宇野ゆうかの備忘録

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「ブランド期」から「ユニクロ期」へ~おしゃれが“非日常”から“日常”になった時代

前回記事『「ユニクロでよくない?」の理由~おしゃれの基準が“服”ではなく“技”になった時代 』では、ユニクロがダサくなくなった理由と、ファッションにおける人々の関心が、バブル期と現代とでどのように変化しているかについて、私なりに思っていることを書いたが、あれからまだ思うところがあったので、後編的に書いてみようと思う。

 

president.jp

 上の記事は、米澤泉氏の新書『おしゃれ嫌い 私たちがユニクロを選ぶ本当の理由』に沿ったものらしい。

 

私は、米澤氏の言う「ユニクロは『ていねいなくらし』を売っている」というのが、どうも腑に落ちなかった。なぜなら、特段「ていねいなくらし」を実践していない人だって、ユニクロを利用しているからだ。部屋が片付いている人も散らかっている人も、朝から味噌汁を作る人も食べずに出掛ける人も、ユニクロで服を買う。だからこそ、ユニクロはここまで広まっているんじゃないだろうか。

「ていねいなくらし」志向の人は、どちらかというと無印良品に行くんじゃないかな。実際に「ユニクロ ていねいなくらし」「無印良品 ていねいなくらし」でGoogle検索してみたところ、前者は約1,100,000件、後者は約4,250,000件という結果が出た。多くの人は、ユニクロよりも無印良品のほうに、「ていねいなくらし」のイメージを抱いているようだ。

 

ただ、確かに、ユニクロ「日常」を売っているとは思う。通勤し、休日を過ごし、家でリラックスし、子育てし、ジョギングやヨガをする、そういう日常のための服。多くの「ブランドもの」の服は、そういう「日常」のためのものではない。

例えば、スーパーマーケットで買い物したり、子供の遊びに付き合ったりといった「日常」を過ごしている時と、「よそ行き」の時に人々が着ている服装の落差が、バブル期と現代とでどう変化したかという視点で考えてみると、面白いかもしれない。

 

そう考えると、前回の記事でも言ったように、「今の時代は、『服』そのものよりも、おしゃれの『ノウハウ』が求められている」ということの他に、「おしゃれが、『非日常』から、等身大の『日常』になってきた」という変化もあるのかもしれない。日常だって、ちょっとはデザインのいいものを着たい。日常着る服だから、汚れても洗えて、値段も高くないのがいい。ユニクロには、そういう需要があるのだと思う。

そういえば、最近はファッション分野で「ワンマイルウェア」という言葉をよく聞く。いわゆる「ご近所着」のことだ。おしゃれに関心がある層は、「ちょっとそこまで」の距離でも、ちょっとはおしゃれなものを着たいのである。

 

米澤氏は、ユニクロが広く受け入れられるようになった理由を、「みんな、おしゃれよりも『くらし』が好き」と分析しているが、私の考えとしては、「みんな、『くらし』の場面でも、それなりにおしゃれがしたい」からだと思う。

そう考えると、バブル期のおしゃれとは、「特定の場面で、めちゃくちゃ気合を入れる」ものだったのに対して、現代のおしゃれとは、「あらゆる場面で、それなりにまんべんなく」という傾向があるのかもしれない。

 

ちなみに、ユニクロ無印良品の違いは、無印良品は、最初から日本の一流デザイナーやクリエイティブディレクターたちが関わって、コンセプトを明確にして立ち上げたブランドであるのに対して、ユニクロは、地方の中小企業から出発して、徐々にデザインやブランディングを意識するようになり、コンセプトも後から固まってきた、いわば一代記的なブランドということだろう。

無印良品が「人々にくらしを提案するブランド」であるのに対して、ユニクロは「人々のくらしに合わせるブランド」なのではないかと思う。

 

www.kurase.com

私が若かりし頃は、まさにDCブランド全盛期でした。同時に、高価であったり、手に入りにくい服であったり、ブランドであったりすることが、最高のステータスという時代。

まさに「服(だけ)が主役」の時代です。一方で、服と暮らしは全く離れているものでした。 

バブル時代前後は、高価な服や、手に入れにくいブランド品を着てさえいれば、家の中や「普段何を食べてどんな運動をして、家の中がどんな風な状態か」は無視することが出来ていた感があります。着ている物と持ち物が全てであった時代だからです。

 

この記事を読んで、「おしゃれ」と「くらし」について、昔読んだ光野桃氏のエッセイ『私のスタイルを探して』に書いてあったことを思い出したので、再び読み返してみた。

女性ファッション誌「25ans(ヴァンサンカン)」の創刊スタッフであり、まさにバブル時代のファッションのただ中にいた光野氏は、夫の転勤により退社してミラノに転居する。その本の中で、光野氏がミラノでインテリアのルポタージュをしていた頃の話に、こういうエピソードがあった。

 

私が興味を惹かれたのは、取材に出かけた家のインテリアそのものよりも、むしろそこに済んでいる「人」であった。

女性誌のための仕事であったから、ほとんどの住人は女性である。私は彼女たちの着ている服とインテリアの雰囲気が見事に合っていることに、まず驚かされたのである。

どの家を訪ねても、そのインテリアは「ああ、なるほど彼女らしい」と思えるものばかりだった。インテリアと着ている服との趣味やクオリティがバラバラだったり、不協和音を感じさせるような人は一人もいなかった。

次第に、私の中に一つの答えがはっきりと形を取り始めてきた。

ファッションとは、外見を飾るだけのものではないのかもしれない。もしかしてファッションは、その人そのもの――?

 

『私のスタイルを探して』の中で、光野桃氏は、ニュートラ、DCブランド、長い髪を巻いて肩パッドスーツを着たコンサバスタイルなど、その時その時の流行を経験したが、いつも「何かがおかしい」「なにか違う」と思っていたという。

その後、夫の転勤でミラノに転居してから、ミラノの人々の堂々とした振る舞いに圧倒され、ミラネーゼと同じような服を着てみるも、全く似合わず、「おしゃれのどん底」に陥ったことがきっかけで、服で自分がどういう人間かを表現することを思い立ち、自己分析して自分のスタイルを確立する。それは、本質的な「自己表現」だと、私には思えた。

 

面白いのは、ファッションスタイルを確立した後の光野氏は、クローゼットの中身が一定量に保たれるようになったことだ。

また、光野氏が若かりし頃、職場に出入りしていた人の中に、群を抜いて美しく魅力的なスタイリストの女性がいたそうだが、その人も「数はそう多くないみたいだけれど、持っている服はすべて完璧にセンスがいい」だったそうだ。

おしゃれな人というのは、昔からそういう傾向があるのかもしれない。

 

ネット以前は、何かが流行れば、みんながそれを身に着けていた時代だったと思う。特に若者は、流行のものさえ身に着ければ、それでおしゃれと見なされていたようなところがあったのではないだろうか。

ネットの普及によって好みが多様化し、「個」の時代になってきたと言われる。パーソナルカラーや骨格診断の人気は、「個」に注目が向かうようになった時代の影響もあるのかもしれない。自分の体型、自分の血色や目や髪の色を基準にして、服や髪型、化粧を決める。そうすると、流行りものでも、自分に似合うかどうかを考えてから買うようになる。

 

とすると、この先の日本のファッションは、もっと「個」に焦点を当てる方向に向かうのかもしれない。平たく言うと、より「自分らしいかどうか」という方向に向かうのだと思う。

空気を読み、主張したり個性を表現するのが苦手な日本人が、光野氏が体験したような自己表現をするようになるのは、かなり先のことになるだろう。でも、もしそうなったら、バブル期に服そのものだけで自己表現していたのとは、全く別の形のものになっていて、おしゃれは、「競い合う」ものではなく「認め合う」ものになっているのかもしれない。

 

ファッションとは、自分を表現したいという情熱の発露なのだった。自分がほかのだれでもない、自分であることから出発して、それを慈しみながら磨き上げること。だからこそ、共感を呼び、人を魅了するのである、と。

 ――『私のスタイルを探して(著:光野桃)』

 

余談だけれど、女性に人気なのが、パーソナルカラーや骨格診断で、男性に人気なのが、メンズファッション初心者向け指南本であるというのが、面白いなと思う。男性が超初心者向けなのに対して、女性は、ある程度見た目に気を使っている人が、もう一段レベルを上げるためのものというか。

 

