『40歳までにオシャレになりたい!』より~おしゃれオンチとメシマズの共通点
Webで連載されていた頃からちょこちょこ覗いていた、トミヤマユキコさんの『40歳までにオシャレになりたい!』が本になった。内容は、普通の人はまず選ばないような服で、クセの強い「圏外ファッション」ばかりしていたトミヤマさんが、その場や立場に応じた装いができるようになりたいと思って、40歳を前に、おしゃれをなんとかしてみようと奮闘するもの。
ちなみに、前回記事『貧乏人の私がおしゃれになるためにしたこと』は、トミヤマさんの『40歳までに~』に触発されて書いた部分もある。
おしゃれオンチとメシマズの共通点
私は、そんなトミヤマさんの奮闘の様子を覗き見ながら、こう思った。
「そうか…!おしゃれオンチな人がおしゃれオンチな理由って、メシマズさんがメシマズな理由と一緒だ…!!」
メシマズさんがメシマズな理由といえば、大抵、
・分量を計らない。
・味見をしない。
・基本を知らずに勝手にアレンジ。
あたりだけど、おしゃれオンチな人がおしゃれオンチな理由も、
・試着をしない。
・鏡(全身映るやつ)を見ない。
・基本を知らずに勝手にアレンジ。
あたりだと思う。
そういえば、メシマズさんの中には、日本文化圏では聞き慣れないハーブやスパイスを買ってきて料理をするのが好きなタイプの人がいる。これは、いわば「圏外料理」なのではないだろうか。
トミヤマさんは、「これまでの人生、オシャレかどうかの判断がつかない個性的な服を選び、『オシャレの圏外』に出ることで、世間様のファッションチェックをかわし続けてきた。」とのこと。
もしかしたら、圏外料理タイプのメシマズさんも、料理コンプレックスをこじらせた結果、「『すまし汁』とか『ぶり大根』とか作ったら、メシマズなのがバレるけど、『圏外料理』を作っておけば、、世間様の料理チェックをかわすことができるのでは…」という思考になっているのかもしれない。知らんけど。
「アイテム萌え」から「自分映え」へ
srnkahtn オタクはファッショングッズをバランスを見て「揃える」のではなく、自分が気に入ったものだけを買い「集める」ので結果ちぐはぐコーデになるのだと聞いたことがある。つまり同人誌やフィギュアと同じ買い方。
zyzy 前にもチラッとあったけど、結局「その服着てる自分」ではなく「服そのもの、アイテムそのもの」に萌えて着るというオタクのサガが根底にある以上、どうあがいても……うん。自分萌えするスキルがないと難しい。
オタクっぽく見られない服選びの基本『一般人のコスプレの仕方』がとても参考になる「めっちゃ納得」※追記あり - Togetter
トミヤマさんの「オシャレになりたい」は、おそらく、ここで言われているような、トンチキ服好きな「アイテム萌え」感覚状態から、その服で自分自身をよく見せる「自分映え」の感覚を身に付けるということなのだと思う。
私はトンチキ服の萌えポイントはよくわからないけれど、これが「クラシカルロリィタ」とかになってくると、途端にテンションが上がってしまうので、そういう方向では、私も「アイテム萌え」な感覚が存在している。いやー、最近は「華ロリ」っていうジャンルも良いんですよ…
おしゃれを「教える」ということ
トミヤマさんは、お母様が服飾系専門学校卒のハウスマヌカンだったこともあって、子供の頃からおしゃれ服を与えられ、自分で試行錯誤しておしゃれになる過程を経ずに過ごしてきたそうだ。
一方、私の場合は、毒要素のある母の「おしゃれや流行に興味のない子でいてほしい(金がかかるから)」という願望を内面化した結果、長らくダサい子として過ごしてきた。私の子供の頃の服装に対する母の姿勢は、「従姉妹や近所のお姉さんからもらったお下がりを、選り好みせずに着て欲しい」というもので、私が自分の気に入った服ばかり着ていると、「そればっかり着て、もったいない」と言っていた。そもそも、母自身が、それほどおしゃれに興味がある人ではなかったのだ。
というわけで、同じおしゃれオンチ状態だったとは言っても、トミヤマさんの環境とは全然違ったので、おしゃれな親だからこそ、子供がおしゃれオンチになるという状況は、感覚としてよくわからないのだけれど、おしゃれ以外のことで考えてみれば、こういうことになってしまっている人は多いのではないかと思う。
例えば、いつも親が片付けてくれていたので、片付け方を身に付けられなかったとか、親はいつも完璧な料理を作っていたけれど、料理を教わったことがなかったとか。そう考えると、これは、「子供に自分でする機会を与えないで、親がやってしまう」という、よくある話の一例なのかもしれない。
あ、そういえば、子供にアルマーニの制服を与えるだけで「服育」になるのか、という話があったっけ。
おしゃれについて「教える」ということで思い出すのが、『Style up スタイルアップ~ティム・ガンのファッションチェック』という、日本でも放送されていた番組だ。(前の記事でも紹介してた。どんだけ好きなんだよ。)
この番組は、よくある日本の素人変身番組のように、その時だけ、プロが何から何までしてあげておしまいではない。ダイエットをしろとも言わない。その女性が自分でおしゃれになれるよう、そのままの体型で、自分を活かせる服の選び方と、メイクとヘアメイクのやり方を学ばせるのだ。
ティム・ガンの教え方については、既に詳しく書いている方がいるので、そちらに丸投げする(笑)。
雨宮まみさんが書いていた、ティム・ガンのファッションチェックについての感想。
シャネルとのお付き合い
さて、『40歳までに~』を読んでいて、ちょっと気になった箇所がある。トミヤマさんが、パーティーに「伝家の宝刀『母親のシャネルバッグ』」を持って行った回だ。「知人に『なにそのバッグ?どうしたの?』とニヤけ顔で訊かれて」しまい、伝家の宝刀とトミヤマさんのハートは、ボキボキに折られてしまったとのこと。
このことを、トミヤマさんは、「服がバッグに負けていたからだ」とお考えになって、パーティー用のドレスを買うことにしたのだけれど(そのドレスはとっても素敵だ)、知人の方が「なにそのバッグ?」と言った理由は、おそらく、そもそもこのバッグ自体が、フォーマル向けではないからなのでは…
試しに「シャネルバッグ コーデ」で画像検索をかけてみると、ジーンズに合わせている人は出てきても、フォーマルドレスに合わせている人は出てこない。「chanel bag outfit」で検索した場合もそうだ。
ということは、やはりこのシャネルバッグは、街着用であって、フォーマル用ではない可能性が高いと思う。
ちなみに、CHANEL日本法人社長、リシャール・コラス氏の言葉。
講演の最後にこんな質問が観客から出た。
「本来CHANELを身につけるべきではない人が
CHANELのイメージを下げている問題をどう思うか」
コラスさんは「その質問大好き。必ず聞かれる。
ココ・シャネルはすべての女性のためにデザインをした。
だからCHANELを身につけるべきではない人は存在しない。」
シャネルのマトラッセ、ガチフォーマルなシーンには向いてなくても、ちょっとしたお出かけなどに身につけて行くには、誰かに許可を取ったり何かの資格が要るわけでもないみたい。
おしゃれと40歳
たぶん、40歳手前の年齢というのは、ある人は部下ができたり、ある人は独立したり、ある人は母親としての付き合いが必要になったりとかして、「場に合った服装」というものが求められるようになってくる時期なのだろう。たまたま「きちんとした格好」が要求されない職場にいて、20代の頃は好き勝手にやれた人でも、そうも言ってられなくなる環境に立たされる。
