時に思ったことは、「男を追いかけて行って海に飛び降りようとする女なんて、50歳以上のおっさんの脳内にしか存在しないな」でした。

あれを年配の歌手が歌うのならわかるのですが、若いジェロが歌うには、不釣り合いだと思ったのです。男にふられて飛び降りようとする女の歌なら、美輪明宏の『人生は過ぎ行く』のほうが、ずっとリアルに感じられます。

 

おそらく、ジェロを押し出していた当時、演歌界は「若者の演歌離れ」を懸念していて、なんとかジェロで若者を引き寄せようという思惑があったんじゃないでしょうか。でも、いくら表面を若者っぽく見せようとしたところで、肝心の歌の中身が若者にとって共感しにくいのでは、どうしようもありません。

デビュー曲があの歌だった時点で、ジェロはおそらく、単に「初の黒人演歌歌手」という触れ込みが珍しいというだけの、イロモノとして消費されてしまうだろうと思いました。つまり、そこも、私が秋元康を不安材料だと思っている理由のひとつなのです。

 

ただ、その点を除けば、仰る通り、風景描写は良いし、『Green Flash』とは違って、曲のリズムも歌詞とよく合っていると思います。年配の歌手が歌っていたら、普通に良かったのではないでしょうか。でも、昨今、なかなか演歌は売れませんからね…『海雪』が売れたのも、「初の黒人演歌歌手」あってこそだと考えたほうが良いでしょう。

ちなみに、若者が共感しやすい演歌という点では、私は、最上川司の『まつぽいよ』とか面白いと思います。


最上川 司 (Mogamigawa Tsukasa) - まつぽいよ (Matsupoiyo)

 

後書き

さて、前回の記事にも書いたように、防弾少年団秋元康とのコラボが中止になった時、「どんな曲でもファンなら受け入れて喜ぶもの」と言っているファンがいて、私はこの記事を思い出した。

“このような日本のポップミュージックシーンの特性は、アーティストやレコード会社側の問題というより、日本の市場特性に起因している。実のところ、ポップミュージックを消費する日本の音楽市場におけるマジョリティーは音楽性に興味がない。正確にいえば、非常に少数派である。多くの人の興味の対象は音楽性より歌詞である。しかしそれ以上に、どんなルックスか、どんなファッションか、テレビ番組やソーシャルメディアでどんな発言をするか、誰と仲がいいか、誰と付き合っているか、といったタレント性に関心が向かう。”

テイラー・スウィフトはなぜ成功したのか?[マーケティング徹底解説] - デスモスチルスの白昼夢

前回記事『防弾少年団(BTS)の政治性~政治と音楽は関係あるか』の中で、「政治と音楽は関係ないじゃん!」というのは、あくまでも日本の感覚だと書いたが、「どんな曲でもファンなら受け入れて喜ぶもの」というのも、あくまでも日本の感覚なのだろう。

 

そして、この引用部分はまさに、今現在、秋元が一大プロデューサーになっている理由を表していると思う。 彼は元々が放送作家で、企画を考える人だったから、音楽性よりも、アイドルのタレント性を前面に押し出す売り出し方と、いわゆる「AKB商法」等の企画方面の才能で、成功を収めることができたのだろう。ある意味、日本の音楽シーンで売るには最適な方法かもしれない。

しかし、逆に言えば、これらの手法は、世界的に通用するものではないだろうし、これまで防弾少年団とコラボしたスティーヴ・アオキやニッキー・ミナージュとの違いでもある。アオキやニッキーは、音楽でキャリアを築いてきたアーティストなのに対して、秋元はそうではない。

 

今回のコラボの件は、防弾少年団の事務所代表パン・シヒョク氏からのオファーだったそうで、メンバーの希望というよりは、プロデューサーのおじさん同士で話が進んだ企画という印象を受けた。

これは、防弾少年団のコンセプトを知るにつけ、「らしくない」と思ってしまう。彼らは、若者自身の音楽と価値観を大事にし、他のアイドルと違って、大人に管理されず、自主性を重んじることを方針にしているからだ。実際、多くのファンも、その点で違和感を感じていたようだ。

 

まぁ私自身はファンではないので、日本のファンの人たちが「どんな曲でもファンなら受け入れて喜ぶもの」と思っているのなら、それはそれで、口を挟むことではないのかもしれない。

ただ、日本では、防弾少年団のことを知らない人のほうが多い。そういう人たちにとっては、日本のアーティストとコラボして話題になった曲が、イコール防弾少年団の曲のイメージになってしまうだろう。

どうせなら、他人から「どんな音楽が好き?」と聞かれて、防弾少年団が好きだと言った時、「防弾少年団?ああ、あのかっこいい曲を歌ってるグループね」と言われたほうが、ファンにとっても嬉しいことなのではないだろうか。

 

冒頭で書いたように、私自身はヒップホップには詳しくない。なので、ヒップホップに詳しくて、説明が上手い方がいたら、ぜひ各方面で言及して頂きたい。あるいは、政治的・音楽的に、防弾少年団とコラボして良さそうな日本のアーティストについて(勝手に)考えてみるのも、面白いかもしれない。

 

防弾少年団とスティーヴ・アオキのコラボ曲『Waste It On Me』


Steve Aoki - Waste It On Me feat. BTS (Lyric Video) [Ultra Music]