あと、ファッションはベーシックなものが人気になり、人々の関心が「くらし」に向いてきた理由は、単純に少子化で若者の数が少なくなってるからというのもあるかもしれない。若いうちは「大学デビュー」でファッションが気になるし、流行も追うけれど、年を重ねるにつれ、1年で流行が過ぎ去る若者向けのトレンドアイテムよりも、ベーシックな服のほうが良いと思うようになってくるし(もちろん、ベーシックな服にもシルエットの流行があるけれど)、親元から離れて一人暮らししたり、結婚して家庭運営する立場になったりすると、「くらし」に意識が向いてくるしね。

 

これは私事なのだけれど、プロにファッションアドバイスを受けるなどして、ある程度自分で納得のいく格好ができるようになったら、今度は「そういえば私、自分の部屋を好きなようにしたことがない」と気付いて、インテリアに対する欲求が出てきた。別におしゃれに興味がなくなったわけではなく、相変わらず好きだけれど、服装で満足したら、今度は「くらし」に意識が向くようになった。

相変わらず貧乏人だった私は、リサイクルショップで買ってきたアンティーク調のフォトフレームを、100均の塗装剤で色付けするなどして、自分好みのものを増やしていった。今の時代の「くらし」に関することなら、セリアとダイソーDIYする層がアツいと思う。

 

sirabee.com

以前見かけて、ちょっと面白いなと思った記事。ここでは、ファッションの上達過程を「ちょっと変わったものが気になる期」→「キテレツ期」→「ブランド期(トレンド期)」→「ユニクロ期」→「ミニマル期」という具合に説明している。

これは、個人のおしゃれ進化過程について書かれたものだけれど、日本におけるファッションの流れもまた、バブル時代の「ブランド期(トレンド期)」を経て、現代の「ユニクロ期」になっているところが面白い。

 

 

私のスタイルを探して

私のスタイルを探して

 

「ユニクロでよくない?」の理由~おしゃれの基準が“服”ではなく“技”になった時代

president.jp

 上の記事の内容を読んで、以下のブコメを書いたところ、

id:yuhka-uno これについては、『ほぼユニクロで男のオシャレはうまくいく(著:MB)』と『ユニクロ9割で超速おしゃれ(著:大山旬)』、骨格診断とパーソナルカラーの人気に触れていなければならないと思う。

 本当にMB氏と対談していたので、ちょっと面白かった。

gendai.ismedia.jp

gendai.ismedia.jp

 

ユニクロが「ダサくなくなった」のはいつからか?ということについて、ちょうど手元に『「売る」から「売れる」へ。水野学のブランディングデザイン講義 (著:水野学)』という本があり、その中でユニクロブランディングについて触れられている箇所があるので、引用してみようと思う。

 

この本の中で、水野氏は、ブランド力がある企業の3条件として、

ひとつは、「トップのクリエイティブ感覚が優れている」こと。

もうひとつは、「経営者の“右脳”としてクリエイティブディレクターを招き、経営判断をおこなっている」こと。

そして最後は、「経営の直下に“クリエイティブ特区”があること」です。

と書いており、そのうちの2つめ、「経営者の“右脳”としてクリエイティブディレクターを招き、経営判断をおこなっている」企業の代表例として、ユニクロを挙げている。

2014年10月のことですが、「ユニクロ」を傘下にもつファーストリテイリングが、新しく設置した「グローバルクリエイティブ統括」のポジションに、ジョン・C・ジェイ氏を起用すると報じられました。

 水野氏はジェイ氏のことを「存命するクリエイティブディレクターのなかではナンバーワンだと思っている」と書いている。

 

この本の内容と、2014年10月に書かれたファーストリテイリングのプレスニュース*1によると、1999年、ユニクロが都心に進出した時期に、大量のフリースが生産されていく様子をただ静かに映したCMを手がけたのは、ジェイ氏らしい。おそらく、あの辺りが、それまで山口県を拠点にして、おばちゃんがレジ前で服を脱いで商品を返品するCMを流していたユニクロの、転換期だったのだろう。

その後、契約が終了したジェイ氏は、ユニクロから離れるが、2014年に再びファーストリテイリングと組むことになった、ということのようである。

 

下の柳井社長のインタビュー記事にも、ジェイ氏の存在に大きな影響を受けたこと、また、『ユニクロが私たちの中で「ダサくなくなった」のはいつからか(米澤 泉,MB) | 現代ビジネス 』の記事のブコメでも言及している人が複数いた、ユニクロロゴマークを変えた佐藤可士和氏のことなどが語られている。

forbesjapan.com

 

元記事の「ユニクロが私たちの中で『ダサくなくなった』のはいつからか」の中では、米澤氏もMB氏も、2014~2015年くらいと認識している様子だ。おそらく、2014年あたりからユニクロのブランドとしての強化があり、ちょうどそこにノームコアの潮流がきたことと、オフィス着のカジュアル化が進んだこともあって、一気に「ユニクロでよくない?」となった、ということなのかもしれない。

 

 さて、本題はここからである。一番最初に紹介した記事は、著者の米澤泉氏の新書『おしゃれ嫌い 私たちがユニクロを選ぶ本当の理由』に沿った内容らしいが、元記事にはこんなことが書かれている。

“そのようななかで、80年代や90年代には考えられなかった服を買わないという選択も推奨されるようになった。なるべく少ない服を着回すことが求められ、「毎日同じ服を着るのがおしゃれな時代」とまで言われるようになった。そんな時代だからこそ、ユニクロの「ライフウェア」がいっそう支持される。

ベーシックで、シンプルで、組み合わせやすい服装の部品。仕事にも「ユニクロ通勤」すればいいし、毎日のコーディネートもユニクロを中心に着回せばいい。よく考えてみれば、みんな、もともとおしゃれがそんなに好きではなかったのかもしれない。でも、今までは毎日とっかえひっかえ着替えなければならないと思わされていたのだ。おしゃれをしなければならないと思わされていたのである。”

ユニクロが私たちの中で「ダサくなくなった」のはいつからか(米澤 泉,MB) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)

 著者は、「みんな、もともとおしゃれがそんなに好きではなかったのかもしれない。」と書いていて、その結果として「もう、ユニクロで良くない?」になっている、というようなことを書いている。でも、私から見える風景は、少し違うように感じられるのだ。

 

私は、現代においても、おしゃれに対する人々の関心は高いと思っている。自分のダサさをどうにかしたいと思っている人や、「大学デビュー」を気にする若者は、依然として多い。ネット上には、自分のコーディネイトをSNSに上げる人や、メイク方法を解説するYouTuberが沢山いる。女性の間ではパーソナルカラーや骨格診断が人気だ*2。2010年代に入ってからは、おしゃれ初心者の男性層に、メンズファッションのイロハを解説する本が次々に出版された。ブコメで言及した『ほぼユニクロで男のオシャレはうまくいく スタメン25着で着まわす毎日コーディネート塾(著:MB)』や『ユニクロ9割で超速おしゃれ(著:大山旬)』も、その中の2つだ。どちらもとても売れている。

ただ、おしゃれに関心はあっても、バブル期ほどには、見栄で消費したり競争したがっているようには見えないけれど。

 

私は、バブルという時代は、「高いブランド物を身につけたからといって、おしゃれになれるわけではない」という教訓を残した時代だったと思う。それから、「一生ものだと思って買った高いものが、結局は一過性のものだった」という教訓も。

あれだけおしゃれに狂乱したのに、結局おしゃれになれていない。おしゃれな服を買ったからといって、おしゃれになれるわけではなかった。じゃあ、どうすればおしゃれになれるのか?