一方、私は大人顔だったので、若い時から、若者がしているような、ラフな格好やかわいい服が似合わないタイプだった。トンチキ服はもちろん、グレーパーカーも部屋着でしか着たことがない。若者に流行りの格好はことごとく似合わなかった。
当時はそれでしんどいこともあったけれど、長い目で見れば悪くなかった。早いうちに「私は私」と思えたし、若いうちから大人向けの服装に適応していたので、後から楽になってくるタイプだと思う。結局私は、若い時から「きちんとした格好」が一番似合う人間だったのだ。
私は「40歳逆転説」を唱えている。若い頃は、とかく生まれ持った容姿の善し悪しがものを言う傾向があるが、40歳くらいになると、若さというアドバンテージがなくなってくる分、ファッションセンスがものを言うようになると思う。
だから、私は照準を40歳に合わせてある。若い頃はダサくて地味な子だった分、40歳になった時にそこそこ綺麗に見られればいい。ココ・シャネルだって、「20歳の顔は自然からの贈り物。30歳の顔には生き方が出る。50歳の顔はあなたの功績」って言ってるし。
トミヤマさんは、「オシャレをがんばるのは逆にダサいのか?」と仰っていたけれど、私はこう思う。
「40歳にもなって、今からおしゃれコツコツ頑張ろうとするのって、ダサくない?」って考えてしまう人、けっこういると思うけど、私は、周りの人に「私、おしゃれになりたいの!どうすれば良いと思う?」って公言して、自分より幾つも年下の人にも教えを乞えるような40歳って、かっこいいと思う。
— 宇野ゆうか (@YuhkaUno) July 6, 2016
貧乏人の私がおしゃれになるためにしたこと
「おしゃれや流行に興味のない子でいてほしい(金がかかるから)」という願望を持った母のもとで育ち、ブラジャーも買ってもらえなかった私は、毒親の影響から回復するための心理カウンセリングを受けるうちに、「私、本当はおしゃれしたかった!」という願望が掘り起こされた。
しかし、ひきこもりから脱出して、細々と賃金労働を始めたばかりの私には、満足に使えるお金はなかった。だが、今まで押さえつけられていた分、それでも何とかおしゃれがしたい。このエントリは、そういう状態の私が、おしゃれになるためにやったことの記録だ。
ちなみに、これは、「めちゃくちゃ」おしゃれになるためのものではないので、悪しからず。せいぜい、まぁちょっと、他人から「そこそこ」おしゃれな人だと認識される程度のものだと思っておいてほしい(笑)。
リサイクルショップで買い物する
リサイクルショップは、貧乏人の味方だ。私は今でも、パンツとブラウスと靴以外のものは、まずリサイクルショップで探すことにしている。
リサイクルショップ最大の利点は、試着をしまくれるということだ。おしゃれ苦手人間にとっては、まず試着のハードルが高い。店員とコミュニケーションを取らなければならないということが、ハードルを高くさせるのだ。だが、試着はおしゃれ上達の基本。数をこなしていくうちに、自分に合ったサイズや服の形が、なんとなくわかるようになってくる。
リサイクルショップは、服を売っている店舗の中で、最も試着のハードルが低い。ユニクロよりも低い。何回試着をしても、店員に嫌な顔をされることはない。だから、あえて絶対似合わないものを着てみるという遊びもできる。
ただし、気をつけていることがある。それは、安いからという理由で買わないこと。本当に着ると思うものだけを、真剣に吟味して買う。
おしゃれが苦手なうちは、沢山失敗するものだし、失敗は上達の過程で避けて通れないものだけれど、「安いから、とりあえず買っとこ~」と思ってした失敗は、あまり実にならない気がする。それに、少額でも、積もり積もればそれなりの値段になる。失敗は、真剣に選んで買ったものでするからこそ、実になるのだと思っている。
本当に吟味して買おうとすると、10着くらい試着して、買うのは1着くらいとか、そんなことも珍しくはないし、時には気に入ったものがなくて、何も買わずに帰ることもあるけれど、むしろそれで良いと思っている。そういう時は、代わりにハーゲンダッツでも買って帰ればいい。
これは、普通の店舗で服を買う時も同様にすると良いと思う。私は、試着はタダでできる服の勉強だと、自分に言い聞かせている。
それから、私は試着した際によく自撮りする。鏡で見た時よりも客観的に判断できたりするし、例えば、白いブラウスを買おうと思って何着も試着した時に、後でどれが良いか見比べることもできるからだ。
アイテムのTPOを知っておく
普段着はそう気にすることはないけれど、特にフォーマルシーンの場合は気にかける必要がある。TPOを外しているからといって、わざわざ言ってくる人はまずいないけれど、よくある、結婚式にタウン用の高級ブランドバッグを持って行ってしまうミスを犯すなどするのは、お世辞にもおしゃれとは言えない。
洋装のフォーマルに関しては、私は、基本的に欧米のものを参考にしている。なぜなら、日本のサイトなどで紹介されている「結婚式で推奨される服装」をアテにしてしまうと、露出を避けるために、変なボレロを着なければいけない気がしてくるからだ。
洋服なのだから、欧米基準で考えればいいんじゃないのかと思っている。ドレス自体は、露出が下品にならないものを選んで、羽織りものは、あくまでも冷房対策などの体温調節用で。
ただ、パーティーバッグに関しては、日本の慣習に習って、ご祝儀袋が入るサイズのものを選んだほうが、便利だとは思う。
あと、私は、「以前と同じドレスで出席するのは恥ずかしい」というのは、謎ルールだと思っている。私は一般庶民であって、セレブや芸能人ではないのだから。自分に似合ってないものを何着も取っ替え引っ替えするよりは、自分に似合っているものを何度も着たほうが良いと思う。
葬式と結婚式で同じ格好じゃなければ、それで良いんじゃないの?(開き直り)
プロのアドバイスを受ける
「パーソナルスタイリスト」や「イメージコンサルタント」などの名称で、ファッションのアドバイスをしてくれる人のことだ。
お金はそれなりにかかるけれど、やってみたら、とても良い投資と節約になった。美容院に行けば、カットだけでも毎回5000円近くはかかるのだし、服だって化粧品だって買う。それらを自分で試行錯誤し続けていると、お金も時間もかかるから、何万円か使ってプロにアドバイスしてもらったほうが早い。
私の場合は、髪型から靴まで、全身アドバイスしてもらいたいと思って、パーソナルカラーとパーソナルデザインを診断してもらえるコースにしたのだが、まさに大きな転機となる出来事だった。これ以来、今まで感じていた違和感がなくなり、私の中には、おしゃれに対するはっきりとした軸ができて、自分に似合うものを自分で選べるという自信がついた。
自信がつくと、店員さんと話すのも、美容師さんに注文するのも、全く臆さずできるようになった。それまでは、自分より相手のほうが、おしゃれに詳しいし、よく知っていると思っていたから、なんとなく断りにくさを感じていたのが、プロのアドバイスを受けたことによって、「自分に似合うものは、自分のほうが知っている」と信じられる状態になったのだ。
また、それによって、「おしゃれな人になる覚悟」ができた。それはつまり、自分が主役になる覚悟だった。
これまでは、「自分はおしゃれな人です」「おしゃれが好きな人です」という振る舞いをするのは、どこか気恥ずかしい気がしていた。目立たない、いわば「モブキャラ」でいることで得ていた安心感もあったかもしれない。でも、それを手放して、主役にならないと、一生、自分が納得のいく格好で生きていくことはできないんだ!と思ったのだった。
余談だが、「おしゃれになって、モテるようになった」という、よくある現象は、単純に外見が変わったというだけではなく、その人が、モブキャラをやめて、主役として振舞うようになったからというのもあるのかもしれない。
自分のブラジャーのサイズを把握する
女性のおしゃれにおいて、自分に合ったブラジャーを身に付けることの大切さは、『Style up スタイルアップ~ティム・ガンのファッションチェック』という番組で教わった。大きい小さいの問題ではなく、正しいサイズのブラを身に付けると、胸の形が整えられて、服を着た時の見た目も良くなる。
そのために、ユニクロや無印ではなく、ランジェリー専門店に行って、店員さんにサイズを測ってもらって、ブラのフィッティングを見てもらって購入した。
実は、多くの女性が、正しいサイズのブラをつけていないらしい。私の場合もそうで、自己測定では正しく計測できていなかった。もしユニクロや無印のブラを使うにしても、一度、自分の正しいサイズを把握しておいたほうが良いと思った。
ちなみに、胸の成長期だった思春期の頃、母親のお下がりのおばちゃんベージュブラを投げてよこされていた私は、それまで、ユニクロのブラジャーを「ちゃんとした下着」だと思っていた。他のブラジャーも色々着た上でユニクロに落ち着くのではなく、ワコールやトリンプの4000円前後のブラジャーを、なんとなく「私には贅沢」だと思っていたのだ。
別に特別高価なものではなくても、ちゃんとしたランジェリー専門店でちゃんとした下着を買って身に付けることは、そんな自分をエンパワメントすることに繋がった。
自分の靴のサイズを把握する
私はパンプス難民だったので、シューフィッターさんのいる靴屋に行って、自分の足のサイズを測定してもらった。これもブラジャーと同様、案外、自分の正しいサイズを把握できていないものだ。
私の場合は、まず、冠婚葬祭&面接に履いていける、13000円くらいのオーソドックスな黒のパンプスを、シューフィッターさんと相談して購入した。アドバイス料込みだと思えば、そう高くはないと思った。
ところが、自分の足のサイズとウィズ(足囲)と、甲が低いということはわかったものの、相談して買ったはずのパンプスが、履いていると痛くなってくる。何か、まだ足りない要素があるのでは…
というわけで、この本を見つけて読んでみた。
その靴、痛くないですか? 文庫版 あなたにぴったりな靴の見つけ方
- 作者: 西村泰紀
- 出版社/メーカー: 飛鳥新社
- 発売日: 2018/04/25
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どうやら私は、開張足の可能性が高いと思ったので、 開張足用のジェルクッションを買ってみた。あと、ここで紹介されていた土踏まず用クッションが、高さがしっかりとあって、靴屋で買ったクッションでもいまいち高さが足りないと感じていた私には良さそうだったので、それも買ってみた。
靴選びに関しては、自分の感覚として、まだしっかり身に付いたとは言えない。ここに関しては、まだ継続して努力中だ。ただ、買った土踏まず用クッションは、大変良かったし、それで楽に履けるようになった靴もあった。
姿勢の正し方を知る
プロにファッションアドバイスを受けてから、姿勢も意識するようになった。イケてる格好ができるようになったのに、姿勢がイケてないのでは、サマにならない。
ティム・ガンは私に、ブラジャーのサイズの重要性と、体型に合った形の服を身に付けることの重要性を教えてくれたが、正しい姿勢についても教えてくれた。
それまでの私は猫背で、母にしょっちゅう「背筋を伸ばして!」と言われていた。しかし、私は漠然と疑問を持っていた。多くの人が、子供の頃から、周りの大人たちに「背筋を伸ばして!」と言われているにも関わらず、背筋を伸ばすことができないのは、ほとんどの人が、正しい背筋の伸ばし方を知らないからではないかと。何か、解剖学的にというか、整体的にというか、そういう方法論があるのではないかと…
実際、私の予想は当たっていたようだ。ティム・ガンも、「姿勢をよくしたいなら、背筋は伸ばさない」と言っていた。「背筋をしゃんとしなさい!」と言われてやるやり方では、緊張してしまって、気を抜くと元通りになってしまうと言う。まったくもってその通り!
正しい姿勢は、コツを少しだけ言うと、両肩をできるだけ耳から遠くに持って行って、肩甲骨を下げる方法が正しいのだそうだ。なるほど、これなら疲れない。
この本で最も役に立った項目は、「姿勢と歩き方」だった!
トレンドを把握する
ファッション誌を見るのが良いと思うけれど、私はファッション誌は買っていない。今の時代、ネットのファッションサイトでも情報は得られる。それに、ファッション誌って、1冊800円くらいするんだよ。貧乏人は、美容院やクリニックに行った時に見ればいいよね。
トレンドを把握する目的は、今の流行を知っておくことよりも、どちらかというと、流行遅れにならないようにするため。おしゃれに見えるようにするには、「流行を取り入れる」よりも「ダサいところを潰す」ほうが大事だと思う。
流行はだいたい3年くらいで徐々に変化していくと思う。男性のドレスシャツだって、3年くらい前はホリゾンタルカラーが流行りだったのが、最近はあまり見かけなくなって、タブカラーをよく見かけるようになっている。
感覚を更新しておかないと、気づかないうちに「うわっ…私の眉毛、細すぎ…?」みたいなことになりかねないからね(笑)。
まとめ
まとめると、私は、おしゃれになるには、
・自分に合う服のサイズ感を把握する。
・アイテムのTPOを把握する。
・自分に似合う色や形、デザインを把握する。
・自分のブラジャーのサイズを把握する。
・自分の靴のサイズを把握する。
・姿勢を正す。
・トレンドを把握する。
が必要だと考えて、それを実行してきた。
つまり、これらは、絵を上手く描けるようになったり、楽器を上手に演奏できるようになったりするのと、同じことなのだと思う。高いブランド物の服というのは、例えるなら、高い画材や高い楽器だ。もちろん、あると表現の幅は広がるけれど、それを使ったからといって、良い絵が描けるわけでも、良い演奏ができるわけでもない。良い表現とは、ひとえに、その人の技術力に左右されるものだ。
それはたぶん、おしゃれも同じなんじゃないだろうか。上手い人は、紙と鉛筆だけで描いたって上手いし、初心者用の楽器を使ったって上手い。プロのスタイリストは、高い服のコーディネートだってできるけど、逆に「ファストファッションだけでコーディネートせよ」という縛りを設けても、その中で最大限おしゃれな組み合わせを考えてくると思う。
ちなみに、私は、ファッション誌というのは、音楽情報誌のようなものだと思っている。初心者が「ギター弾けるようになりたいな」と思った時に読むものではない。そういう時は「ギターの弾き方」みたいな本を買うものだし、他人に弾き方を教わるものだ。
これはどんなジャンルにも言えるけれど、わからないこと・苦手なことは、他人から教わったほうがいいと思う。「下手の考え休むに似たり」と言うし、下手なうちは独学では限界がある。おしゃれを教えてくれるプロもいるしね。
今後は、できればメイクレッスンを受けてみたいな、と思っている。あと、靴も探さないと…
〔2020.06.29追記〕
この動画の0:55からのフラの基本姿勢が、ティム・ガンが言ってる姿勢の正し方と同じ!