私は、現代におけるその答えが、パーソナルカラーや骨格診断の人気や、メンズファッション初心者向け解説本の売れ行きだと思う。つまり、今は「服」そのものよりも、おしゃれの「ノウハウ」が人々の関心を集めている時代なのだ。

 

これに関しては、特に『ユニクロ9割で超速おしゃれ(著:大山旬)』の内容によく表れていると思う。この本の冒頭では、同じ人物で、同じ「ユニクロ9割」で、おしゃれに見える例とそうじゃない例を、写真で示している。つまり、ユニクロを着ていても、おしゃれに見える人とそうじゃない人がいるということを、印象付けているのだ。

 

また、大山氏は、流行は緩やかに変化していくから、古い服より今のユニクロを着ているほうが、おしゃれに見えると言う。

“3年前のボトムスを引きずり出してきて
履いていても、どんなに高かろうが、気に入っていようが
素敵には見えないんです。

それだったらユニクロで十分。
新しく新調することの方が近道です。”

3年前の高いボトムスよりも今年のユニクロの方が・・・ | 30代・40代のための「メンズファッションの教科書」| メンズファッションスタイリスト大山 旬

「3年前のボトムスよりも、今のユニクロ」と言えるようになったことが、「ユニクロでよくない?」になった大きな理由だと思う。一昔前の、品質はいいけれどデザインが垢抜けないユニクロでは、こんなことは言えなかっただろう。トレンドを押さえた形のものを出してくるようになったことで、ユニクロは、おしゃれな人の選択肢にも入るようになったのだ。

 

また、少ない服を着まわすというのは、確かに、「おしゃれ」より「くらし」を重視する「ミニマリスト」と言われる人たちのライフスタイルでもあるのだけれど、そもそもおしゃれな人にはそういう人が多いというのも、見逃せない理由だと思う。

個人の家に訪ねて行っておしゃれになる手伝いをしているスタイリストの人がよく言うことに、「皆さん、持ってる服が多いのに、使える服がすごく少ない」というのがある。

大山:僕はご自宅にクローゼット整理に伺うことが多いのですが、皆さん、ものすごく服をたくさん持っているんですよ。僕よりも大量に持っている方のほうが多い。

山本:私もまったく同じです! ご自宅でクローゼットを見せていただくと、服の数は皆さん本当に多いんです。でも「たくさん服はあるけど、明日着ていく服がない」とおっしゃる。それって、実はシンプルな服を持っていないからなんですよね。

多くの人が間違っている「服選び」 | ベストセラー対談 | ダイヤモンド・オンライン

 

スタイリスト歴30年で、50代以上向けのファッション本で人気の地曳いく子氏は、『50歳、おしゃれ元年。』の中で、「今までは毎日とっかえひっかえ着替えなければならないと思わされていた」ことを「昭和おしゃれルールの罠」と呼び、こう書いている。

出かける先や頻度は人によってそれぞれですが、出かけるたびに、毎回違うコーディネイトである必要はないですよね。

なのに、「同じ格好だと恥ずかしい」という固定観念に縛られて、無理に組み合わせてスタイリングのバリエーションを作ろうとする。

強引に昨日とは違うコーディネイトにしようとするから、必ず「イタい」組み合わせができてしまう。それが「罠」なんです。

 中途半端なコーディネイトを増やすより、自信のあるものを“ヘビーローテーション”で着る!だから、持つべき服は、登場頻度の高い“スタメン服”のみ!

これが、これからの50代のおしゃれの「王道ルール」なのです。

 つまり、ここでも、おしゃれになるためには、服を少なくして、毎日とっかえひっかえ着替えるのをやめるべきということなのだ。

 

おそらく、おしゃれが苦手な人ほど服をたくさん持っているのは、「迷走」しているからなのだろう。一方、おしゃれな人は、自分のワードローブを把握して、計画的に服を買っている人が多い。

つまり、おしゃれに興味がないから、服が少なくなるのではなく、おしゃれになった結果として、服が少なくなり、シンプルな服が多くなるのである。服を減らすのは、あくまでも、おしゃれになるための手段なのだ。

 

さて、色々言ってきたけれど、最終的に、私が思う「私たちがユニクロを選ぶ本当の理由」を言ってみようと思う。

 

お金がないから。

 

結局これだ。

「『若者の○○離れ』なんて言われてるけど、結局若者に金がないからだよ!」というのは、ネット上で散々言われてきたけれど、これと同じことだ。

 

ただ、過去記事『貧乏人の私がおしゃれになるためにしたこと』でも書いたのだけれど、私は、お金がない中でなんとかおしゃれがしたいと思って、同じ金額でもより自分に似合うものを選べるよう、プロのアドバイスを受けるなどして、おしゃれの知識を身に着ける方向に行った。このことは、単に服を買うよりも、私のおしゃれレベルを大きく上げることになった。

私は、その記事の中で、こういうことを書いた。

つまり、これらは、絵を上手く描けるようになったり、楽器を上手に演奏できるようになったりするのと、同じことなのだと思う。高いブランド物の服というのは、例えるなら、高い画材や高い楽器だ。もちろん、あると表現の幅は広がるけれど、それを使ったからといって、良い絵が描けるわけでも、良い演奏ができるわけでもない。良い表現とは、ひとえに、その人の技術力に左右されるものだ。

貧乏人の私がおしゃれになるためにしたこと - 宇野ゆうかの備忘録

そして、冒頭の記事を読んで思ったのだけれど……もしかしたら、不景気が続いて貧乏になっている今の日本は、全体的に私と同じ方向に行ったと言えるのかもしれない。つまり、安い服でもおしゃれに見せられる「ノウハウ」が求められるようになったのだ。 

 

80年代や90年代というのは、「おしゃれをしなければならないと思わされていた」ということと、「高い服を買わないとおしゃれができないと思わされていた」時代だったのではないだろうか。そして、それは実際そうだったのだろう。その頃の低価格帯の服といえば、おしゃれするのに使えないようなダサい服しかなかっただろうから、無理もないと思う。そして、そういう環境は、「高い服を買えばおしゃれになれる」という思い込みも形成していたのではないだろうか。

 

バブルが通り過ぎて、高い服を着てるからといって、おしゃれに見えるわけではないことが判明したこと。不景気が続いて所得が落ち込んでいること。ユニクロなどの低価格帯アパレル企業の台頭。ネットの普及により、おしゃれのノウハウを発信する人が増えたこと(それが書籍化されることもある)。スマホSNSの普及で、個人が自分の着こなしを発信するようになったこと。若者が参考にするおしゃれの情報が、雑誌からネットに移行したこと。

これらのことが重なって、今の時代のおしゃれに対する関心のありかたが形成されていると思う。

 

これは、人々が以前よりおしゃれに興味がなくなったわけではなく、むしろ成熟だと思う。おしゃれの基準が、「服」ではなく、個人の「技」になった――言うなれば、高い楽器を買う人は減ったが、実は、個人の演奏技術は底上げされているのではないだろうか。

だから、現代もおしゃれを頑張っている人は多いと思う。ただ、身の丈以上の消費はしなくなっただけで。もちろん、今でもファッションオタクな人たちはブランド品を買っているけれど、それは例えるなら、オタクが推しのグッズを買うようなものだろう。

そして、忘れてはならないのは、昔も今も、おしゃれに興味のない人はいるということだ。そういう人にとっては、ユニクロはまさに「救世主」だろう。

 

そもそも、バブル時代の女性たちが憧れたフランス人だって、そんなに毎日とっかえひっかえ着替えていないし、高いブランド物は富裕層のものだと思っているみたいだからね。

“日本では同じ服を1週間に2回着るのは、少し恥ずかしいと考えている人が一般的だと思います。まして3回着るなんて考えられないかもしれません。ところが、フランスでは当たり前のこと。なぜなら、みんながそうしているから恥ずかしさを感じないのですね。”

 

“自分の給料で手が届かないということは、自分に似合わないということ。似合わないものを無理に手に入れようとはしないのです。高級ブランド品で身を固めたり、ブランドバッグを持った人は滅多に目にしません。”

 

フランス人の「服装」が、日本とこんなに違うワケ(横川 由理) | マネー現代 | 講談社(1/3)

 


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相手の親に聞こえるように「あんな小さい子に虐待して…」と言ってはいけない理由

 

togetter.com

 

ある親御さんが、赤ちゃんの足の蒙古斑から虐待を疑われたことで、お尻以外のところにできる蒙古斑についての理解を呼びかけています。

私は、このTweetを読んで、違う角度から気になることがありました。それは、おばちゃん達が、相手の親に聞こえるように「あんな小さい子に虐待して…」と言っていたこと。これは、仮に本当に虐待だった場合、子供を危険に晒してしまう可能性があります。

 

虐待が疑われる場合には、「虐待を疑っている」ということを相手の親に知らせないようにする必要があります。虐待する人は、世間体を気にする傾向があるので、もし相手の親が本当に虐待をしていた場合、後で子供に対して「あんたのせいで、私が虐待していると言われた!どうしてくれる!」という感情をぶつけたり、虐待が気付かれないよう、見えないところを殴るようになるなど、より巧妙に虐待するようになる可能性が高いからです。

虐待が疑われる場合は、基本的に「誘拐犯かもしれない場合」と同じように考えたほうがいいです。まだ被害者の身の安全が確保できていない段階で、犯人に「誘拐犯だと疑っている」と知らせてしまったら、被害者に身の危険が及びかねませんよね。黙って通報です。

 

“そして4つ目は、虐待の加害者に対して、周りの人間が虐待を疑っていると言ってはいけないということです。たとえば、身体的虐待の場合、加害者に対して『●●君があなたに殴られたって言ってるけど殴りました?』と聞く人は意外と多い。