DVD制作 「キャロルハルヨのSexy&Fitbody フラスタイル体幹&骨盤ダイエット」
関連リンク
毒母からのおしゃれ抑圧の話。
おしゃれ抑圧から開放されていく過程で読んだ本の話。
「ダサピンク現象」から5年~『女の子は本当にピンクが好きなのか』より
「ダサピンク現象」とは、決して「ピンク=ダサイ」という意味ではなくて、「女性ってピンクが好きなんでしょ?」「女性ってかわいいのが好きなんでしょ?」「女性って恋愛要素入ってるのが好きなんでしょ?」という認識で作られたものの出来が残念な結果になる現象のことを言います。
— 宇野ゆうか (@YuhkaUno) August 28, 2013
私が上のTweetをしたのが2013年のこと。この呟きは、2016年に堀越英美さんの著書『女の子は本当にピンクが好きなのか』の中で引用された。最初の呟きから5年経った今、もう一度、私がピンクについて考えたことをまとめておこうと思う。
女の子は本当にピンクが好きなのか (ele-king books)
- 作者: 堀越英美
- 出版社/メーカー: Pヴァイン
- 発売日: 2016/02/26
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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私とピンク
まず、堀越氏は、冒頭のイントロダクションで「よもや自分の娘がピンク星人になってしまうとは。」と書いている。ジェンダーを意識せずに育てたつもりの娘さんが、3歳でピンク大好き人間になってしまったそうだ。
さて、私はというと、幼少期はばっちりピンク星人だった。私はあまり服の選択肢を持たせてもらえなかったが、それでも、ピンクでフリフリの服が好きだったし、お姫様に憧れていたし、魔法少女のアイテムを模した玩具を欲しがる、ジェンダー的にはごく平凡な女の子だった。(もっとも、ゴレンジャー的なものや、格闘ゲームも好きな女の子でもあったけど。)
そして、小学校高学年ともなると、ピンクやフリフリを恥ずかしがるようになった。これは、単に成長過程でそうなったという理由の他に、時代の影響もあると思う。当時、女の子たちに人気があったのは、安室奈美恵のようなかっこいいタイプの女性で、おしゃれや流行に敏感な女の子ほど、「ピンクでフリフリなんて、ダサい」と思っていた。
その後の私は、わりと毒要素のある母からの「おしゃれや流行に興味のない子でいてほしい(金がかかるから)」という抑圧を受けていたこともあり、およそピンクなどのカラフルな色ではなく、どちらかといえば地味な色味の服を身に付けていた。
母親の毒から抜け出すためにカウンセリングを受け、「私、本当はおしゃれしたかった!」と気づいて、パーソナルカラー診断を受けてみると、結果はサマータイプ。最もピンクが似合う(正確に言うと、似合うピンクの色味の幅が広い)タイプだった。
それからの私のワードローブには、白やネイビーやグレーなどのベーシックな色に加えて、ピンクも混ざるようになっていった。口紅はもともとピンク系を使用していたけれど、パーソナルカラーのアドバイスを受けて、私の頬と唇は、より鮮やかなピンク色になった。
4年前、自分のブログで『残念な女性向け商品が作られてしまう「ダサピンク現象」について』という記事を書いた時は、一部の、どうしても理解したくない男の人たちが、私のことを「どうせ、ピンクが嫌いな女なんだろう」と言っていたが、笑ってしまう。私は、ピンクが似合う女なのだから。*1ただし、フリフリやかわいい系は、あまり似合わないけれど。
ちなみに、ダサピンク現象関連で、「子供がピンクのフリフリばかり欲しがるんだけど、どうなんだろう」みたいなことを言っている人も見かけたけれど、私の考えとしては、「ピンクだろうがブルーだろうが、お姫様だろうがゴレンジャーだろうが、その子の欲しがるものを与えてあげればいいじゃない」である。「自分で選べる」ということは、自己肯定感に繋がると思う。
パーソナルカラーとピンク
さて、パーソナルカラーの話題が出たところで、ピンクとパーソナルカラーの関係について考察してみようと思う。
ちなみに、パーソナルカラーとは、その人その人に似合う色の傾向を診断する理論で、一概に「あなたは赤が似合う。あなたには青は似合わない」というものではなく、ピンクならどういうピンクが似合うのか、青みがかったピンクなのか黄みがかったピンクなのか、淡いピンクか鮮やかなピンクなのかということを見極めるものだ。(詳しくは検索してみて下さい。)
『女の子は本当にピンクが好きなのか』の中でも引用されているジェーン・スー氏の「ピンクと和解せよ」の中に、こんな文がある。
子供の頃からずっと、私はピンクが大の苦手でした。
ギリギリ許せて、サーモンピンク。
サーモンピンクには奥ゆかしさがあるからな。
しかし『正当派』な女の子は、往々にしてピンク好きが多い。
そして私は、ピンクと気負いなく戯れる彼女たちを見ると、
なぜか胸が潰れそうな気持ちになっていた。
これは2014年に書かれた文章なのだけれど、ジェーン・スー氏は、後にこんなTweetをしている。
赤い口紅が似合わない!とラジオでCREAでボヤいていたら、野宮真貴さんから赤ルージュ頂いた!上がTOKYO RED下がPARIS REDどっちも使いやすい。勿論、野宮真貴プロデュース。http://t.co/yQBcpg7vAC pic.twitter.com/59BI6J8OIu
— ジェーン・スー@「生きるとか死ぬとか父親とか」 (@janesu112) August 27, 2015
この口紅の色味が似合うのであれば、ジェーン・スーさんは、パーソナルカラー・オータムである可能性が高いんじゃないだろうか。
そして、堀越英美氏も、著書の中で、ピンクに対する拒否感を語っている。
同僚にはキラキラ女子が多かったが、私は保護色を身につけてできるかぎりネイチャーと同化したいタイプだった。ある日、同じチームの同僚が私の誕生会を開いてくれた。同僚たちが用意したプレゼントは、目の覚めるような青みピンクのタンクトップ。サーモンピンクやベビーピンクのような逃げ場のない、本格的なピンクである。肩にはピンクのリボンまでついている。「いつも地味な服ばかり着ているから、たまにはかわいい服を着たほうがいいよ」。無理!
堀越さんは、結局この服を着て、「成人の儀式でバンジージャンプを飛んだかのような祝福を受けた」そうだ。
その後、自分の服や持ち物に、なんとかピンクを取り入れて慣れようとしてみたものの、「ピンクの服は、いずれもタンスの中にしまわれたままアースカラーに埋もれていった」とのこと。
私は、「保護色」「アースカラー」という言葉が気になった。そして「サーモンピンクやベビーピンクのような逃げ場のない、本格的なピンクである」という言葉も。
もしアースカラーやサーモンピンクの色が似合うとしたら、堀越氏も、パーソナルカラー・オータムなのかもしれない。
パーソナルカラー・サマーが、最も似合うピンクの幅が広いタイプなら、オータムは、最も似合うピンクの幅が狭いタイプだ。そして、サーモンピンクは、オータムタイプの人に似合うピンクの代表例である。
おそらく、オータムタイプの人は、他のタイプよりも、ピンクに対する拒否感・苦手感を感じてしまう人が多いのではないだろうか。
もし堀越氏がオータムタイプであったなら、同僚からプレゼントされた「目の覚めるような青みピンクのタンクトップ」は、確かに似合わなかっただろう。
この章の最後に、堀越氏は言う。
そもそもなぜ、私はそんな努力をしようとしているのだろう。黄緑や蛍光オレンジが嫌いだからといって、こんな苦行をする人はいないはずなのに。
雨宮まみ氏は、『女の子は本当にピンクが好きなのか』の感想に寄せて、
私は、自分は大人になってからピンクという色に対する抵抗を克服した、と思っていた。けれど、なぜ克服しなければいけなかったのだろう。克服しなければ、と思わせられたのはなぜだったのだろう。
と言っている。
これは、私もそう思う。パーソナルカラー・サマーの私は、ピンクの選択肢は多いが、黄緑やオレンジが苦手なので、あえてそういう色の服を着ようとは思わない。沢山ある黄緑やオレンジの服の中から、何とか自分に合うものを探そうとか、着こなせるようにならないととか、そういうことも思わない。苦手だからやめとこ、以上、である。
なぜピンクは、これができない空気に満ちているのだろうか。苦手ならあえて着なくてもいい、というふうにできないのだろうか。その人が魅力的に見える色なんて、人それぞれなのに。
ロックとピンク
スピッツの草野マサムネ氏が、『女の子は本当にピンクが好きなのか』を、ファンクラブ通信の中で紹介していたらしい。草野氏は、「曇り空がパーッと晴れるような内容だった」と感想を述べ、当時発表した淡いピンクのアルバム『醒めない』に絡めて、「アラフィフ男バンドがピンクのアルバムで子グマとかモニャモニャとか歌ってるって、愚かで良くないっすか?」「ロックは自由だ!!」と言っていた。
私はロックには詳しくないが、ロックの精神性の起源は反体制であるはずだ。ならば、「男はこう」「女はこう」とか、「男は外で仕事、女は家で家事育児」みたいなのは、モロに家父長制という体制側であるわけで、それに逆らってみるのは、反体制として非常に「ロック」なのではないだろうか。
ジョン・レノンだって、オノ・ヨーコと結婚してから、ヨーコが働いて、ジョンが息子の世話をして料理を作るという、主夫生活を送っていた。そして『Woman is the Nigger of the World(女は世界の奴隷か!)』という歌を作っている。しっかり反体制だ。
私は前々から、ロックな人が「女子供は黙ってろ!」みたいな振る舞いをするのは、めちゃくちゃ体制側だし、全然ロックじゃないんじゃない?と思っていた。むしろ、男がピンクでかわいいってことのほうが、ロックだと思う。
ミレニアル世代とピンク
2016年頃から、ミレニアル世代(1980~2000年前後生まれ)で好まれるピンク色として「ミレニアルピンク」が流行している。欧米から始まって、徐々に日本でも見られるようになった。インスタグラムで「#Millennialpink」を検索してみると、それこそ様々な「イケピンク」が見られる。
ミレニアルピンクの特徴は、全体的に淡い色合いのピンクであるということと、ジェンダーレスな色だと認識されていることだろう。50年代アメリカで流行色だったピンクは、女性らしさを表す色だったが、現代流行のピンクは、全ての性の人が着る色として意識されている。
もしかしたら、そろそろ「ピンク=女の子の色」という固定概念は、古いものになっていくのかもしれない。
ジャネル・モネイ 『PYNK』
Janelle Monáe - PYNK [Official Video]
*1:もっと笑ってしまったのは、当時、私と一緒にダサピンク現象について話していた女性たちのことを、繰り返し「バ……素敵な女性たち」と言って、「男性をバカにするためだけに作られた用語」という結論を出したがっていた人が、私よりかなり年上のジ……男性だったこと。
マジョリティは冷静なのではなく、鈍感なだけ
「トーンポリシング」という言葉があるように、差別や抑圧について怒ると、決まって「感情的だ」と言う人がいる。そういう人は、どうやら自分のことを冷静だと思っているようだ。
世の中には、「感情的な人は、ちゃんとした議論ができない」「感情的な人は正しくない」という思い込みがある。しかし、これはあくまでも、両者が対等なテーブルについていることを前提とした場合だけである。そもそも両者が対等ではない場合、特に、一方が抑圧する側でもう一方が抑圧される側である場合には、この前提は成り立たない。
例えば、こういうケースだ。
- パワハラを受けて、思い出そうとするとPTSD症状が出て、過呼吸になって取り乱してしまう元社員と、平然としているパワハラ上司。
- 過労死で亡くなった元社員の遺族と、何が悪かったのかさっぱりわかっていないブラック企業経営者。
- いじめを受けて、必死で反撃する子供と、へらへら笑っているいじめっ子
- かつて、自分がされたことがどれだけ辛かったかを親に話しに行った虐待被害者と、「え?そんなことあったの?」と言い放つ虐待親
親子間の虐待について書かかれた『毒になる親』という本の中で、スーザン・フォワードは、虐待被害者と虐待する親たちの外面的な様子について、こう言っている。
私がカウンセリングした被害者はたいてい一家のなかでもっとも健康的な人間だと言うと、多くの人はみな一様に驚いた顔をする。なぜなら、被害者は普通、「自己嫌悪」「うつ病」「自己破壊的行動」「セックスに関する諸問題」「自殺企画」「アルコールや薬物の依存症」など、心の不健康さを物語る症状をたくさん見せ、一方で家族の他のメンバーはみな普通の人と変わらないように見えることが多いからだ。
抑圧される側は、抑圧する側から、身体的・精神的リソースを奪われている。この時点で、抑圧する側に余裕があり、抑圧される側に余裕がない状態になる。
だから、自分の受けた抑圧の内容について語る者が、取り乱したりして「感情的」になり、抑圧する者が「普通の人」に見えるのは、むしろ当たり前ですらある。抑圧する者の、平然とした余裕のある佇まいは、抑圧される者の犠牲の上に成り立っているのだから。
なので、「感情的な人は、ちゃんとした議論ができない」「感情的な人は正しくない」という思い込みに囚われていると、誤った判断をしてしまうことになる。
さて、私が差別問題についていつも言っていることは、マイノリティの言動や行動の問題点を探し出して注目しようとするよりも、マジョリティの言動や行動の問題点にこそ注目するべきということだ。
彼らは、自分のことを冷静だと思っているのかもしれないが、実際はただ鈍感なだけである。差別問題が解消されない理由について、よく「マイノリティが感情的に訴えるから」と語られがちだが、本当の理由は、マジョリティが鈍感だからだ。
例えば、職場などの集団の中で、鈍感な人とは、こんな人のことだ。
- 問題が存在しているのに気付かない。
- 問題を問題だと認識できない。
- 問題を「大したことない」と思い、放置する。
- 問題をなかったことにして、隠蔽を図る。
- 問題を、とりあえず誰か弱い立場の人に押し付けて済ませようとする。