このように聞かれた加害者は、虐待をやめるどころか、バレないようにもっとやるんです。通告して調査が進んで、子どもの安全確保ができる段階になるまで、虐待が疑われていることを加害者に知らせてはいけません」”

性的虐待を受けた子どもの話をどのように聞くべきか? 専門家が語る4つのポイント - 弁護士ドットコム

 

千葉の小4女児虐待死事件で、市教育委員会の人が、虐待していた父親に凄まれて、子供が虐待を訴え出たアンケートコピーを渡してしまったということがありましたね。私は、その教育委員会の人は、「普通」の感覚だったんだろうな、と思いました。

取り返しのつかない状況になった後から考えれば、この対応は最悪だったと理解できるでしょう。しかし、子供が虐待を訴え出たということを親に伝えることが、子供の身を危険に晒す行為だということを、理解していない人は案外多いです。

また、既に子供が亡くなってしまったケースでは、「なんてひどい親なんだ!」と言う人は多いのですが、まだ子供が生きている、あるいは、かつて虐待を受けていて生き残っているケースに対しては、「そうは言っても親なんでしょ(だからそこまで酷いことをするはずがない)」という思考回路になる人は、とても多いです。虐待を受けて生き残った人たちは、自らの経験を語った時、そういうふうに言われて被害を矮小化されるのは、よくあることです。

 

もちろん、子供を守る立場の人が「普通」の感覚でいてはいけません。ここで言う「普通」とは、「素人同然」ということですから。

ただ、子供を守るのは、児童相談所教育委員会の人たちだけがやることではないので、素人の大人たちも、相手の親に対して「虐待を疑っている」ということを知らせてはいけないこと、生きている虐待被害者に対しては、「そうは言っても親子なんでしょ」という認識が働きがちなことについて、知っておいたほうが良いなと思いました。

選挙が苦手な人と、おしゃれが苦手な人は、似ているのかもしれない

 
togetter.com

 

上の彼女さんから、政治や選挙に対するコンプレックスを感じました。この反応、ファッションやおしゃれにコンプレックスを感じている人に、「もっとおしゃれしなよ」って言った時の反応に似てると思います。

 

Togetterのブコメにこんな意見がありました。

id:covacova なんか分かった気がするぞ。選挙に行かない人や、体制派にしか入れない人は、正解が何かを気にしているんだな。正解とは多数派で、正解に入れなかった自分を他人に見られるのが怖いんだ。まさに教育の成果だ

 投票用紙を「解答欄」だと思ってしまう教育の成果というのも、確かにあると思います。そして、これとはまた別の角度として、「人は、自分がよくわからない分野で『正解』を出さなければと思う時、とにかく大多数と同じようにして安心したがる」っていうのもあると思います。

おしゃれが苦手な人がおしゃれしようとすると、自分の軸がないため、自分に合うかどうかもわからず、ただ流行に振り回されるだけになってしまったり、マネキン買いしたりしてしまいがちです。一方、おしゃれな人は、流行をチェックしながらも、流行に流されず、自分に合うと思うものだけを取り入れます。

選挙慣れしているかしていないかも、これに似ているのかもしれません。

 

“まず、中高生のときって「制服とジャージ」しか着なかったのに、大学に入って「いきなり、毎日私服」という状況になると、何を着ていいかわからない。”

“それで、そういう「ファッションレベル1」の状態で大学生になって、焦って服を買いに行こうとすると「量産型化」してしまう。

でも、大学にいったらみんな「量産型」で安心しました。ヘンな服を着て浮いたり、バカにされるのが怖かったので。「個性がなくて恥ずかしい」なんて思わなかったです。”

なぜ女子大生は「量産型化」してしまうのか? 元量産型の女子大生が語る、絶滅した「ガーリー型」の謎と、わたしが量産型になってしまうまで。 | アプリマーケティング研究所

 私は、選挙で「自分が入れた党が多数派だと安心する」と言う人の感覚がわかりませんでした。選挙って、「多数派だったから安心」とか、そういうもんじゃないのにな…と。でもそれって、ファッション量産型な人の感覚に似ているのかもしれませんね。「政治レベル1」の状態でいきなり選挙に行くと、「量産型」になってしまうのでしょう。

 

“あんな:みんな争点争点って言うじゃないですか。「今回は年金選挙だ!」「いや、消費税選挙だ!」「いやいや憲法選挙!」。バラバラじゃん!? って混乱します。結局今回、何選挙なの!?

とんふぃ:憲法改正、消費税10%増税、経済政策、原発最低賃金夫婦別姓、LGBTQ……。国民の関心が高い問題はだいたい争点になっているので、迷うのはもっともですが、実は選挙の「争点」はみなさん自身がそれぞれ決めていいものなんです。

かん:え、自分で優先順位を決めていいんだ。”

政治音痴のための7.21参院選 長田杏奈&かん(劇団雌猫)が緊急取材 - She is [シーイズ]

 上の会話は、まるで、流行に振り回されるおしゃれオンチな人と、自分のファッションスタイルができている人の違いのようです。「ファッションサイトじゃ、今年はこれが流行るとか、これが来るとか言うじゃないですか。結局、何を着ればいいの!?」みたいな。

 

世間では、投票日が近くなると、投票を呼びかける声が多くなりますけど、どうにも、投票を呼びかける側の人って、投票所入場券(ハガキ)持って投票会場行って投票するくらい、誰でもできるだろうと思ってる人が多いように思います。ネット上では、実際、「投票に行くくらい、簡単だろ。なんでできないんだよ!」って言ってる人も見かけました。

でも、選挙が苦手な人と、おしゃれが苦手な人が似ているのなら、政治オンチな人に「投票に行け」って言うのは、おしゃれオンチな人に「おしゃれな店で服買ってきなよ」って言うようなものなのかもしれませんね。

 

実際、自分自身が投票までにかける手間のことを考てみると、ぜんぜん投票日に投票するだけじゃないんですね。まず、日頃から、どの政党がどんな方針かとか、この議員は推せるとか、反対にこの議員はダメだとか、おおまかにでも見ている。そして、選挙が近くなると、候補者をチェックして、それで選挙に向かうわけです。

だから、選挙って、その大部分は、日頃の習慣なんですよね。投票なんて、最後のほんの一手間。料理で言ったら最後の盛り付けと配膳くらい。つまり、投票率を上げようと思ったら、選挙の時だけ投票を呼びかけるんじゃなくて、日頃から政治に興味を持ってもらうことを考えないといけないんだと思います。

 

それに、どうやら、選挙が苦手な人にとっては、そもそも投票所に行くこと自体がハードルが高いみたいなのです。私がそれを感じたのは、下の記事を読んだことがきっかけでした。元モーニング娘。田中れいなという人がやっていたラジオ番組での会話だそうです。

“20歳になったばかりの二人は選挙のハガキはきたが、いつ行くのか、何をどうすればいいのか分からないといった感じだ。
25歳のれいなに関しては、去年までハガキが来ていたことすら知らなかったとか…。

さすがに周囲の大人に行きなさい、と忠告されたが、どこに行けばいいのかも知らなかったらしい。
行ってみた感想としては、「怖かった~!」と言っている。

やっと投票所に行ってみたが、候補者名や政党名を二度も書くことがワケが分からなかったらしく(選挙区選挙と比例代表選挙かな)、でも誰にも疑問を聞くこともできないので、とにかく怖かったらしい。”

インターネット選挙運動で、若者の投票率は上がるのか? - 田舎で底辺暮らし

他にも、今まで選挙に行ったことがなかったという人で、「この年になって、選挙会場で勝手がわからずまごついてるなんて、恥ずかしいという思いがあった」と言っている人も見かけました。 

 

私の場合は、子供時代に、親が投票するところを見ていたり、初めての投票の時には親と一緒に行ったりしたので、投票会場に行って投票するのは、別に特別なことではないんですね。それに、親が政治の話をする人だったので、たぶん、20歳になる頃には、拙いながらも、ある程度自分の政治に対するスタンスができていたと思います。

でも、選挙が苦手な人は、たぶんそういう環境がない。それはまるで、高校生の時からおしゃれに目覚めていた人と、ずっとおしゃれの世界に触れずにきた人との違いくらいはあるのではないでしょうか。

“2016年の参議院選後に総務省がインターネット上で実施した「18歳選挙権に関する意識調査」によると、子どもの頃に親の投票について行ったことのある人とない人では、投票参加率に差があったのです。

18〜20歳の男女3000人のうち、親の選挙について行ったことがある人の投票参加は63.0%で、親の選挙について行ったことがない人は41.8%と、約20ポイントの差があったといいます。”

子どもを選挙に連れていくべきたった一つの理由

 