こんな人は、およそどこの組織でも、到底優秀とは言えないだろう。もちろん冷静とも言えない。
私は、差別とは、社会という集団の中にある問題を、権力的に強い立場にある人々が、このような雑な解決方法でなんとかしようとした結果、生じるものだと考えている。例えて言うなら、「会社の中で発言力のある人たちがポンコツ」みたいなものだ。そして、その会社はブラック企業となる。
差別に鈍感な人たちは、「感情的な言い方をしても、聞いてもらえないよ」「デモやったって、問題は解決しないよ」「Twitterで呟くだけじゃ、何も変わらないよ」と、さもマイノリティに問題解決能力がないかのように言う。*1だが、真に問題解決能力がないのは、彼らのほうだ。鈍感な人間に、問題解決能力などあるわけがない。
マイノリティが感情的かどうかに注目するのをやめて、マジョリティの鈍感さに注目するべきだ。聴診器とライトを、マイノリティではなくマジョリティに当てるべきだ。
マイノリティが差別を訴える声は、異常な状態にあるものを正常な状態に戻そうとする防衛反応に過ぎない。原因はマジョリティにあるのだから、彼らの鈍感さを問題視するべきだ。
私の経験から言うと、マジョリティ側の人は、差別の存在を認識した時、ショックを受け、混乱し、取り乱し、しばらくして冷静になっていくことが多い。そういう人を見るたび、平然としていられるのは、ただ単に問題の存在を認識していなかったからというだけに過ぎないのだな、と思う。
冷静さと鈍感さを、混同しないように。
日本の教育って、「自分の人権が侵害された時には、怒っていい」と教えないから、怒っていい時とダメな時の区別がつかなくなるんじゃないかな。
— 宇野ゆうか (@YuhkaUno) May 2, 2018
女性だってこんなに怒ってるんだから、男性だって長時間労働に怒っていいんだよ。 #私たちは女性差別に怒っていい
— 宇野ゆうか (@YuhkaUno) August 4, 2018
セカンド差別またはトーンポリシングについて~差別解消と炎上
id:koenjilalaさんのエントリにブコメを書いたところ、今更ブコメの返信が追記で書かれているのに気がついた。コメント欄にお返事を書こうかと思ったけど、長くなったのでこっちに書きます。なお、この話は前回記事『ほとんどの女性が性犯罪被害者であることを知った男性に、気をつけてほしいこと』から派生したものです。
まず、私のブログは、基本的に、私が書きたいと思ったことを書いています。
これまでにも、「こういうことを書いて」と言われることは、度々ありましたが、私はお金をもらって書いているわけではないので、基本的にそういったご要望にはお答えしておりません。
あの記事は、この問題について知ったばかりで、理解したい、何かしたいと思っている人や、「やらかして」しまった人に、「とりあえず、これを読んで下さい」と提示できるものを作っておこうと思って書いたものです。
最初から理解する気のない人は、別にどうでもいいです。理解する気のない人は、私のブログを読もうが読むまいが、どのみち理解しないでしょう。あなたの仰る通り、人間同士は必ず理解し合えるわけではないですから、スルーするのが手っ取り早いですよね。そういう人にリソースを割くよりも、被害者をエンパワメントしたり、理解できる人にリソースを割いたほうが、効率が良いと思います。
そもそもなんですけど…女性嫌悪的な人は、この問題に関わる必要ってあるのでしょうか。むしろ、関わらないほうが良いのではないでしょうか。
例えば、「ボロボロの衣類や、使用した下着を、被災地に送らないように」と言われて、「せっかく支援してあげようと思ったのに!」と怒り出す人は、被災者に関わるべきではありませんよね。「迷惑です」という言葉を、ご機嫌を損ねないよう、丁寧に言って差し上げないと、へそを曲げる人たちは、最初からこういった問題に関わる素質がないのです。
単純に関心がないだけの人は、まだマシです。そういう人は口も挟まないので、とりあえず邪魔にもなりませんから。女性嫌悪的な人は、関心はあるのです…悪い方向に。
私は、理解できそうな人に対しては、攻撃的な言葉を使わず、丁寧に説明してあげる時もあります。その際は、「あなたは教えてもらって当たり前ではないのですよ」という態度を示します。相手を「認める」ことはあっても、決して「称賛」はしませんし、理解を「お願い」することもしません。
なぜなら、マジョリティ側がマイノリティに対して「私たちに理解して欲しかったら、言葉に気をつけて、私たちの機嫌を損ねないようにするのだよ。さすれば恩恵を与えてやるぞよ」という態度を取るのは、根本的に間違っているからです。そういう勘違いをしてしまったマジョリティの人は、理解から最も遠いところに行ってしまいます。
差別解消のための活動というものは、どうあっても炎上するものです。それはネットが普及していない時代からそうです。マイノリティ側がなんとか言い方や態度を工夫すれば、炎上は避けられるはずだというのは、マジョリティ側の論理であり、それは、女性が服装や行動に気をつけていれば、性被害は避けられるはずだという、男性中心社会の論理と、同じ構造のものです。
前回記事についても、私は書く前から、どんなに穏やかな言い方をしたところで、あの内容を気に入らない人は出てくるだろうと思っていましたし、ついたブクマ数や賛否の割合も、概ね予想通りでしたね。おそらく、あの文章が炎上しない一番の方法は、私がなんとか言い方を工夫することではなく、あれと同じ内容の文章を、男性が書くことだと思います。
私が、何かしら「やらかして」しまった人に対して丁寧に説明している時、別の人が、同じ人に対して、強い言葉で抗議していることがあります。そういう時、私は、基本的に、強い言葉を使わないように言うことはしません。
なぜなら、差別する側は、自分の言い方や態度に気をつけることはしないのに、それはあまりにもありふれたことなので、不問にされる一方、差別を訴える側は、言い方や態度が攻撃的でないかをやたらチェックされる、その非対称性が既に差別そのものだからです。
差別を訴える側の「内容」ではなく「言い方」を問題視するのは、ともすれば、差別構造を温存し、差別に加担する行為になりかねないので、慎重になる必要があります。スポットライトは、差別を訴える側の言い方や態度よりも、差別する側の言い方や態度のほうに当てるべきです。
私も、あなた個人が、女性嫌悪的な人を刺激しない言い方をしたいと思うことに、異論はありません。それはあなたの自由です。しかし、それを他人にまで求めるのは、「トーンポリシング」や「セカンド差別」と紙一重だということを、理解しておいて下さい。自分がセクハラを上手くかわすのは自由ですが、他人にまで「セクハラは上手くかわせ」と言うのは、抑圧になるのと同じです。そこを踏まえておかないと、あなたの「理解してもらえる書き方」も、本末転倒になってしまうでしょう。
性被害の啓蒙については、行政・警察・マスメディア等の役割ですね。ただ、あのブコメを書いたのは、この記事を読んだ直後だったので、私の中で、マスメディアの印象が強くなっていたのかもしれません。いずれにせよ、100字以内のブコメでは、書く内容に限界がありますね。
スウェーデン大使館の人に言われてハッとしたのですが「制度は政府が作る。でも文化や風土をつくのはメディア」なんです。
また、男性の性暴力被害については、私も問題視しています。ただ、忘れないでほしいのは、前回記事にも書いた通り、マスメディアも警察も司法も政治も、重要なポストは男性ばかりという社会で、男性の性被害が無視されているということは、これは明らかに男性側の問題であるということです。
女性の性暴力被害を訴える人と、男性の性暴力被害を訴える人は、共闘できる時もありますが、根本的な原因になっている男性社会のあり方をわきに置いて、女性の性暴力被害を訴えている人に対して「男性の性暴力被害も考えるべきだ」と言うのは、おかしな構図です。
私の観測範囲内ではありますが、女性の性暴力被害を訴えている人たちは、男性の性暴力被害も視野に入れており、性別関係なく性暴力を取り巻く問題そのものを改善していきたいと考えている人が多数だと思います。一方で、性暴力被害について改善していく気のない人(多くは男性)が、女性を黙らせたい時だけ「男性の性暴力被害も考えるべきだ」と言い出すのは、よくある現象ですね…
私は、男性社会というのは、ヘテロセクシャル男性にとって居心地の良い社会構造にしておくシステムであり、その「居心地の良さ」には、「女に性暴力の責任を押し付ける」ということの他に、「『男が性暴力被害に遭うはずがない』と信じて過ごせる」ということも含まれていると考えています。それゆえ、多くの男性にとって、性暴力は他人事になり、性暴力被害に遭った男性は、存在を無視されるのです。
ホモソーシャルな社会でゲイが排除されるのも、「男が性暴力被害に遭うはずがない」という安全神話を維持しておくため、という理由もあると思います。(実際に男性に性暴力をふるうのは、ヘテロ男性の場合がほとんどだそうですが…)
まぁ私、この程度の炎上は、幾分慣れてしまっているところがあるんですよね。私が初めて炎上を経験したのは、『自分が嫌われないために気を遣う人は、身内を潰す。』というエントリの中で、母親から受けた抑圧について書いた時です。この頃はまだ「毒親」という概念が一般的でなかった時代でもあり、「どんな親であっても、子供は親に感謝するべきだ」と考える人たちが、大量に押し寄せてきました。
その中に、「少しは親に感謝するポーズを見せていれば、炎上せずに済んだのに」「よっぽど、母親に対する色々な感情があるんですね。ほほえましい」ということを書いている人がいたので、私は「ケッ!」と思って、『群がる「親」という名の感謝乞食たち』というタイトルのエントリを書いてやりました。
あの時よりは、私も多少は丸くなったかもしれませんが、根本にある精神は変わっていませんね。当時の私は、守りに入ることなく、中指立てる勢いで、言いたいことを言って良かったのだと、今でも思っています。
ジェンダー等の感覚をアップデートしていないがために炎上してしまったCMを見ていると、「炎上は失敗例であり、発信する側が事前に気を付けるべきこと」みたいな気がしてしまうかもしれませんが、必ずしもそういう炎上ばかりではないということです。
そもそも、たかだかブログのエントリ1つだけで、見に来た人全てを納得させ、考えを変えられるだなんて、最初から思っていません。私のところで理解できなかった人は、他のところで理解してくれって感じです。
ほとんどの女性が性犯罪被害者であることを知った男性に、気をつけてほしいこと
新潟の女児殺害の報道、胸が痛くてみれません。山口メンバーの件も然り。
— りょうたっち (@ryoutacchi3) May 16, 2018
私が男性だからか、被害者の声を聞く機会もなく、報道をみても「自分はそんなことしない」で思考停止に陥ってました。実態を知って考えたいので、女性の方、教えて下さい。
未成年の時に、痴漢・性的いやがらせ・セクハラ等を
Twitterで、りょうたっち (@ryoutacchi3)さんという男性が取った、女性に対して、「未成年の時に、痴漢・性的いやがらせ・セクハラ等を」経験したことがあるかないかと問うたアンケートが、回答者10万票を超えて、ちょっとした話題になっています。閲覧用を選択した人を除けば、およそ8割の人が「ある」と回答する結果になりました。この回答結果は、りょうたっちさんにとっては、とてもショックだったようです。
私は、この問題が広く知られることを望む反面、正直、不安も感じています。
私はこれまで、個人の男性が、女性のほとんどが性犯罪被害者で、それが表に現れず、犯人が野放しになっている現実を知る場面を、何度か見てきました。そして、その男性が色々と「やらかして」しまうのも見てきました。
なので、これまで見てきた男性の「やらかし」から、気をつけてほしいことをまとめてみました。
女性に対して「もっと声を上げて」と言ってしまう
女性たちは、ずっと前から声を上げてきました。しかし、ジェンダーギャップ指数144ヵ国中114位(2017年版)のこの国では、マスメディアも警察も司法も政治も、重要なポストは男性ばかり。「健康で健常な日系日本人の成人男性」が関心を持たなかった話題は、マスに広がっていかないシステムになっているのです。
加えて、同じことを言っていても、男性だとすぐに受け入れられて、女性だと聞いてもらえないというのは、よくあることです。もちろん、ジェンダーギャップが大きい国では、それが顕著になります。
「自分にとって興味のない社会運動は見えない法則」があると思います。ある人たちが抱えている問題に興味がない人は、「彼らが社会運動している場面を見ていない=社会運動自体がない」と思い込んでしまうのです。そして、何かの拍子に、マスに大きく取り上げられた時に、はじめてこの問題が出現したかのように認識するのです。でも、アメリカ大陸は、ヨーロッパ人が発見する前から、ずっとそこにあったのです。
つまり、あなたがこれまで、この問題を知らなかった理由は、「女性が声を上げないから」ではなく、「男性が無関心だから」です。であるならば、必要なのは、「女性が声を上げること」ではなく、「男性が関心を持つこと」ですね。
あと、当たり前の話ですが、自分の性被害体験を語るかどうかは、その人自身が決めることであり、他人がそれを強要してはなりません。
女性に対して、性犯罪被害に遭わないためのアドバイスをしてしまう
これまであまり性暴力について知らなかったし考えてこなかった人が今思いついた方法は、「もし学校がテロリストに占拠されたら…」と考える中学生の妄想と同じくらいには、効果があるかもしれません。
当たり前の話ですが、男性が普通に日常生活を送りながらできる防犯でなければ、女性だってできません。「そこまでやったら、普通に仕事したり、友達と遊んだりできなくなるよね?」という防犯方法は、現実的ではありません。加えて、女性のほうが男性より平均賃金が低く、日本の女性は世界一睡眠時間が短いということも、考慮しておいて下さい。
前々からこの問題に関心を持ってきた人の間では、この議論は、もっと次の段階に進んでいます。つまり、「女性に対して、性犯罪被害者にならない方法を教える」フェーズから、「全ての人に、性犯罪加害者にならない方法を教える」フェーズになってきているのです。
世界各国で、「性行為の同意」について、子供たちに教える流れになってきています。「相手が自分の家に来たり、相手の家に招かれたからといって、セックスを承諾したわけではない」「相手が泥酔していたりして意識がない時は、性行為をしてはならない」「女性がセクシーな格好をしているからといって、あなたとのセックスを望んでいるわけではない」というようなことを、きちんと教えよう、ということです。
イギリスの警察が2015年に制作した、性行為の同意についての動画
また、性犯罪が起きる前の「予防」だけでなく、起きてからどう「対処」するのかも、重要な課題です。性犯罪については、「予防」ばかりに目が行き、「対処」に意識が行っていない人が多いと感じます。しかし、あなたも既に知っている通り、女性のほとんどは何らかの性犯罪被害を受けます。被害を受けた後のケアもまた、この問題の重要な課題だということも、覚えておいて下さい。
性犯罪被害者の主体性を奪ってしまう
時々、メサイアコンプレックスみたいになってしまっている人を見かけます。本来なら、性犯罪被害者の人たちを主体にするべきところを、自分が主体になってしまう。被害者の人たちから、当事者性を奪ってしまうのです。
助けたい、何かしたいという気持ちばかりが先走り、まだ十分な知識を身につけていないうちから突っ走り、間違った情報を広めてしまう。自分がこの問題の主人公になってしまって、被害当事者や、これまでこの問題に取り組み続けてきた人たちから、発言の機会を奪ってしまう。こういう人たちを、けっこう見てきました。