Tweetでは、彼女さんは「学校で政治や選挙のことなんか教えられてない」と言っています。多くの人が指摘しているように、一応、学校では政治や選挙のことは(十分ではないにせよ)教えています。ただ、学校で習っただけでできるようになるのかというと、それでは不十分だと思うのです。私の弟は、家庭科で料理を習ったはずですが、料理ができません。いくら学校で習っても、家で料理をする習慣がなければ、身につかないようです。

政治や料理に限らず、私たちは、学校で習ったことでも、自分の普段の日常生活の中でやらないことは忘れてしまうというのは、よくあることですしね。

 

若者にとって政治や選挙のことがわからないのは、日本で政治の話題がタブーだということも大きいと思います。アメリカとかだと、若者に人気のポップアーティストが、日頃から政治的な発言をしますし、自分の作品にも政治的なメッセージを込めます。政治の話題が、普段の日常生活の中にあるのでしょうね。

日本の場合は、どうもそうじゃないですよね。アーティストが政治的な発言をするのを嫌いますし、日本のポップミュージックも、政治とは関係ないものが求められますから。若者は、「空気を呼んで」、政治的なことを言うのを避けますし。

 

去年、テイラー・スウィフトが、初めて自分の政治に対する考えを明らかにしたことが話題になってましたけど、話題になった理由のひとつには、他のアーティストは政治的発言をするけれど、テイラーはこれまでしてなかったからというのもあるでしょう。

front-row.jp

 

たぶん、選挙慣れしていない人って、選挙演説とか政見放送とかのほうに注目しがちだと思うんですけど、実際は、日頃から政治に興味を持つ習慣を身に着けるという、けっこう地味なものなんですよね。

ファッションで例えるなら、おしゃれな人は、日頃からファッション情報をチェックしてるようなもの。美容についても、一時的にエステに行くよりも、普段から日焼け止め塗ったり、肌のお手入れをするほうが大事です。

ぶっちゃけ、私、選挙演説聞きに行ったりしないし、政見放送もほとんど見ないですもん。

 

“私はずっとノンポリでした。だから会社のしがらみとか、多数派に投票しておけば責任を問われなくてラク、みたいな気持ちも分かるんです。”

「私は山本太郎に発掘されたノンポリ」 自民党議員一家で育った25歳女子が「れいわ新選組」を推す理由 | BUSINESS INSIDER JAPAN

私にとっては、上の記事は、記事のメインの内容より、この部分が気になりました。ああ、そういう考え方なのか……と。

この考え方、実はけっこう危険だと思うんです。子供のいじめも、いじめを隠蔽する学校も、企業の不祥事も、ナチスドイツの独裁政権も、その根底には、「多数派になっておけば責任を問われない(はず)」という思考回路があるからです。

私は、多数派に投票するのと、少数派に投票するのとでは、どちらも責任は同等だし、もっと言えば、投票することを選ぶのも、投票しないことを選ぶのも、同等だと思います。選挙権とはつまり、自己決定権なのですから。

 

これを書いている私自身も、おしゃれオンチ状態から、おしゃれ好きになった人間なんですけど、おしゃれになる過程で必要だったのが、「モブキャラでいるのをやめて、主役になる覚悟」だったんですね。

たぶん、政治参加っていうのも、それに近いものがあると思います。政治に興味を持って、自分なりのスタンスを持つというのは、この社会の中で、モブキャラでいるのをやめて、自分が主役になる感覚を持つことだと思うんです。

だから、「多数派に投票しておけば責任を問われなくてラク」というのは、投票はしていても、まだ、社会における「主役」感が身についていない状態なのかもしれませんね。

 

あと、よく「選挙に行かない人に文句を言う権利はない」って言う人がいますけど、はっきり言って、あれは嘘です。今のところ、日本にそんなルールはありません。言論と表現の自由は、選挙に行った人にも行かなかった人にありますし、そうあるべきです。

順序が逆だと思うんですよね。選挙に行ったら、文句を言うことが許されるんじゃなくて、「自分だって、政治に文句を言ってもいいんだ」と思えて、文句を言うことに慣れてくるから、選挙に行くんです。

文句を言うといっても、いきなり街頭でデモするとか、そこまでじゃなくて、日常生活の中で、不満に感じていることを愚痴るような感じで、ですね。

 

私は、現時点で選挙が苦手な人は、無理に投票する必要ないんじゃないかなって思います。「政治レベル1」の状態でいきなり選挙に行くのは、けっこうハードルが高いと思います。おしゃれなら、最初は大多数と同じの「量産型」から入るのもいいですけど、選挙ってそういうものじゃないので。まず自分の政治レベルを上げてからでもいいと思います。

ただ、選挙の練習のつもりで、選挙会場に行って、候補者名を書かずに白票を投じてみるのも、いいと思いますよ。おしゃれオンチな人がおしゃれの練習をするために、一度おしゃれな店に入ってみて、どういうところか見て、何も買わずに出てくる、みたいな感じでね。

 

 

おしゃれオンチだった私がおしゃれになる過程。「モブキャラ→主役」についても書いてます。

yuhka-uno.hatenablog.com

現代の大阪城天守閣は、城の形をした近代建築の博物館だった

安倍首相が、大阪で開催されたG20サミットにおいて、大阪城天守閣にエレベーターがついていることをネタにしたことで、世間ではバリアフリーの観点から批判の声が上がった。それについて、安倍首相自身が、自らの発言について説明したり、菅官房長官が擁護したりしている。

 

www.asahi.com

www3.nhk.or.jp

 

ただ、私としては、「天守閣は今から約90年前に16世紀のものが忠実に復元されました」という首相の発言が気になってしょうがない。なぜなら、現在の大阪城天守閣は、鉄筋コンクリート造りだからだ。もちろん16世紀に鉄筋コンクリートの建物なんてないわけで、「忠実な復元」であるはずがない。だいたい、大阪人自身が「ま、あれは鉄筋コンクリートなんやけどな(笑)」とネタにすることがあるくらいだ。

 

そこで、大阪城について、あらためて色々と調べてみた。

 

現在の大阪城天守閣は、1931年(昭和6年)の完成で、当時の大阪市長・関一(せき はじめ)の呼びかけによって、市民からの寄付金で造られたものだ。申し込みが殺到し、およそ半年で目標額の150万円に達したという。

この時代、大阪市は世界でも6番目に人口の多い都市であり、商工業都市大大阪(だいおおさか)」として栄えていた。これは、関東大震災の被災者の一部が大阪に移住したことの他に、関一が都市計画学者だったことも関係しているという。*1

 

大阪城天守閣は、その歴史上、16世紀末に建てられた豊臣時代のものと、17世紀以降の徳川時代のもの、そして現代のものがあり、現・大阪城天守閣は、徳川時代天守台石垣の上に立てられている。外観は、下から4層目までが徳川時代の白漆喰壁、最上階の5層目を豊臣時代の黒漆壁という、折衷デザインになっている。*2

鉄筋鉄骨コンクリート造りになったのは、当時の建築規制により、巨大な木造建築物が作れなかったからだという。*3

当時から5階まで行けるエレベーターはついていたが、平成の改修によって、身体障害者は最上階の8階まで行けるエレベーターを利用できるようになった。*4*5

 

大阪市のホームページに、現・大阪城天守閣を造る上での資料が載っていた。

“ 当時城郭建築の研究は進んでおらず、また豊臣氏大坂城天守に関する資料はほとんどなかった。古川は全国の桃山時代建築や城郭建築を調査、研究し、「大坂夏の陣図屏風」に描かれた天守をもとに全体の構成から細部意匠にいたるまで、中心となって設計をおこなった。”

大阪市:昭和六年大阪城天守閣復興に係わる設計原図等関係資料 一括(147点) (…>大阪市指定文化財>大阪市指定文化財(指定年度別))

この資料を見るに、当時は「16世紀の忠実な復元」はそもそも無理があったということが伺える。豊臣時代の天守台石垣と、豊臣氏大阪城本丸図(中井家本丸図)が発見されたのは、戦後になってからのことだ。*6*7

むしろ、この資料からは、大阪城天守閣の資料が少ない中で、なんとか復興させようとした当時の苦労が思われる。

 

また、調べるうちに、このようなサイトを発見した。

kakuyomu.jp

なんと、大阪城天守閣は、現存する日本最古の鉄筋鉄骨コンクリート造の建物だという。ちなみに、日本初の鉄筋コンクリート造の集合住宅は、「軍艦島」の愛称で有名な長崎県端島にある建物だそうだ。

 

こうして調べてみると、大阪城は、人々にかつての豊臣・徳川の時代を思い起こさせるものであり、昭和初期の大大阪時代を思わせるものであり、日本における近代建築の歴史を思わせるものであり、日本の城郭建築の研究の歩みを思わせるものであり、視点を変えていけば、色々な見方ができるものだと思えてきた。

 

さて、大阪城は、建物そのものばかりが注目されがちだが、実は内部の展示物がすごい。かつての大阪城と同時代の歴史資料や文化財が多数展示されており、その多くが実物なのだ。秀吉の黄金の茶室の復元もある。

大阪城天守閣の公式ホームページに載っている、2019年5月22日~7月17日開催の企画展示「サムライたちの躍動―大阪城天守閣名品セレクション―」の紹介文にも、こんな文面が載っている。

 

“ 大阪城天守閣は全額大阪市民の寄附金によって昭和6年(1931年)に復興され、現在まで、大阪や大阪城の歴史、戦国時代から安土桃山時代にかけての武家を中心とした日本の歴史や文化を発信するユニークなお城の博物館として歩んできました。

 約1万点にのぼる大阪城天守閣の収蔵品には、武士たちが身にまとい、使用した武器武具、有名な戦いを描いた合戦図屏風が多く含まれており、コレクションの大きな柱となっています。”

大阪城天守閣

 

私は、この「お城の博物館」という言葉が、現在の大阪城天守閣を言い表す言葉として、最適なのではないかと思う。大阪城天守閣は、大阪市が所有する公立の博物館という扱いになるのだろう。そもそも、内部に入ってしまえば、近代建築の博物館そのものなので、忠実な復元ではないことはわかる話だ。

大阪城天守閣は、各種障害者手帳、戦傷病者手帳、被爆者健康手帳の所持者は、本人と介助者1名まで利用料金を無料としている。公立の美術館や博物館は、基本的にそうなっているので、大阪城もそうなのだろう。

 

ちなみに、現・大阪城天守閣は、昭和初期のものだが、大阪城公園内には、石垣や門や櫓(やぐら)など、江戸時代からの建造物が数多く残っている。

また、天守閣の近くに建つロマネスク様式の西洋建築・ミライザ大阪城(旧第四師団司令部庁舎)は、天守閣と同時期に建てられたもので、現在は大阪城を眺める商業施設になっている。

 

さて、ここからは、私が勝手に思っていることなのだけれど、大阪という都市は、すぐ隣に京都奈良があるせいか、なんとなく「歴史都市」という印象が薄いような気がする。しかし、大阪は、古代から都の重要な海の玄関口であり、現代まで主要都市であり続けたわけで、大阪という都市ひとつの中に、古代から現代までの足跡が残っているのだ。

世界遺産に登録された、大仙陵古墳仁徳天皇陵)を含む百舌鳥・古市古墳群聖徳太子によって建立された四天王寺。かつて都や副都が置かれ、大化の改新の舞台となった難波宮跡。太閤秀吉が築いた大阪城茶の湯を大成した千利休。江戸時代は町人文化が花開き、井原西鶴近松門左衛門が活躍し、明治以降に近代化してからは、商工業都市大大阪」として栄えた。 

 

そんな大阪の歴史を紹介した「大阪歴史博物館」は、大阪城公園のすぐ南西の位置にある。大阪城天守閣大阪歴史博物館のチケットは、セットで購入するとお得になるそうだ。興味のある人は、行ってみるといいと思う。(勝手に宣伝)

www.osakacastle.net

www.mus-his.city.osaka.jp

 


模型で蘇る豊臣大坂城

 

大坂城 絵で見る日本の城づくり (講談社の創作絵本)

大坂城 絵で見る日本の城づくり (講談社の創作絵本)

 

東大生が上野千鶴子氏にインタビューした記事を読んで、色々考えたこと

todai-umeet.com

上の記事を読みました。なんか、最初はインタビュアーという役割の人としてインタビューしようとしていた編集部の皆さんが、途中から自分自身の個人的な話になっていくのが面白かったです。「個人的なことは政治的である」って、こういうことなんですかね?

読んでるうちに、ちょこちょこ気になることがあったので、ブログに書いてみたくなりました。

 

「男というだけで、ずっと悪者なのか」

まず、もらいださんの発言から。

“自分は男ですが、ここまで聞いていて、男というだけで、ずっと悪者なのかっていうことが一瞬よぎりました。
僕は、男女差別的な構造の中で生きていて、社会的に構築された自分としては女性からみたら敵になる部分が多いなと思うんですけど、男女差別的な構造を自分が選んだわけではないので、自分に直接責任があるかと言われたらわからないなと思って。”

 

性差別の問題について、こういうふうに考えてしまう男性って多いよな、と思います。私は、これを、マリー・アントワネットの「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」発言で考えています。(※なお、これはあくまでも「ものの例え」であって、実際のマリー・アントワネットはそういう発言をしなかったとか、非常時にはパンの代用としてブリオッシュを食べるとか、歴史上の正確性については、ここでは議論の対象としません。) 

 

マリー・アントワネットが、たまたま高貴な身分として生まれたこと自体には、罪はありません。生まれは選べないものですから。彼女の罪は、庶民がどれだけ苦しい立場に立たされているのかを、理解していなかったことです。理解していないから、「え……?パンがなければお菓子を食べればいいんじゃないの?」という、庶民を決定的に傷つける発言を、無自覚にしてしまいます。

この関係、マリー・アントワネットの視点からすれば、「パンを!パンを!」と求める庶民が、無知で感情的に見えるんだけれども、実際には、マリー・アントワネットのほうが、無知で鈍感なんですね。

 

そういえば、こんな話がありましたね。

“食費にお金を若者はかけられないというが、それは、言い訳。今日のお昼ご飯、鱧のおすましだったけど、家人に聞いたら、実質何百円だって。骨切りした鱧も旬だから安いし、他の材料も残りものだしって。やれば出来る。やらないだけ。(小池一夫)”

【追記あり】小池一夫氏「若者は食費にお金をかけられないというがそれは言い訳。やれば出来る。やらないだけ」 - Togetter

 案の定、若い世代から、「働いて家に帰ったら、それを作る時間も体力も残っていない」という指摘がされていました。

 

男であるだけで、あるいは、先に生まれたということだけで、悪者っていうことはないんです。ただ、差別とか格差の存在を認識していないと、「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」って言っちゃうタイプの人間に、わりと簡単になってしまうということです。

 

「自分が幸せになりたいんだったら、女として生きていくということを、受容した方がいい」

“東大卒の父と専業主婦の母っていう絵に描いたような家庭で育ってきて。家族や親せきから「専業主婦になってほしい」とか、「女には女の役割がある」という言葉を聞いたこともあります。”

 

“母親とはそのことでよく喧嘩もするんですけど、母親もその、私のことを嫌いで言ってるわけじゃなくて。
個人単位で考えたら、傍観者で生きていった方が圧倒的に生きやすいじゃないかと言われていて。

正しいことを正しいというと、自分が矢面に立って、めんどくさいやつだかわいくないやつだと言われて生きていくことになるから、それはあなたの人生にとって辛いことだろうと。

それよりも、社会がどうかの話の前に自分が幸せになりたいんだったら、女として生きていくということを、受容した方がいいとずっと言われてきて、ずっと葛藤していたんです。”

 

これは、親に洗脳されて進路を誘導されて、ひきこもりになった経験のある私は、色々と思うところがありました。

『子どもがひきこもりになりかけたら(著:上大岡トメ)』っていうコミックエッセイがあるんですけど、その中に、こういうことが描いてあるんですよね。

 

今のコドモたちは親が経験したことのないような新しい世界を生きています

 

変化に気がつかずに 親の価値観をコドモに押し付けて レールに乗せようとする

「とにかくこれに乗りなさい!(お父さんはこれで大丈夫だった)」

「えっ」「なんか古そう!」

 

「えーっ」「どこに行くの!?線路がなくなってるみたいだけど!!」

「「これで安心」」

「いえ とっても危険です」「でもこういう方は多いんです」

子どもがひきこもりになりかけたら|上大岡トメ|第2話 トメ meets「結」|コミックエッセイ劇場

 

これ、ほんとそうだと思います。私は自分の経験上、「ひきこもり」と「非モテ」の問題に興味を持っているんですけど、進路にしろ恋愛にしろ結婚にしろ、親にとっての「いい子」になって、親世代の価値観に適応しすぎてしまった子供は、生きづらくなる傾向があると思います。 

まぁそりゃそうですよね。若者が生きていくのは「今」、そして「未来」であって、30年前の「過去」じゃないんですから。これが親世代なら、周りがみんな自分と同じ30年前の価値観で、その中である意味守られていたりしますけど、若者はそうはいかないんです。