そうした動機による行動は自己満足であり、相手に対して必ずしも良い印象を与えない。また相手がその援助に対し色々と言うと不機嫌になる事もある。しかもその結果が必ずしも思い通りにならなかった場合、異常にそれにこだわったり逆に簡単に諦めてしまう事も特徴的である。
先に述べたように、これまで女性たちが散々発信しても注目されなかったことが、男性であるあなたが発信者になると、一発で耳を傾けてもらえるということが、あるかもしれません。しかし、本来であれば、そもそもこの問題は、女性たちの声をないがしろにしてきたから、起こっている問題なのです。この問題を解決するために、女性たちの声をないがしろにしたのでは、本末転倒です。
あなた自身が性犯罪被害者で、あなた自身のことを語るというシチュエーションでない限り、あなたはこの問題の主人公ではありません。あなたの気持ちを満たすために、被災地に千羽鶴を送りつけるような行為は、やめてほしいのです。
それでも千羽鶴を送りたくてたまらなくなった場合は、心理カウンセリングを受けるなどして、心を落ち着けて下さい。ショッキングな情報に沢山接したことで、心にダメージを負ってしまっているかもしれませんからね。
「自分はこの問題について、ペーペーの新人だ」ということを忘れてしまう
あなたにとっては、残念なことかもしれませんが、ペーペーの新人がいきなり有益な存在になろうとしても、それは無理な場合が多いです。新人がいきなり有益なアドバイスなんてできるわけがありません。とりあえず、先輩たちの邪魔をしない振る舞いを身に付けることが求められるのは、新人あるあるです。
どの分野でも、新人に求められていることは、「知って、学ぶ」ところからです。まず「知って、学ぶ」ことから始めて下さい。
この社会は、被害の実態からかけ離れた「痴漢神話」「レイプ神話」で溢れています。あなたも、知らず知らずのうちに、この偏見を身につけてしまっているかもしれません。あなたがいくら、この問題を何とかしたいと思っていても、正しい知識を身につけないうちに、議論に参加してしまうと、被害者を傷つけることしかできず、結局、邪魔をして終わるだけになってしまうかもしれません。
“『TCHIKAN』の共著者、エマニュエル・アルノーは二次被害についてこう語る。
「日本で起こっている二次被害は、私の感覚では、起こりうる害の中でも最悪なものの一つだと感じています。」”
「山手線で6年間、痴漢に遭い続けた私の#MeToo」|日本人女性がフランスで“チカン”本を出版し、現地で大反響を呼んでいる | クーリエ・ジャポン
courrier.jp
二次被害(セカンドレイプ)は、「性犯罪をしない、普通の人」がする加害行為です。そして、このセカンドレイプこそが、被害者が被害を訴えるのを阻害し、犯人が野放しになってしまう、大きな要因になっているのです。
まずは、セクハラや性暴力についての正しい知識を得て、被害に逢った女性を傷つける発言(セカンドレイプ)をしない人になることを目指して下さい。そうすることで、被害に逢った人たちが、安心して自分の身に起こったことを話せる世の中を作ることに貢献して下さい。
自分は女性の味方だから、女性から当然歓迎されるだろうと思ってしまう
もうお気づきかと思いますが、この問題の根底には、性差別があります。性犯罪加害者の中にある問題であり、あなたの中にある問題であり、女性たちの中にすら存在している問題です。
この問題について誠実に取り組もうとする人は…特に男性は 、性犯罪と戦う前に、まず、自分の中にある差別心や偏見と戦う必要に迫られるでしょう。
女性たちは、あなたを歓迎したいという気持ちを持っている反面、あなたを警戒しています。セカンドレイプの話は既にしましたが、あなたが性犯罪被害者(つまり女性の大半)を傷つける振る舞いをしないか、警戒しているのです。
これは性差別以外のことにも言える話なのですが、味方かどうかを決めるのはあなたではなく、相手だということを覚えておいてください。(自分の身近な人が、何らかの被害に遭った場合も同様です。)そして、自分の中にも、自分では気付いていない、差別心や偏見があるかもしれないということを、心構えとして持っていてください。
最後に、このサイトを紹介しておきます。これはLGBTのアライであるための心構えを書いたものですが、あなたがこの問題について取り組む際にも、十分応用できるでしょう。
最後に…
いかがでしたか?かなり厳しい内容でしたか?
でも私は、こういった心構えがないまま、この問題に首を突っ込んで、もっと厳しいことになっている男性を、これまで沢山見てきました。そんなことになるのは、双方にとって不幸です。なので、これを機会に、まとめておこうと思いました。
このエントリは、いわば、山登りのスタート地点に立った人に、山登りの心構えについて解説したものです。この山に登るのは、そう易しいものではないと言わざるを得ません。しかし、幸い、先に登った人が沢山いて、資料や文献といった形で、道をつけてくれています。
私も最初は、この問題についてよく知らなかったので、自分で調べて学んで考えてきました。あなたも、自分で調べて学んで考えて、この山を登ってきてください。
ゆずの外国人観が20年ほど古い気がする
最近、何かと話題になっているゆずの新曲。
右だの左だのということは、もう既に他の人が十分に言及しているので、私はここでは特に言及しない。それよりも、私はこの歌詞の冒頭三行で、既に違和感を感じた。
きょうび、東アジア文化圏以外の外国人でも、箸をうまく使える人は、特に珍しくもない。もしかしたら、ゆずの外国人観は、世界で日本食や中華料理のレストランが普及する以前の、20年くらい前で止まってしまっているのではないだろうか。
それも含めて、『ガイコクジンノトモダチ』に登場する外国人は、あまりリアリティが感じられない。歌詞に登場する外国人は、ゆずの身近にいる実際の外国人ではなく、20年前の外国人のイメージと、最近テレビでよくやっている、マスメディアが編集しまくった、実態のない「日本大好き外国人」のイメージが、合わさったものなのではないだろうか。(…ということを考えていたら、雑誌『Talking Rock!』5月号のインタビューによると、本当にそうだったようだ。)
そう考えると、国旗や国歌を、まるで隠さなければいけないもののように表現している違和感も、20年前の感覚だとすれば、納得がいく。オリンピックなどのイベントをはじめ、祝日には国旗が掲げられているし、国歌も卒業式で斉唱されているし、「どこが?」と思うのだけれど、調べてみたら、日の丸君が代が国旗国歌だと法律で定められたのが1999年、つまり19年前だ。
なるほど、「国旗及び国歌に関する法律」制定以前の感覚なのだとしたら、あの歌詞の内容も頷ける。他の人が詳しく言及しているし、めんどくさいので、ここで詳しい数値は挙げないけれど、20年前と比べると、卒業式での国歌斉唱の実施率は、かなり変化している。
もしかしたら、ゆずの国旗国歌に対する認識は、自身が学生だった時の感覚のままで止まっているのかもしれない。
ゆずは、この曲について、忌野清志郎の曲『あこがれの北朝鮮』に言及しているらしい。
忌野清志郎…?全然違うんじゃないか…?忌野清志郎って、めちゃくちゃ反体制でロックな感じだった気がするけど…と思っていたところ、以前読んだこの記事を思い出した。
ゆずは、もしかしたら、ロックなつもりだったのかも…しれ…ない…?
ちなみに、『あこがれの北朝鮮』について知らなかったので、調べてみたら、1995年に発表された曲とのことだ。忌野清志郎、1951年生まれ、当時44歳。
歌詞の中には北朝鮮による拉致を皮肉った箇所があるが、「北朝鮮に拉致された日本人を救出する会」が発足したのが1997年、拉致被害者の一部が帰ってきたのが2002年。
まぁ、拉致被害者とその家族の立場だったら、この曲を聞いて何と思うかっていうのもあるけど、ただ、忌野清志郎、そういう感覚は早かったのね…
おまけ。
近年の「日本スゲー」系番組がもてはやされる状況に浸かっていると、「自然と」こういうふうになるんだな…と思いながら読んだ記事。