 

80年代以前の日本では、専業主婦世帯が多数を締めていましたが、90年代に逆転して、今は共働き世帯のほうが多数派なんですよね。

親世代って、人数が多いし、社会的に上の立場で発言力もあるから、まだまだ専業主婦世帯が日本のスタンダードみたいな空気が維持されてますけど、実際には、もう共働き世帯のほうが多い。全体の数字でさえそうなので、これが、結婚や子育て真っ盛りの30代に絞ると、共働き世帯の割合はもっと多くなると思います。

つまり、「正しいことを正しいという」とか「めんどくさいやつだかわいくないやつだと言われて生きていく」とか以前の話として、女だったら専業主婦になるのが当たり前という社会は、もう30年くらい前に終わっているんですね。

 

それから、私は過去、毒親である親が私にしたことをブロクで書いて吐き出していたんですが、当時、私のブログをよく読んで下さっていた人のことを思い出しました。その人は母親で、自分自身が親から傷つけられて育ってきて、おそらく娘さんにも同じことをしてしまっていたような、そんな人でした。

その人は、たしか、「傷つけられて育った私は、娘が目立つのが苦手だった。目立たなければ傷つくこともない。そう思っていた」みたいなことを書いていました。そして、娘さんの行動を制限し、そのことで、娘さんは不調になってしまったようなのでした。

 親って、「自分が不安になりたくない」というエゴを、簡単に「子供のため」にすり替えてしまいがちな生き物ですからねぇ……

 

毒親のことをブログで吐き出すのと同時期に、私は、日本の景気が悪かったり少子化だったりするのを、若者のせいにして、若者バッシングをしている、いわゆる「老害」な年長者たちの姿を見て、「老害になる人とならない人の違いって、何なんだろうな……」と思っていました。

そして、「自分が若い時のままで時が止まっている人が、老害になる」という傾向があると気付きました。老害な人ほど「自分はまだまだ若い!」「若者には負けん!」って言ってたりするんですけど、それは、若い時のままで時が止まってるからなんですね。

 

自分が若い時のまま感覚を更新しないでいると、徐々に価値観が古くなって、気付いたら20年、30年も古い、なんてことになってしまいます。これはジェンダー観だけに限りませんよね。仕事や経営、虐待や体罰に対する認識とか、色々な分野においてそうです。

ということは、老害にならないためには、日々、感覚を更新していくことが必要ということになるでしょう。

 

親は高確率で自分より先に死にます。そして、いずれ自分も年を取って、自分より若い世代のほうが多い社会を生きることになります。若いうちは、自分より前の世代の価値観が大多数な世界だから、親世代の価値観に適応したほうが、幸せだし生きやすいんじゃないかと思ってしまいがちですが、長い目で見た時、その生き方は、本当に幸せなんでしょうか。

ただ自分の利益だけを考えて、感覚を更新しない生き方をしてきた人を、若者は尊敬しないと思うんですよね。 

 

東大男子はモテるとかモテないとか

上野千鶴子氏が祝辞で「東大の男子学生はもてます」と言ったことについて、当時、「東大に入ってもモテない」と言ってる人を見ましたが、確かに、学歴が高くて高収入でも、モテない男性はいますよね。高い学歴というのは、十分条件ではなく、あくまでも、一定レベル以上の外見やコミュ能力といったものが備わっていた場合に、威力を発揮してくるものなのかもしれません。

ただ、外見や家事能力やコミュ能力や収入などのレベルが同じ男女がいたとして、「東大」という要素がモテ要素として働くのは、圧倒的に男性のほうでしょう。そういう意味では「東大男子はモテる」と言えると思います。

 

ところで、私はこれまで「非モテ」問題に興味を持ってきたと言いましたが、たまに「頑張って勉強していい大学に入ったのに、女の子にモテない!」と言ってる人を見かけます。私は、これは「数学頑張ってるのにバスケ上手くならない!」って言ってるみたいなものだなと思います。学歴で手に入るのは、知識とか研究ノウハウとか就職における有利要素とか、そういうのであって、付き合う相手じゃないんですけどね。

こういうこと言う人って、決まって男性なんですよね。女性の場合は、外見や家事能力やコミュ力を問われるのが当たり前なので、学歴だけではモテないということを知っているからでしょう。

 

私は、これも、親世代の価値観に過剰適応してしまった例なんじゃないかと思います。「真面目に勉強して仕事を頑張っていれば、自動的に女の子をあてがってもらえる」というのは、お見合い時代の価値観ですね。でも、お見合いが主流だった時代って、何十年前なんでしょう?

親や上司や親戚の人が、お見合い相手を探してきてくれるという環境でないのならば、真面目に勉強して仕事頑張ってるだけじゃ、付き合う相手をゲットできたりはしません。自由恋愛って、自分で営業活動する必要があるってことですから。いくらいい商品だけがそこにあっても、宣伝しなかったら売れないですもん。

 

「東大に行くための努力ができる環境」について

過去記事『貧乏人の私がおしゃれになるためにしたこと』でも書いたエピソードですが、私の母はブラジャーを買ってくれない人だったので、私は、ワコールやトリンプで売ってる4000円前後のブラジャーを、なんとなく「贅沢」だと思って、ずっとユニクロのブラジャーを「ちゃんとしたブラジャー」だと認識していました。他のブラジャーも色々試した上でユニクロのブラジャーに落ち着くんじゃないくて、下着専門メーカーで売ってるブラジャーを自分が買うということを思いつかなかったんです。よくよく考えたら、4000円前後のブラジャーなんて、普通なんですけどね。

 

虐待を受けて育った人には、これに似た話がよくあります。例えば、医療ネグレクト*1を受けて育った人は、大人になっても、医療機関にかかる習慣が身についてなかったりします。「自分は、病院に行ってもいいんだ」と思えない、あるいは、そもそも病院に行くという発想自体がないのです。

私も医療ネグレクトを受けていた期間がありましたが、医療機関で自分のケアの仕方を教えてもらって、かつ、「医療機関にかかれるんだ」と思えるようになったことで、やっと自分で自分をケアできるようになったのです。ほったらかされていた人は、自分をほったらかしてしまうのです。

 

「東大に行くための努力ができる環境がない」っていうのは、このブラジャーや医療ネグレクトの話に似ていると思います。最初から、東大に行くという発想自体がないのです。

 

 

*1:必要な治療を受けさせない虐待のこと

「人権派」な人の性加害案件を見て、父の精神的虐待を思い出した話

www.buzzfeed.com

 

人権派」と言われ、弱い立場の人々に寄り添った活動をしてきた人が、セクハラやレイプをしていたことが発覚して、多くの人が「まさか、あの人がそんなことをするなんて」という反応をしているらしい。でも、私は特に驚かない。「ああ、父に似た人なのかな」と思うからだ。

私は今のところ、父が女性をレイプしたという話は聞いたことがないし、私自身が父から性的虐待を受けていたわけでもない。ただ、「反差別」で「人権派」な思想を持っていた父親が、一方で家族を抑圧し、娘の私に精神的に寄りかかって甘えていたことが、この構造と共通した部分があると思うのだ。

あと、最初に言っておくが、この手の人は右にも左にもいる。違いがあるとすれば、周囲の反応のほうだろう。

 

父は、自分に対する「NO」を受け付けない人だった。なので、私は、娘の好みなどわからない父親が買ってきたダサい服を、もらった時に「ありがとう」と言って受け取るだけでは済まず、父と一緒に出かける時にわざわざ着て、「これ気に入った!」と言って喜んであげなければならなかった。飲食店で父が食事を頼みすぎても、苦しくても全部食べてあげなければならかかった。その影響で、私は会食恐怖症の後遺症を抱えることになった。

これは、アルハラの構造と同じだ。アルハラする人というのは、自分が勧めた酒を断られた時に、「相手の体質上、これ以上飲めないのだ」ではなく、「自分が拒絶された」と受け取る。ハラスメント気質の人にとっては、部分的な拒否が、自分への全否定に変換されるのだ。

 

父のこういう性格に、他の家族メンバーは全員困らされていた。子供たちは、反抗期になっても、当然こんな父親だから、反抗心が湧き上がるのだが、実際にそれを父の前で出すことはせず、父の前では「いい子供」を演じていた。

父は「良い父親」という自己イメージ、そして、「子供との良好な関係」を望んでいたのだろう。その望みは、本来であれば、子供の気持ちをちゃんと聞くなど、地道に相手と向き合って構築するべきものだが、父は、自分の物語に子供達を無理矢理付き合わせた。子供たちが父の物語に沿わない態度を見せると、不機嫌さによる無言の威圧や、声量は大きくはないが低く鋭い声の調子という、微妙な感情の表出によって、子供達を押さえ込んだ。

おそらく、こういった父の「癖」は、父自身は全くの無自覚だっただろう。もし私たちが指摘しても、「自分はそんなことしていない」「嫌なら断ればいい」と否認し、認めなかっただろうと思う。

 

一方、父は「反差別」で「人権派」の思想の持ち主だった。在日コリアンや障害者や部落差別や発展途上国支援などの問題が、父の関心の対象だった。私がネトウヨにならなかったのは、父の教育があったからとも言える。このことは、父の中では、何も矛盾はなかっただろう。「弱者の側に立つ人」「子供を思う良い父親」というのが、父の自己イメージだったであろうから。

父の知り合いの人と会った時、「あなたのお父さん、優しい人でしょ?」と言われて、何とも言えない気分になったことがある。父は「その人に対しては」優しかったのだな、と思った。

 

両親からの依存の影響で精神を病み、心理カウンセリングを受けて、徐々に回復していく中で、父に本音をぶつけてみようとしたことがある。父と話す機会があった時に、これまで不満に感じていたことを言ってみようとした。

だが、父は相変わらず、不機嫌さによる威圧感と、低く鋭い声の調子によって、私の言葉を遮った。私が何か言おうとしても、その上から言葉を被せてきて、全く聞く耳を持たなかった。そして、沖縄の米軍基地問題と、グアム島先住民族が、その歴史上、いかに支配を受けてきたかについて話し出した。

私は、この時ほど、父の「人権派」な内容の話を、虚しく聞いたことはなかった。「あー、この人には、何を言っても無駄なんだなぁ……」と、冷めた諦めの気持ちになった。

 

id:watapoco 自分の知る限りだけど(サンプル少ないけど)、典型的なこの世代の社会運動に関わる男性。問題は自分の外にある、という世界の認識の仕方なので、自分を振り返れないの(もしかしたらその能力そのものがない)。

 冒頭に挙げた記事についていたブックマークコメント。これはまさに私の父だ。父が関心を持っていた問題は、父にとって「自分の外」にある問題であり、そういう問題に対しては、父は共感し、助けになりたいという思いが持ち上がったのだろう。そして、実際、そんな父に助けられた人もいたかもしれない。

だが、自分の内側にある問題、身近な女性と子供への抑圧については、父は全く自分を振り返ることができない人だった。

 

しかし、これは何も、父に限ったことではないのだと思う。支配・被支配の関係というものは、傍から見ればそれが明白であっても、自分がその関係の中にいる時は、被害者の立場の人ですら、その構造が理不尽な支配・被支配の関係なのだと理解しにくくなってしまう。

他人のことなら「それってレイプじゃん!」「毒親じゃん!逃げて!」と思えることでも、自分が受けた被害については「自分が悪かったのでは……」「この程度では虐待とは言えないんじゃ……」と思ってしまう。加害者なら尚更で、自分が加害しているという意識すらないし、ともすると自分のほうが被害者だと思っていたりする。

虐待被害者の話で、自分の親が虐待のニュースを見て「子供を虐待するなんて、信じられない!」と言っていたというのは、よく聞く話だ。

 

今回、7人の女性から性被害を告発された広河氏の振る舞いは、ネット上の記事を読む限り、書籍『部長、その恋愛はセクハラです!(牟田和恵・著)』に書かれているような、「女性部下からの尊敬を好意と勘違い」→「本来の目的を言わず、仕事にかこつけて誘う」→「同意を得ずにいきなり押し倒す」という、職場におけるレイプの典型例だった。

また、広河氏の「(女性たちは)僕に魅力を感じたり憧れたりしたのであって、僕は職を利用したつもりはない」*1という認識は、性暴力加害者によく見られる、「自分が望んでやったのではなく、相手が望んだからやってあげたのだ」という認知の歪みと共通している。

 

おそらく、広河氏は、言い訳ではなく本気でこう思っており、「人権派」で性暴力被害の取材もしている自分自身と、職場の女性に手を出した自分自身とは、彼の中では全く矛盾なく両立していたのだろう。

そして、ここからはあくまでも私の推測だが、「(女性たちは)僕に魅力を感じたり憧れたりした」という部分が、広河氏の望みだったのではないだろうか。つまり、「女性に求められる自分」という自己イメージを保つために、地道に女性との関係を築くという、本来やるべきことをするのではなく、不機嫌さと周囲への威圧によって、部下の女性たちを無理矢理自分の物語に付き合わせ、居心地のいい錯覚の世界を、自分の半径5mくらいに築いていたのではないだろうか。ちょうど、私の父がそうしていたように。

 

「相手が自分に魅力を感じたんだ」という、妙な自信があるわりには、性行為という本来の目的を明らかにして誘うのではなく、最初は「写真を教えてあげる」などと、仕事にかこつけて誘うのが、この手の人たちの特徴でもある。自信があるのなら、本来の目的を言って誘えばいいのだが、なぜか彼らはそうはしない。

理由として、ひとつには、本当は無意識下では、仕事の上での尊敬しかされていないとわかっていることが考えられる。もうひとつは、相手から「NO」と言われることが死ぬほど嫌い、というよりは、怖いのだと思う。相手からの部分的な拒否が、自分に対する全否定に変換されてしまう。「女性に求められる自分」という自己イメージが壊れることに、精神的に耐えられないのではないだろうか。だから、無意識のうちに、相手が「NO」と言えない状況に追い込む手段を取ってしまう。

 

『男が痴漢になる理由』の著者であり、性暴力治療プログラムに携わってきた斉藤章佳氏は、DVや性加害をする男性の根底にあるものは、「恐怖」だと語る。

斉藤:男性がもっとも向き合いたくない感情のひとつが“恐怖”なんです。

雨宮:恐怖ですか……?

斉藤:自分よりも立場が弱い存在から、攻撃されたり、排除されたり、自分の存在意義を否定されたりすることへの恐怖ですね。

攻撃的な人・性暴力を振るう人の根底には恐怖の亡霊が住み着いています。本来、この恐怖を認めることができれば楽なんですけど……。男性は“男らしさの教育”の中で、そういった訓練を受けてないんですね。男性の一番のウイークポイントは「自分の弱さを認められない」ってことではないかな、と思います。

”恐怖”という亡霊が生み出す過剰な攻撃性 - 雨宮処凛×斉藤章佳 対談

私の経験上、この手の人は、自分より立場が弱いゆえに依存している相手から、直接「嫌だ」と言われても、まともに聞けないだろうと思う。彼らにとっては、弱者からの拒否は恐怖なのだ。こういう人からは距離を取るしかないし、もし言うとしたら、彼が依存対象としていない、第三者に言ってもらうしかない。

 

ちなみに、私の母親はというと、母自身も父の横暴さに困っていながら、私と父との関係を「仲がいい」と思い込んで、「あんたは、お母さんには、そうやって反抗するのに、お父さんが誘うと、嬉しそうについて行って……」などと言っていた。

父と母はある意味似た者同士というか、母もなかなかの毒親で、私に精神的に依存していた。母は、私が父にさせられていたようなご機嫌取りを、自分にもしてほしかったのだと思う。だが、母には私を威圧して黙らせる能力がなかった。その点については、母は父よりマシだったが、当時の母にとっては、そうではなかったようだ。

 

おそらく、職場でも、このような構造はあるのではないだろうか。横暴なセクハラ上司の生贄になっている若い女性のことを、周囲は「仲がいい」とか、「体を利用して上司に取り入ってるんだ」とまで思っていて、女性が孤立させられてしまうことが。ある種の男性は、「自分だって若い女に手を出したいのに」という嫉妬から。他の人は、荒ぶる神を鎮めておくために、彼女を生贄に差し出したという後ろめたさから。

性暴力被害者の女性にセカンドレイプする男性たちの中には、「お前はどうせ、俺にはやらせないんだろ。俺だって同じことがしたい」という思考回路の人がいるが、ある意味、私の母に似ているのかなと思う。

 

父を「優しい人」だと言った人の感覚を、私は否定するつもりはない。その人にとっては、確かに父は優しい人だったのだろう。一方で、私が父に感じていた抑圧も、否定されるいわれはない。そして、両者は矛盾しない。

「まさか、あの人が」と思う場合、あなたはたまたま、彼あるいは彼女の依存対象にならなかったというだけのことなのだ。

 

 

※私が父から受けた抑圧を、もう少し具体的に書いたブログ記事。

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